第29話 恐怖と絶望、咲いた赤い花
騎兵が通った跡に、女の子の姿はない。
どこかへ吹き飛んだようにも思えたが、背後に気配。
「残念。無駄な不意打ちごくろうさま」
振り向いたところをステッキで顔を殴打され、ビーティは床を転がる。
「ビーティ! こんのっ!」
「ゆるさない!」
傍のレトリ、ウルフがナイフの柄で同時攻撃を仕掛けるが、女の子は消え、空を切る。
「え、いない……」
「レトリ! あっちだ!」
元の位置に立っており、嘲笑うという言葉を絵に描いたような顔でこちらを見る。
「優しいのね。刃の方を向けてこないなんて。人を刺すのは怖い?」
「……、怖いよ。当たり前じゃん」
「そんなこと言ってるからあのぼけじじいに後れを取るのよ。便利な魔法は使えたようだけど。有効活用させて貰ってる」
「どういう意味」
「私は見れば全てを識れると、そういう意味。生まれつきそういう力を持ってる。正確には、私の身を蝕んでたクソのおかげなんだけど。そのせいで大変な苦労させられて、ほんと、殺したいくらい」
「ヴァンパイアだって言ってたのに。嘘つき」
「伝説の聖女とやらと思って? 今はそういう風に呼ばれてるのよね。昔は白き翼の聖女セラと呼ばれてたんだけど」
「そんなのみんな知ってるよ! でもみんな敬いの気持ちを持って、伝説の聖女様って」
「くっだらな。利用したいから崇めてただけ。ほんと笑える」
「そんなことない!」
「そんなことあるのよ、無知なレトリ。まあでも嘘を教えたことのお詫びに改めて、自己紹介をば。私は深淵の魔女クリフォト。元は天使の力を操る崇高なる聖女、今は悪魔と仲良くしてるそれって感じ。よろしく」
言葉の終わり際に横で動きを止めていた騎兵が、ケルベロスに噛み砕かれる。槍も踏み壊された。
「どうでもいい人形壊して、良い子ねバカ犬。操り手の方を噛み殺しなさい」
身の向きを更に変え、ケルベロスは突進。ウルフが咄嗟に直線状に割って入り、ナイフを捨てて武術の構えを取る。
「お前の相手はオレだ! ハィイッ!」
気合の乗った掛け声放ち、目前まで迫ってきたケルベロスの首の一つ目掛けて掌底を打ち込む。
手応えはあった。真ん中のを捉えており、頭を一振り、噛みつき返され身を躱す。
「なんてがんじょうさだ。へし折るつもりでやったのに」
驚きは隠せない。が、狙いを変えることには成功し、そのまま引き付け距離を取る。ビーティはその間にレトリが助け起こし、庇うように前に出た。
「絶体絶命のピンチのはずなのに、諦めるって気持ちは湧いてこなくて。みんな必死だから、わたしも必死になれる。勇気が凄く湧いてくる」
「……、私は正直もう何もできない。それでも同じこと言える?」
「諦めないで、ビーティ。多分勝てるから。ウルフ! 鎖鎌貸して!」
声を上げるや即座に飛んできて、掴み取る。駆け出すと、上で鎖を振り回して、彼女はクリフォト目掛けて突撃。
「わたしにだけは手が出せない。だからわたしから力を奪って何もできなくした。後ろを取ってみろ!」
「馬鹿? ああ、馬鹿だったわね。――孤独を奏でる、夜の帳」
急に目の前が真っ暗になり、彼女はすっ転ぶ。見えない、なんにも見えないと今にも泣きそうな声が上がり、嘲笑がこだまする。
「アッハハハハハハ。バーカ。滑稽過ぎてお腹がよじれそう。どうしてそんなにお馬鹿なの。人を笑わせる名人だったのね。そこで無様に泣き喚いてなさい。可哀想なレトリ」
クリフォトは傍まで眺めに行き、無様な姿を軽く堪能して、横を見る。
「あのバカ犬はすぐに命令無視をする。味方の馬鹿はムカツクわね」
「馬鹿はお前だよ」
演技をしていたレトリが身を起こし、鎖を放って、クリフォトに巻きつけ拘束した。
「今だよゴルくん! やっちゃって!」
締め上げているところに駆動音響かせ駆けつけ、彼はクリフォトにとびつく。
顔には凶悪な笑みを浮かべ、眩い光に身を包む。
「でかした、レトリ。これも魔導兵器の括りではあるが、早い話がダイナマイトだ。一緒に吹っ飛ぼうぜ。冥府へ帰りな。深淵の魔女」
大爆発が起きる。巻き添えをくった彼女も吹っ飛ぶが、強靭な肉体で耐え抜き、大きな負傷もなく身を起こす。
「これなら――」
視界を覆っていた闇も晴れており、後に残った煙を見つめ、しばし。
薄っすら中の様子が見えてきて、横たわり消滅していくクリフォトの姿が映った。
「ゴルくん!」
同時に傍に倒れた彼も映り、慌てて駆け寄った。
「大丈夫! しっかりして!」
「あの魔女、くたばったか?」
「うん。倒したよ。ゴルくんのおかげだね」
「何言ってんだ。お前の、おかげだよ」
残るは、一匹。呆然自失のようにがん首揃えてクリフォトの果てた一点を見つめて動きを止めており、隙だらけの腹にウルフのナイフが突き立つ。ように見えたが刃が折れ刺さらず。
「なんてかたい毛だ。岩みたいだ」
ならばと拳の連打を叩きこみ、フィニッシュの鉄山靠もお見舞いしたが、微動だにしない。見上げた。
「だめか。オレじゃ勝てない」
「何勝手に諦めてんの! あとはあんたがそいつを仕留めれば勝ちなのよ! 殴って殴って、殴り倒しなさーい!」
「お、おおう! ハイヤアアアッ!」
ビーティの喝で気合の入った掛け声と共にもう一度、連撃コンボを決めるが、やはり効果はなく、ケルベロスはその場からとびのき、大聖堂の奥へと駆けていく。
ぱちぱち、とそこから拍手の音がして、皆は目を疑う。息を呑んで凍りついた。
「すごいすごい。見事な作戦ごくろうさま。無駄な努力もごくろうさま」
倒したはずのクリフォトがおり、指を鳴らす。すると横に瓜二つの人物が現れ、次の瞬間、溶け消えた。
「これがカラクリ。理解できた? なんて顔してるのよ。ふふ、あはは、アッハハハハハハ」
大きな笑い声響き渡り、皆の心に差していた希望の光もまた消えていく。
同時に別の感情が際限なく湧きあがり、取りこまれ、呑まれていった。
それは恐怖や絶望といったもので、内も外も塗り固められていき、抗う意思を奪い取られていく。
「さあ本番はこれから。めげずに頑張ったら♪」
そう易々と這い上がれる場所に心はない。
光の見えない深淵にでも囚われたようで、沈黙だけが返され、クリフォトはそれを当然のことのように思う目を向けながら、ケルベロスをひと撫で。とろんとした顔付きで座り込む。
そのさまを見つめる四人は、その時確かに死神の息遣いが傍でするのを感じた。
「もう、言うこと聞かない子ね。私はさっきなんて命じた。誰を噛み殺せって言ったの。ほら、今は一人。食べ頃じゃない♪」
食べてヨシ、と最後に言い放たれた言葉で、ケルベロスの目の色が変わる。
起き上がって、唸り声を上げた。次の瞬間、駆け跳ね、それはまさに一瞬の出来事。
ビーティの前に躍り出て、口を開ける。牙をもたげ、噛みついた。
「ビーティ!」
彼女の名を叫び、とびこんできたウルフにだ。
「ウルフ!」
咥え込み、牙が突き立つのが見えた直後、彼女は浮遊感を感じ、腕の中にいた。
見上げた視線に映ったのは、噛まれたはずのウルフであり、汗を垂らして息を上げる。
「あぶなかった。身代わりのマントがなかったら、食われてた。でも武器もいっしょに食われたな」
「――い、いいから早く逃げろ! ほら早く足を動かせ!」
「そうだった。今はにげる!」
ケルベロスの猛追くるが、ウルフも俊敏。死に物狂いで三つ首の牙を避け躱す。
何とか凌ぐその横では、ゴルが身を起こし、レトリに掴まり立って、転がる棒を見ていた。
「レトリ。あれを取ってきてくれないか。ナイトが使ってた槍の柄だ」
「え、う、うん」
砕かれ今は本当にただの棒きれだが、杖として使う分には申し分なし。
言われた通り取りに向かい、渡すと、その直後に彼女は、思わぬ行動を目にして両目を見開くことになる。
穏やかな顔をした彼に、優しく頭を撫でられたのだ。
「お前は殺されることはないんだ。また乗っ取られたって、また取り返してやればいい。できるだろ、お前なら」
「――――、嫌だよ。ゴルくん、絶対駄目なこと考えてる」
「らしくないよな。生きろよ、レトリ」
それはどういう意味なのか。彼女は待ってと言おうとしたが、碌に言葉にならず、口に出たのは前の部分のほんの少しだけ。思わず伸ばした手はむなしく空を掴み、彼は行ってしまう。
床を棒で突いて跳ね、驚くほどの速さで移動をしてクリフォトの前まで行き、最後に一番高く跳び上がって、棒を上に振りかぶった。
「悪あがきくらいはさせて貰うぞ! この性悪魔女がっ!」
「そういえばあの時の借りを返すの、すっかり忘れてたわ」
命を吸い取る、奈落の蔓。そんな言葉が静かに響き、床から伸びた無数の茨がアーチ状に広がって彼の身を捉え、腹を刺し貫き、吊るし上げる。赤い花でもつけるかのように血が散って、滴る。