50 タウンハウス
放課後の図書室という日課が、イシュタル家のタウンハウスに変わった。
イシュタル家のタウンハウスには、侯爵代理として、クリス殿下の叔父様が滞在していらっしゃった。
イシュタル家の現当主は、未だクリス殿下のご祖父様のままである。
タウンハウスの図書室には、クリス殿下が仰ったとおり、外国語の蔵書が数多くある。
特に多いのは、帝国語・・・隣のリスティア帝国で使われているものである。
おそらく、先を見据えてのことなのだろう。
「そのうち、イシュタルの爺さんにも会わせてあげるよ。そうだ、新年はいつもどうしているの?やっぱり北の領地に帰ってるの?」
「領地は、冬になると雪深くなりますので王都で過ごしておりました。それに、お休みの期間も短いですから。」
夏の休暇が2か月あるのに対し、冬の休暇は1か月もない。
女神様への感謝祭が年末にあり、そのまま新年を迎え、そして間もなく新学期となる。
領地に帰るには、とてもタイトな日程になるため、負担が大きい。
女神様への感謝祭とは、文字通り1年の感謝の祈りを女神様に捧げること。
1年が終わる日に、神殿で聖女様や神官が祈りを捧げ、神殿の周りで、それぞれの家庭で、思い思いに皆が祈りを捧げる。
その日は、まるで街から人が消えたように静かになる。
新年を迎え、国王陛下の挨拶を終えると、3日間、街をあげてのお祭りが始まる。
「じゃあさ、来年のお祭りは一緒に出かけて、二人で楽しもうよ。」
「クリス殿下は、ご公務ではないのですか?」
「ようやく解放されるよ!新年のあいさつの際に、兄上が後継者に指名されるはずだから。僕がいても邪魔なだけ。ほら、一人だけ母親が違うからね。」
「そんな・・・それだけで。」
その言葉で、これまでクリス殿下が辛い思いをされてきたということがわかる。
「僕のことより、アリスはこれまでどうしていたの?」
「特別なことはしていません。父も母も不在ですし、いつものように過ごして眠るだけです。」
「え・・・じゃあ、お祭りは?」
「幼い頃は侍女と護衛に連れて行ってもらいました。エドウィン殿下の婚約者になってからは、恥ずかしながらその通りで・・・。去年はずっと家におりましたよ。」
新年になると、父親について行き、王宮でエドウィン殿下待ちをしていたのである・・・3日間すべて。
少しの時間だけでもお会いできればいいほうで、もちろんお祭りなどに連れて行ってもらったことなどない。
「そっか・・・。じゃあ、祈りの日も祭りの日も、我がイシュタル家に招待させてもらっていいかな?どうせ、1年後には家族になるんだし、予行演習だと思って!」
それは、お泊まりするってことですか、クリス殿下!
「いくらなんでも、それは流石に早・・・」
「よし、決まり。それじゃルーク義兄上にさっそく手紙で許可をもらおうかな~。婚約者の家に泊まるのはよくあることだから、はしたないことじゃないからね。」
だからといって、そんな急に言われても心の準備が!
「僕の大切な人と過ごす新年、楽しみだな。」
その言葉に、心臓がフワッと温かくなるのを感じる。
クリス殿下が、私に向かって優しい微笑みを向けている。
エドウィン殿下のように、感情のない余所行きの笑顔ではない。
私たちは、お互いの利害が一致しているだけの、政略的な関係のはず。
たとえ私を喜ばせるための言葉だったとしても、私を利用するために懐柔する笑顔だったとしても、それを嬉しいと思い始めている。
私は・・・結局アイリスと同じではないだろうか。
もし、クリス殿下に近づく女性が現れた時・・・なにかしてしまいそうで、怖い。




