第1話 少女の出会い
「うそ、宝石?」
その日、宝石のように綺麗な石を拾った。
丸くて、黒く輝いて、運命を変えるものだった。
「おぉ、レトリ。おはよう」
「おはよー!」
「今日も朝早くからお手伝いかい?」
「うん。ローフさんとこ! 二人共待ってると思うから、またね!」
急いで行かなきゃと、レトリは駆ける。
走り抜けていく短い石橋の下には、穏やかな流れを作る川があり、その畔には、春の訪れを告げるように色取り取りの花が咲く。
周囲には、煙突の先から煙を上げる石積みの家が立ち並び、明朝から囀り始めた小鳥達も一息入れる頃合い、正午前。
町の外れからしていた田畑を打つクワの音も止む。それを地面に立てて、彼女は汗を拭う。
「ふぅ。おじさん、おばさん。こんなものでいい?」
「ああ、十分さ」
「最後まで手伝って貰って悪いわねぇ」
「いい、いい。お手伝いするのって、楽しいし」
そう言って浮かべた眩しい笑みに返ってくるのは、夫妻の朗らかな笑みであり、礼として、山のように受け取った野菜を抱えて向かうのは、教会の傍にある孤児院。
外では、沢山の子供達が遊んでおり、彼女の持つ大量の野菜を見て、はしゃいだ声を上げる。
「すごーい!」
「レトリはちからもち!」
「相変わらずのバカ力。よくこんなに抱えてこれるもんだ……」
「レトリ、レトリ、あそんでー」
「はいはい、これ運び終わったらね♪」
ここ、メープル孤児院を管理するのは、老齢のシスターであり、もとまで向かう。
「見てこれ! こんなにいっぱい貰っちゃった!」
「沢山お手伝いに行っていましたからねぇ。ローフ夫妻も喜んでいましたよ」
「知ってる。わたしが手伝うと畑仕事が何倍も楽になるんだって」
「レトリは生まれつき力持ちですからね。今までその力に、私も何度も助けられました」
「感謝してるのは、わたしの方だって。ありがとう、シスター」
野菜をどかりと下ろすと、レトリは走っていって、シスターの胸に飛び込む。優しく抱き留められて、涙ぐむ。
ここを立つ日が来たのだ。
少し前に十二の歳を迎えたばかり。まだ子供ではあるが、子供でなければ務まらぬ役目もある。
服の下にしまう拾った石を付けたペンダント。
それは新たな道の始まりを示す。
その石は、持ち主を選ぶ。そして、力を与える。
栄誉ある使命を与える儀式は教会にて執り行なわれ、既に祝福も受けて、あとはそれを行う場所へと向かうのみ。
「モンスターの落とす核って、お金に変わるんだって。わたしの持ってるこれも、売ったら良かったかな……」
「その核に選ばれなかったのなら、それも良かったでしょう。ですが――」
「うん。わたしが拾うように神様が落としたんだもん」
「ええ。導きに従いなさい。それがあなたの運命なのです」
「嬉しい気持ちもあるけど、不安な気持ちもあって」
「今生の別れになるわけではありません」
「こんじょうって?」
「ずっと、永遠に会えなくなるわけではないのです。やっぱり駄目だと思ったら、帰ってきなさい」
「――そうする。お母さん」
いつもはそんな呼び方はしないが、今は別。
二人きり。独り占めできる。皆の育ての親を。
甘えるだけ甘えて、寂しさを振り払うようにレトリは涙を拭った。笑みを浮かべる。
「立派な魂の解放者になってくる。行ってくるね! お母さん」
「ええ、いってらっしゃい。あなたに神のご加護があらんことを」
外に出て、軽く皆の遊びに付き合ったあと、今日出ていくことを切り出したら、大騒ぎ。しかし致し方なし。いつかは言わねばならないことだ。
「えぐっ、れどり、れどりぃ、いがないでぇ」
「そうだぞレトリ! そういうのは、もっと前に言えよな。そしたらみんなで、気持ちよく送り出せたのに」
大きい子は愚痴りつつも理解を示してくれる感じではあるが、小さい子はそうもいかない。
あとから出てきたシスターがその場をとりなしてくれ、ひと安堵。
別れを惜しんで皆と抱擁を交わし、手を振って、新たな一歩を踏み出す。
「じゃあね、みんな! わたし頑張るから!」
その時、泣いている子は、もう一人もいなかった。母の得意技だ。見習いたいものである。
一気にトップギアまで加速し、町を駆けていく。
速い。いいや、人間離れした足の速さであり、そのせいでブレーキが効かず、通りに出た際、危うく人と衝突しかけた。
「わわ! ごめんなさい! 今急いでて」
「レトリ、そんなに慌ててどこへ行くんだい?」
「ラビリンス!」
怨みのような強い未練を残した魂は、天へと昇ることなく瘴気漂う穢れた墓標へ集う。
突如として現れるそれの名を、ラビリンス。姿を変え、真っ黒なモンスターとなった魂が蔓延る死者の園。
「おーい! レトリー! 暇なら少し店を手伝っていってくれないかー!」
「わたし魂の解放者になったの! 今から町の傍のラビリンスに行くの!」
「な、なんだとぉ!? お前、一人で大丈夫なのかぁ!?」
「大丈夫かどうかはわかんないけど、みんな見えないじゃん!」
そこで倒されたモンスターが落とすものが、彼女が首に飾るペンダントに付けた石であり、一般的な呼び名は『核』。
その核に選ばれた者は『魂の解放者』と呼ばれ、ラビリンスに囚われた魂を解放する役目を担う。
大人は、なることができない。どころかラビリンスを見ることすら敵わず、入るなど以ての外。
成人を迎える十五の歳辺りが見える限界ラインであり、適齢は彼女の歳くらいか。
町を出て、野を少し駆け、前に広がる森へ入るなり、漂い始めた黒い瘴気がその目印。
近い所にできたゆえ、慌ただしく出発したところがある。
瘴気は日を追うごとに範囲を広げ、一定の所で止まりはするが、もしこの淀んだ空気が町の方まで流れてくれば、町は疫病に満たされよう。
阻止する為には、できたラビリンスを統べる親玉を倒し、全ての魂を解き放つ必要がある。
しだいに朽ちた木々が目立つようになり、視界が開けてくる。見上げるほどの巨大な建造物が目に飛び込む。形は正四角錘。ピラミッド型。
「うわ、おっきぃー……」
大きく開いた入り口と、そこに続く階段も見えるが、のぼるには勇気がいった。
呆然と眺め、ただ立ち尽くしていると、コツ、コツと、杖をつくような音が後ろでする。振り返った。
老人が頭に浮かんでいたが、来るはずもない。
そこにいたのは、同い年くらいの男の子であり、ここらでは見ないようなお洒落な服を着て、身嗜みも整い、垢抜けた感じが都会の子に映る。
「あなたも、魂の解放者――?」
声を掛けても無視だ。どころか目にすら入っていないように、横を素通り。
ただ彼女もそれくらいでめげる子でもなく、持ち前の明るさを発揮し、隣に並んで、もう一度。
「あなたも魂の解放者? ねぇ、無視しないで。おーい、聞こえてないのー? 今日は話したくない気分なのかな?」
無言だ。
「もしかして、耳が聞こえてないとか」
前に出て、動作で伝えようとすると、溜息が落ちた。
「しつこい奴だな。無視しているのがわからないか」
「えぇー、わざとしてたの。ひどいじゃん」
「関わり合いになるのが嫌なだけだ。俺は急いでるんだ。どいてくれ」
「名前はなんて言うの? わたしはレトリ」
「話を聞いていないのか」
「いいじゃん。名前くらい教えてくれたって。あなたもこれに選ばれた、魂の解放者なんだよね?」
ペンダントを服の下から出し、見せるが、また溜息を落とされ、あげく、突き飛ばされた。
「邪魔をするな! 俺は選ばれたんじゃない、俺が選んだんだ。使えそうな奴をな」
尻餅ついて、呆気に取られていると、階段をのぼり始めた彼の体から突然眩い光が発せられる。
「いくぞ、魔導兵士」
そんな言葉が聞こえ、彼の腕や脚を機械が覆い、後ろに投げ捨てられた杖が、妙に重たい音を立てた。
直後、シュィーンと不思議な音が鳴り渡り、瞬く間に彼はいなくなる。足で駆けて行ったようにも見えたし、地面を滑って行ったようにも見えた。
「何今の……。もしかして、核の力?」
そうとしか思えない。使い方なら知っている。
ずっと前から扱ってきたように、魂の解放者となった瞬間、理解した。あれは不思議な感覚だった。
「わたしも、やってみようかな」
膝を立てて、土を払う。
階段をのぼりつつ胸に手を置いた。
頭に浮かぶ言葉を心静かに口にする。
「力を貸して。ヴァンパイア」