48 敵対
それからというもの、クリス殿下は学校帰りにカフェに立ち寄ったり、休みの日にはショッピングに連れ出してくれたり、次々に私の願いを叶えてくれた。
感情にまかせて、なにかをしでかさないよう、息をひそめて時間が過ぎ去ることだけを願っていた今までが嘘みたいに、私の毎日は色づいたものになった。
お兄様との手紙のやりとりも、頻繁にしている。
「学生の本分は勉強、決して羽目を外さないように」と、毎回のようにお小言を頂戴している。
クリス殿下にあてた手紙にも、同じ文言が書かれていたらしく、「週に3日は図書室で勉強しようか。」と苦笑いしながら仰っていた殿下である。
というわけで、本日は勉強の日、クリス殿下と図書室で本を広げている最中だ。
・・・クリス殿下は、私の髪をひと房持って、クルクルと弄んでいるけれど。
「クリス殿下、手が止まっていますよ。私の髪の毛は教科書じゃありません。」
「アリスの髪がキレイなのがいけないんだよ。こんな艶々してたら触りたくなるじゃない。」
「クリス殿下・・・明日から髪はまとめてきますね。」
「髪をまとめたら、顔が丸見えだよ。そのスベスベのほっぺを触ってもいいの?」
「・・・殿下、いい加減にしないとお兄様にいいつけますよ。」
「あ、それ言う?それ言っちゃう?ルーク義兄上は怖いんだよ、本当に。」
『こいつら、他所でやれ』と言わんばかりの周りの視線が突き刺さる。
もう、恥ずかしいからいい加減にしてほしい。
「お前たちは、ここでなにをしている。ここは学生が静かに勉学に励む場所。それができないなら、ここから去れ。」
ほら、注意されちゃったじゃない、ってその声は・・・。
声の主を見ると、そこにはエドウィン殿下とアーサー様、そしてセレーネ様がいらっしゃった。
セレーネ様のタイの色が黒から青に変わっている・・・私と同じ、侯爵家の色。
私は慌てて立ち上がり、カーテシーをする。
「エドウィン殿下、大変失礼いたしました。」
「あー、これはどうも、第一王子殿下。お邪魔なようだから、僕たちは失礼しようか。行こう、アリス。」
クリス殿下が、机の上に広げた教科書類をまとめて鞄に入れ、席を立ち、私の手を取った。
「待て、クリスティン。」
立ち上がり、出て行こうとする私たちを、エドウィン殿下が止める。
「あー、なんでしょうか、第一王子殿下。」
顔だけ振り向いて、ぞんざいに返事をするクリス殿下。
それは、いくらなんでも不敬にあたるのではないかと、ハラハラする。
「今日はアイリス嬢に頼みがあって来た。」
・・・私に?今さらなんの用事があるというのだろう。
「セレーネに、貴族のマナーを教えて欲しくてね。戸籍上とはいえ、君はセレーネの姉だろう?」
いつものアルカイックスマイルを私に向ける。
その綺麗な笑顔を見せれば、私が二つ返事で引き受けるとでも思っているのだろうか。
「私が、でございますか?」
嫌いな私に声をかけるぐらいだから、きっと、淑女学科のマナー教室でも王妃教育でも、芳しい出来ではないのだろう。
今まで、このお二人に関わる事は避けてきたのに・・・。
私が聖女様のマナーに注意でもしようものなら、その揚げ足を取られて、断罪に繋がる可能性もある。
最悪、私だけならまだいい。
領地のお兄様や婚約者のクリス殿下にまで、どんな影響が及ぶか・・・。
そんなことになれば、すべてが水の泡だ。
私は久しぶりに、手袋の中にある宝石をギュッと握りしめる。
久しぶりの痛み・・・落ち着け、顔に出すな・・・断る理由を考えろ。
私の事情を汲んでくださったクリス殿下から、結婚後は王宮ではなくイシュタル家に入ることで話が進んでいる。
それを理由にすれば、断ることができるだろうか。
「それは・・・」
「あー、それはダメです。アリスはイシュタルに嫁ぐ身。イシュタル家の教育が始まりますからその時間は取れません。それに、王宮のマナー教育を受けている聖女様に、アリスが教えられることはありません。アリスのマナーもまだまだです。そのくらい、第一王子殿下もおわかりでしょう?」
私より先に、クリス殿下が答える。
その口調には、あきらかに怒気が含まれていた。
「姉だから妹の面倒を見る?はっ、あなた様が弟の面倒を見てくれたことはありましたかね。自分がやらないことを他人に押し付けるのはどうかと思いますよ、第一王子殿下。」
「クリスティン、口を慎め。私はアイリス嬢と話しているのだ。邪魔をするな。」
「アリスは私の大事な婚約者です。それを黙って差し出すとでも?アリスは二度と王宮には行かせません。これはイシュタル家の総意と思っていただいて構いませんよ。まさか・・・この期に及んで東を敵に回すおつもりですか。」
そ、そこまで・・・エドウィン殿下に、王国の後継者にケンカを売っては、また余計な摩擦を生むだけだ。
それだけ・・・東のイシュタル家の、王家への不満はかなり根深いということ。
でも、最後通告を出すのは今じゃない。
「クリス殿下、それ以上は・・・叛意ありと誤解されてしまいますから。」
「ああ・・・アリス、ごめんね。止めてくれてありがとう。もう行こうか。勉強の続きは教室でやろう。ここにいるみんなにも迷惑かけちゃったからね。というわけで、第一王子殿下におかれましては、他のご令嬢にお願いしてください。」
グイッと私の腕を取り、振り返ることもなく図書室を後にするクリス殿下。
私は振り返り、残ったお三方にせめて一礼をする。
そのときのエドウィン殿下は・・・まるで敵を見るような目つきだった。




