第5話 次の町へ。でもお呼びでないのも現る
初めてのラビリンスでの衝撃的な体験。
心はひび割れ、信じていたものは揺らいだ。彼女には、戻るという選択肢もあった。
しかし足はそちらに向かず、彼についていくことに決めた。
了承を貰えていたわけでもないが──
「これもかぁ」
深い溜息こぼしつつ、腐った木の実を放り捨てる。
「あ!」
あの森からはまだ出ておらず、気付けば置いていかれており、待ってよと駆けていき、追いつく。
「木の実は全部だめっぽい。あの瘴気のせいと思う」
返事は返ってこない。だんだんと彼は不機嫌となり、今は無口な仏頂面。
収穫できたのは茸のみで、腕には他に枯草や枝の束がある。
次ならラビリンスの情報求め、向こう町へと行く必要がある。
街道は既に見えており、そこを道なりに進んでいけば子供の足でもその日の内に着く。
しかし丸一日以上はかかりそうだ。のんびりとした杖の歩みに合わせていれば、おのずと途中で日も暮れてくる。
しばらくすると、ほーぅ、と聞こえてきた。
瘴気に大分荒らされはしたが、夜の使いはまだ元気にしていたようだ。
「今日はここまでにしよっか」
相も変わらずぶすっとしたままだが、彼は思いのほか素直に聞いてくれ、その場に腰を下ろしていた。
小川が傍を流れ、魚もいるように思うが、疲れ果てた今の状態ではとる気も起きず。
腕の物を置き、自らも同じように腰を落ち着け一息つく。
「野宿なんてわたし初めてで、火を起こすんだよね?」
答えの代わりに前で腰が持ち上がる。
黙々と準備され、焚き木が起こされていく。
肝心の火種だが、腰のポーチに火打石を入れていたようで、あっという間に火がつき、ぱちぱち音を立て始めた。
「おぉ、イイてぎわ♪ やっぱゴルくん慣れてるねー。わたしなんか何も考えてなかったから」
明るく振る舞って見せてはいたが、彼女の胸にはまだ空虚な気持ちが残り、そのぽっかりと空いた穴に火の温もりが染みた。
夜はまだ冷える時期だ。
体を冷やさぬようそちらに手を向け、暖を取っていたら、細枝に刺した茸がその周りに並べられていき、ほどなく芳ばしい香りを上げ始める。
(うげ)
思ったことがまま顔に出る。実のところ仕方なく収穫したもので、苦手だったのだ。
「実はさ、わたしその茸が……。残したことはないんだけど」
あのぐにゃりとした食感が、とても人の食べる物とは思えず。しかし好き嫌いをするとシスターが困った顔をした。それを見るのが嫌で、年下の子が増えるにつれて、年長者としての示しも必要で、大変だったという思い出だ。一息挟む。
「言いたいことがあるなら言ってくれなきゃわからないよ、ゴルくん」
睨みつけつつそう切り出すと、睨み返され、そこでようやっと彼の口が開く。
「人が気を使ってやっていれば、お前というやつは。なんなんだ」
「なにって、わたしが落ち込んでたからだよね? ゴルくんってさ、思ったより良いやつだよね」
笑いかけ、褒めたつもりが彼のこめかみに青筋が浮くように見えた。
しかしその理由は不明。思わず首もかしげたくなる。
「俺の言いたいことがまったく伝わっていないようだな。いつまで俺に付き纏うつもりだって言ってんだよ」
「へ?」
「へであるか。俺にもう用はないだろ。俺もない。いい加減迷惑なんだよ。もう開き直って全部言わせてもらうがな」
「ごめんね、それについては謝るよ。でも帰るわけにもいかなくて。聞いてよ、ゴルくん」
「聞くか、帰れ」
「聞いて、帰らない」
「お前はこのめんどくせぇやり取りを俺に何度させる気だ!」
「そんなにしたっけ?」
「やかましいっ! もう俺についてくるなーーーーーー!」
大音量が響いて思わず耳を塞ぐ。心の底からの叫びには聞こえた。
ただそれはできない相談というもので、一人で行く勇気が彼女にはなくなっていた。
またあの死者の国へ、そう考えるだけで今は恐ろしい。
なのに行って確かめたい、そう思うことができてしまっている。
今していることは、本当に正しいことなのか。
魂の解放者とは正しい存在なのか。
知りたい。
そしてもし悪と感じたなら、その時こそは帰る。
以外の道は今浮かばない。
考えれば考えるほど、気が滅入り、悩み過ぎているようには感じていた。
気分を変えようと歌をうたう。いいや、自然ともれていた。
教会でよく歌った聖女の讃美歌が。
心を鎮め、癒していく。
ふと見上げた空には、満点の星。
けど今日は、いつもとはどこか違って映る。
見慣れたものであるはずなのに。まだ町から大して移動してきていないはずなのに。
見上げる場所の微妙な差で、それとも一緒にいる人の違い。
理由は定かではないが、旅に出たんだ、これからは一人で生きていかなきゃならないんだと思うと、不思議と胸が高鳴った。不安は感じてこない。
「ふお?」
視線を下ろした直後、目を疑うような彼の顔が飛び込み、思わず歌を中断、問う。
「どうしたの? そんなハトが豆くったような顔して」
「──意味がわからねぇ。どうなってんだこいつの頭」
「べつに普通と思うけど」
「普通なわけあるかぁ! どうして歌える!? だいたいハトが豆食ってどうなるんだよ! わぁ、美味しいって驚くのかよ。バカか」
「言い過ぎかなって」
「言い過ぎなわけないだろ! こんのブタが! クソ、思考が軽くぶっ飛んだぞ。お前は犬なんかじゃなくて心の肥え太ったブタだ! このデブ!」
「もうそこまでいくと何言ってるか」
「そこはわかれよっ。理解しろよっ。それよりキノコ焼けてきてるぞ。大好きなトリュフじゃなくて残念だろうけどなっ!」
「だからゴルくん、意味わかんないってぇー。ふぁ~、なんか眠くなってきたからわたし先に寝るね。おやすみ!」
横になるなり、即座に微睡みの中。
そのさまを目の当たりにした彼の顔ときたら、言葉もないといった様子。
しばしの沈黙ののち、溜息が落ちた。がしがしと頭も掻く。
「なんなんだこいつは。今のうちに出て、置いてくか? 無理か。恐ろしい足の速さだしな。匂いで追ってきそうでもあるし。ったく、とんでもないブタに捕まったもんだ」
先行き不安に感じつつも彼もそのうち寝入り、明朝に目を覚まして、結局共に立つ。
今日も良い天気で、傍の木にとまった小鳥が囀る。おはよう、とでも二人に言うように。
「おっはよー!」
とそちらを見ながら元気な声が返され、首の向きが戻って、活力を取り戻した瞳が彼を見る。明るい笑みが浮いた。
「鳥も喜んでるよ。今日も良い天気でよかったね♪」
「一晩寝れば完全復活か。さすがはブタ」
「だからそれ意味わかんないからね。わたし豚みたく太ってないし」
「あり得ない神経した図太い奴だって俺はずっと言ってんだよ! お前と話してると疲れてくるな」
「もう? 今出たばかりなのに。これじゃ先が思いやられるよ」
やれやれときて、「黙れ」と言えば、大きな笑い声が上がる。
わかっていたことだが、タフだ。悪口、嫌味も効いてはいない。
「ねぇねぇ」
「あぁっ?」
「ここでもさ、変身できたらいいのにね? そうしたらひとっ飛び♪」
「お前絶対わざとやってるだろ」
「何が?」
「くそ、よめねぇ。だとしたらこんな杖なんて必要ないだろうが。それだけで持ってるわけでもないけどな」
「わかった、武器にするんだ! 爆発するんでしょ」
「するか、アホか。もう喋んなアホ。中に剣が収まってるんだよ」
「そうなんだ。見せて」
「い・や・だ。お前の好きな言葉だぞ。よかったな」
「ゴルくんのケチ」
最初こそ順調な滑り出しを見せていた二人だが、しだいに会話もなくなり、よく立ち止まることになる。
彼の身に異変が起きていた。顔には険しさ浮き、荒い息が吐かれる。
「はぁ、は……」
「ゴルくん、それ疲れてるからじゃないよね。やっぱり一度引き返して」
「俺に構うな。一人でいけよ」
「そんなこと言ってないじゃん。どうしてそうツンツンするの。最悪引きずってでも戻るからね」
「なんでお前は、これだけ言われて俺についてくるんだ。こんなやつ好きになれないだろ。嫌いになれただろ。だからいい加減」
「嫌いになんてならない。心配するのはそんなに悪いこと?」
──なんで俺なんかを。と思わず眉をひそめ、彼が向けた目に映ったのは、本当にそんな顔で、思い出す。
最期の日に見た姉の顔を。よく似ていた。
いつも通りのスカした感じで見送って、どれほど後悔することになったか。何度も後を追おうと考えた。
早い内に両親を亡くし、ずっと二人で生きてきた仲だ。ひねくれた性格ゆえ、態度に出すことはできなかったが、それほどまでに姉を頼りにし、深く愛し慕っていた。
どうしてそんな人間と、昨日今日会ったばかりの見ず知らずの人間が重ねて見えた。
(なんでこんな奴と……)
どうしてもそう思ってしまう。舌打ちももれていた。
戦いで負った傷が熱を帯びており、いい加減きつい。今日はもう休みをとるしかない。
と彼の頭によぎったその時、後方から、運良く馬車が通りがかる。
「あ、おーい!」
顔見知りまでいたのは、なおのこと幸運だったろう。
おかげで乗せても貰え、荷台の上で一息つけた。
「ありがとう。ほんと助かっちゃった。おじさんは向こう町に戻るところ?」
「ああ。しかしまさか、レトリちゃんが魂の解放者になっていたとはねぇ」
「自分でもびっくり。もう一つラビリンスを浄化し終えたんだよ」
「そういえば、あの町の傍にできたとか。変わった様子がなかったからただの噂話かと。大人には見えないものだからねぇ。いや凄い、大した活躍ぶりじゃないか」
「でも救おうとして、わたしが追い出しちゃった魂は、わたしのこと怨んでた」
「何、そんなことは気にすることじゃないさ。レトリちゃんは正しい行いをした。だからその魂も今頃、天国で涙を流しながら君に感謝をしているさ。私は救われた。天使のような少女よ、ありがとうって」
「絶対ない」
「いやいや、それはおじさんが保証するとも」
「おじさんに保証されても」
「はっはっは、これは手厳しい」
それはそうと、そっちの彼はと前から尋ねられ、
「ゴルくん」
「ゴルゴラ・ビスターレです。お世話になります」
答える場面なんかもあり、揺られている内に気付けば、もう隣町は目前。
入り口の所で降りることになる。
ただそれは、彼にとっては不本意ながらというやつで、
「ありがとー! また手伝いに行くねー! 三年後とかになるかもしれないけど」
見送りながら手を振る彼女を、人知れず横から睨んでいたのだが、
「──?」
気付かれても小首をかしげられただけで、手をとられ、はねつけていた。
「教会の所まで送って貰えよ。できただろ」
「ゴルくんこの町初めてじゃないの? わたしいろいろ案内してあげようと。あっ、そっか! 怪我してるから」
「してない。しててもかすり傷だ」
「なんでそんな無理するの? わたしわからないよ」
「お前には関係ない」
「ゴルくんて急に優しくなったり普段冷たかったりで、落差が激しいっていうのかな」
「気のせいだろ。お前に優しくした覚えなんてない。あれは泣かれたら面倒だから気を使ってやっていただけで」
「ううん、ゴルくんは優しかったよ。あの時」
チッ、と舌打ち受けてももう慣れっこ。
彼女の顔にはそう書いてあり、改めて手を引き案内しだす。今度は振り払われない。
「諦めも大事と思う」
「黙れ。うるさい」
「あはは。わたしさ、よくお節介とか、厚かましいって言われることがあって、めげないんだけど」
「いやめげろよ。お前マジ質悪いのな」
「シスターにそれは良いことだって。誰かを放っておけないのは、あなたの美徳なんだって言われて」
「何が美徳だ。どんなものでも度が過ぎれば悪徳だろうが」
「あ! あそこのパンすっごく硬いんだよ。こんなの武器だってみんな言ってて、スープに浸して食べるとすごくおいしいんだけど」
「そういうところもお前の悪いところだな。人の話を聞かないとこな。別のこと話してんな。もしかしてこっちもわざとやってるとかか」
「んー、たまにはかな?」
その言葉を聞けば、もう文句も出ないといった呆れかえりようで、大きな溜息だけを戻され、彼女の視線は前へ、今歩く場所へと移る。
こちらの町は、家や道が赤レンガに彩られて統一感があり、整然としたつくりだ。
自然豊かで緑と共存するあの田舎町とは、発展度合に大きな差も感じられる。
道行く人の数も段違い。
ゆえ、全員と顔見知りというわけでもなく、あちらでは起こりえないことも時に起きる。
道のわきから知らない子達が指さしてきて、いきなり悪口飛ばしてきた。
「おい、あいつじじいみたく杖なんかついてるぞ」
「ほんとだ。だっせー。歩けないのかよ」
瞬間的に頭を沸騰させた彼女は、その子達をきつく睨み返す。
気圧されたように後退り、押し黙るのが見えると、ふん、と鼻息荒く首の向きを戻した。
「なにあいつら。誰かしらないけど気にすることなんかないよ。いこ、ゴルくん」
「俺は別にどうだっていいんだが」
「なんで? わたしはすっごいイラついたんだけど。なんであんなこと言えるのかな。信じらんない」
「ほう、俺にはお前の無神経さと良い勝負しているように思えたがな」
「ひど、してないってば! わたしのどこがあんなのと一緒だよ!」
「だからお前がキレてんな。大体お前は何も言われて────はは、あははっ」
「なんで笑うの。笑うとこあった?」
「お前には関係ない。でもありがとな」
「え、うん──」
彼の目はここではないどこかを見ているように細められ、それが何なのか、彼女には見当もつかなかったが、聞いていいようにも感じられず、違う話を振っていた。
「ゴルくん、平気? さっきのことじゃないよ」
「まっすぐ向かってくれたらな」
「わかった。任せて」
進み続けて教会に着く。
ここが情報源。
魂の解放とは浄化の行いの一つ。
要は管轄である。
中に入ると早速彼女は駆けていき、奥にいた若い司祭の元まで行って、事情を話し出す。
しかしすぐにうーむと唸り、渋い顔を見せられた。
「それが悪いんだけど、実のところ僕もこっちにきたばかりで────」
──もしかして、知らないのだろうか。
そんな落胆の色が無垢な瞳に覗くや、雷にでも打たれたような表情を司祭は一瞬見せ、わざとらしい咳払いが入った。
「オホン、んん、む?」
威厳を醸し出すような大仰な動作もして見せ、告げてくる。
「今啓示が降りました。魂の解放者達よ、西を目指しなさい。ニャムテーへと向かうのです」




