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転生悪女は義弟に溺愛される〜改心して今度こそ皇太子と婚約する予定だったのにどうしてこうなった!?〜

作者: 河野


「俺じゃ、ダメ?」


穏やかなはずのティータイムに響く、ギルロイドの声。

転生して5年、やっとの思いで更生した私を周囲が受け入れてくれ始めて、皇太子殿下との婚約話も軌道に乗っていたという頃に…どうしてこうなった―――!?



***



「---はっ、ここは?!」


12歳の誕生日の朝、唐突に前世を思い出し、寂れた病室のベッドの最後の記憶を思い出した私、ユリア。

ズキッと頭が痛んで、ユリアとしての人生と前世の人生の記憶が交差していく。

そして前世の多くを過ごしたベッドでの生活の中で読みふけっていた小説の世界に転生したと瞬時に理解した、それも悪役令嬢に!

ユリアは、それはもう我儘放題で侯爵令嬢という身分を笠に着た悪役にふさわしすぎるほどの嫌な娘だった。

周りの自分より身分の低い家の者には嫌がらせをし、顔のいい男とみると色目を使い、家でも使用人を軽んじ、それらと同じように侯爵家を継ぐために養子に迎えられた義弟をいじめつくす―――最低最悪な悪女だ。


「よりによって、悪役令嬢に転生するなんて…!」


鏡を見て絶望に暮れる私、紫色の艶やかな髪は腰の長さまであり、アメジスト色の瞳がクリっと輝く、見目だけは良い、この極悪令嬢の人生をこれからどう生きるべきか。

私は起き上がると同時に机に向かい、紙とペンを取り出し、思い出せる限りの小説の要点を書きだした。

ユリアは、侯爵令嬢という身分とその我儘によって皇太子殿下との婚約を幼いに取り付け、皇太子殿下の婚約者としてふんぞり返る日々を送っていた。

そして皇太子殿下と親しい仲の令嬢を苛め抜いた末に婚約破棄を言い渡される。

加えて、その時期に家で散々冷遇していた義弟が事業に大成功し、侯爵家でのユリアの立場が悪くなり、それに憤慨し暴れまわった末に侯爵家からも追い出されて国外追放される―――。

それらのざまぁ展開が待っているのはユリアが18歳の結婚ができる年齢になったころだ。

今はまだ12歳の誕生日、まだ間に合う…!そう、ここからはしっかり改心してバッドエンドのフラグを回避していくしかない。

まずは、現在のユリアの家での振る舞いを改めるところから始めなければ。

私の今の頭にある記憶によると、既に我儘放題ははじまっており、使用人には挨拶も返事もしなければ、お礼や謝罪など生まれてから今まで口にしたことなどないのではないだろうかと思えるほど記憶にない。

私付きのメイドは私の癇癪に耐えかねて短期間でコロコロと人員が入れ替わる。

特に私を国外追放する義弟・ギルロイドとは良好な関係を築きなおすのが喫緊の課題だ。

そんな時、コンコンとノックが聞こえる。ハッとして、小説のストーリーを書きなぐった紙を引き出しに慌ててしまい、扉に向き変える。


「どっ、どうぞっ」


ノックの音に慌てて返事をする私。返事をした私の声に驚いたようにドアが揺れたあとに遠慮がちに扉が開いた。


「お嬢様、お目覚めでございましたか。おはようございます。」


カラカラ…とティートローリーを押してメイドがモーニングティーを運んできた。


「あ、あら、ありがとう。おはよう…えっと…サシャ?」


記憶をたどり、いつもお茶を運んでくれるメイドの名前を思い出し、口にする。

ビクッとメイドの肩が揺れ、一生ぶりのお礼と朝の挨拶と名前を呼ばれたことに目を見開く。

我ながら驚かれるのも無理がないほどにこれまでの人生が劣悪であったことを猛省しながら、こちらも思い出したばかりの記憶を頼りに、冷や汗をかきながら恐る恐る接する。


「めっ、滅相もございません…っ」


がばっと大げさなまでに頭を下げたサシャに、慌てて頭を上げるように言う。


「その、今まで、悪かったわ…」

「えっ」

「私も今日で12歳だし、心を入れ替えて真っ当に生きていきたいと思うの…!だから、今までごめんなさい…!」

「そ、そんな…っ」


私の突然の謝罪と宣言に、驚きを通り越してほぼ怯えている状態のサシャ。きっと天変地異といった感覚であろうことは想像に難くない。


「今朝は、お父様とお母様、それとギルも朝食にくるかしら…?」

「は、はい…っそのように伺っております…!」

「みんなにも、ちゃんと言わなくちゃ…」


驚きのあまり涙目になっているサシャを労わりつつ、何を言ってもむしろ脅しのように聞こえているようだから申し訳なくなって身支度を手伝ってもらった後は早々に退室してもらった。

なんだか挨拶をするだけで怯えられるのも既にハードモード感がぬぐえない。

しかし、心新たにここからやり直していくしかない!そう思って私は朝食へ向かう。



「お父様、お母様、ギル、おはようございます。」



記憶にあるだけで大してしたことのないカーテシーを披露する、私。

食卓に座る両親と義弟に挨拶をしただけで、みな目を見開いて絶句している。

少し間があってから、お父様が口を開く。


「お、おはよう…ユリア。」


それにつられたようにお母様も、おはよう、と返事をする。

しかし肝心のギルロイドは驚きのためか疑いの姿勢を崩さず黙り込んだのち、一番最後に小さく「おはようございます」と絞り出すように言った。


「みなさま、今までの私の言動について…深く反省しております。言葉では済まされないことも承知しておりますが、まずは謝罪をさせてください。ごめんなさい。」


使用人を含めたそこにいる人皆に目を向け、深く頭を下げた。


「今日で12歳となりました。今まで好き勝手してきて本当にごめんなさい…これからは侯爵家の名に泥を塗らぬよう努めて精進してまいります…。簡単には信じてもらえないと思いますが、どうか、よろしくお願いします…!」


私はそういうともう一度深く頭を下げて、震える両手でスカートを握りしめた。

散々暴れ倒してきた記憶があるだけに、うすっぺらな謝罪でみんなの印象が変わるとは思えない。簡単には受け入れてもらえないことを覚悟して、手が震える。それでも謝るところから始めなければ。



***



「今朝のは、どういう風の吹き回しですか?」


剣術の稽古をするギルロイドに差し入れのクッキーを持ってきたら、声をかける前に先に彼が口を開いた。

稽古のためかいた汗をぬぐって、私に向きかえり、一歩ずつ近づいてくる。呆れたような怒ったような疑うような視線が痛い。


「あ…っ、えっと…本当に、今までごめんなさい…ギルには、特に…きつく当たってきて…謝って許されることではないとは分かっているけど、まずは謝らせてほしくて…!本当にごめんなさい!」

「はっ、誕生日に何かの遊びですか?」

「そ、そうじゃなくて…!本当に、本当に申し訳ないと思っていて!図々しいとは思うけれど、本当に…これからはギルと仲良くなりたいと思っているの…!」


疑いの目が緩むことはなく、結局この日は渡しにいった差し入れのクッキーも受け取ってくれることはなく無駄になってしまった。

そして次の日も、その次の日も、剣術の稽古・馬術の稽古・勉強の合間にことあるごとにギルロイドのもとに差し入れという名目で会いに行った。

かくいう私もお父様にお願いして、これまで散々嫌がっていた家庭教師付きの勉強やサボり倒していた馬術の稽古などを改めてさせてもらえるように頼み、まじめにそれらに取り組むと意外と時間の余裕がなく、ギルロイドの差し入れに行く時間もまばらで毎回虚を突くような形になってしまっていた。


そうして通常の侯爵令嬢らしいタイムスケジュールで日々を過ごすようになって、私が比較的マシなコミュニケーションができるようになって、1カ月がたった。


お父様とお母様は、12歳になって少し大人になったのだと色々な戸惑いを飲み込んで受け入れてくれるようになりはじめていた。

家庭教師をもう一度つけてほしいとお願いした時も、庭園の散歩中に庭師の仕事を褒めた時も、食事の時に好き嫌いを一切せずなんでも食べるようになったことも、どの出来事も初めの一度目・二度目と目を見開いて、そんなに目を見開いたら目が落ちるのではないかと思えるほど驚いていたけれど、一カ月も大人しく令嬢らしく過ごしていると両親は戸惑いながらも我が子の成長と思い、緩やかな受け入れ態勢をみせてくれるようになったのだ。


「そろそろ飽きたと思っていたのですが、まだ続けるのですか?」

「昨日はたまたまお稽古の時間が合わなくて来れなかっただけなの。今日はマフィンを焼いてきたの、よかったら食べてほしくて…。」

「父上も母上も、義姉さんには甘いですからね」


1カ月ほぼ欠かさずギルロイドに差し入れを持ってきていたものの、たまたま昨日だけ都合が合わずに受け取ってもらえない差し入れを持ってくることができなかったのだ。

未だギルロイドが差し入れを受け取ってくれたことはない。

時には毒を混入したのではないか?と疑われ、時には何かの悪事の片棒を担がされるのか?と疑われ、なかなか差し入れという行為自体を素直に認めてくれなかったのだ。

とはいっても、ギルロイドに嫌われていることは当然すぎるほどに苛め抜いてきた過去があるから尤もといえば尤もな反応だった。

彼が父に剣術を褒められれば剣を隠し、母に服をプレゼントされたと知れば服をハサミで切りつけたり、彼の熱心な勉強態度が気に入らないという理由で教科書を破いたり水浸しにしたりと散々な行いをしてきた。

そんな日々を長年続けられてきて、たった1カ月差し入れを持ってきた程度で許されるものではない。

彼が大きな戸惑いと憎しみの中にいることは想像にたやすかった。

そうして、半年の時が流れた。




***




「ギル、お疲れ様。今日はマドレーヌを持ってきたの。よかったら―――」

「---はぁ、飽きませんね。」


今日は剣術の稽古おわりに差し入れに来た。改心をしてから半年の中、ほぼ毎日時間を見つけてはギルロイドのもとを訪れていた。

タオルで汗をぬぐって、私の方を向いて近づいてくるギルロイド。

以前はお菓子や飲み物を払いのけられたり、目の前で捨てられたり、存在を無視されたりとバリエーション豊かにスルーされる日々だったが、とうやら今日は違うようだった。

ここ最近は、私の勤勉な態度に家庭教師たちも見違えるように関心を示してくれ、両親にも褒められることが増え、使用人たちからの態度も一変してよくなっていた。

その様子を遠目に見ていたギルロイドも、少しずつ変化が表れていた。食事の席で会っても鋭い視線を向けてくることが減ったように感じていた。そして今日だ。


「…体を動かした後に重めのお菓子は喉が渇きます」

「…えっ」

「できれば、軽いものか水程度でお願いします」

「う、受け取ってくれるの?」

「…そうでなければ明日もまた来るんでしょう?」

「も、もちろん!明日も来るわ!」

「はぁ、…でしたら、明日は飲み物でお願いします」


パァッと私は目を輝かせ、飛び跳ねるように喜びを表現しながら、元気よく返事をした。

ギルロイドは仕方なさそうな、呆れたような、複雑そうな顔をしながら、それでもマドレーヌの入った籠を受け取ってくれた。

それから、翌日も、そのまた翌日も、私はギルロイドに会いに行った。

そうしてまた一年の時がたった。


「昨日はフロランタンだったから、今日はアーモンドクッキーにしたわ」

「よくもまぁ授業が終わった途端タイミングよく来れるものですね」

「ふふっ、前もって先生に聞いているの。頭を使った後は甘いものがいいでしょ?」

「時間に合わせて作らされるパティシエもいい迷惑でしょうね」

「あらいやだ、ちゃんと毎回自分で作っているわ」

「え?まさか。義姉さんが?」

「これでもお菓子作りは得意なの。」


差し入れを受け取ってくれるようになり、そして長い時間をかけて、今では差し入れを一緒に食べて他愛もない会話をしてくれるようになった。いまだに棘のある物言いはあるけれど、無視されたり鋭い視線に刺されていたころを思うと大違いだ。


「ふふ、ギルが受け取ってくれない間は勿体なくて自分で食べていたし、試行錯誤する時間はたっぷりあったからね」

「…まぁ毒を盛られると思っていましたから」

「ひどいわ。でも、そうね、今こうしてお喋りしてくれるだけで毎日嬉しいわ」


にこにこと私は笑みを抑えられず、ギルロイドと話しながらお菓子を食べられる日課を十二分に楽しんでいる。

ギルロイドも好き嫌いなく、もってきた差し入れはいつも食べてくれる。

初めのころは食べる姿を見せてもくれなかったが、今では一緒に話しながら食べることに躊躇いがように受け入れてくれて本当に感謝している。


「差し入れを持ってくるたびに、ギルが何事にも一生懸命に取り組んでいることがわかるし、自慢の弟だということが毎日感じられて幸せなの。頭もいいし顔もいいし何でもできるし努力家だし誠実だし、我が家は将来安泰だわ」


私はガッツポーズをしながら誇らしげに言ってみせる。

少し驚いたような表情をしながら、ギルロイドは口を開く。


「はは、義姉さんだって家庭教師からの評判はいいでしょう。」

「まだまだよ、今までサボってきた分がんばらなくちゃ!それに…」


パタパタパタと足音が聞こえて、メイドのサシャが失礼しますと声をかけてきた。


「ユリアお嬢様、皇太子殿下がお見えです。」

「えっ、もうそんな時間!?大変!行かなくちゃっ」


ギルロイドとの会話の途中で、侯爵邸に皇太子殿下が来たことを伝えられる。

そう、私はこの2年ほどの間に侯爵邸での地位回復とともに、皇太子殿下との関係も修復に努めていた。

そもそも皇太子殿下に近寄るご令嬢方に嫌がらせをして回り婚約破棄をされたことから私のバッドエンドが始まるのだから、ギルロイドに国外追放される前に皇太子殿下との関係も良好でなければならない。

あるいは婚約破棄にしてももっと穏やかな円満な形での婚約破棄を所望するところだ。


「義姉さん、―――」

「ごめんね、ギル。行かなくちゃ、明日もきっと来るから。またね」


そういって私はギルロイドのもとを離れ、急いで応接室の方へ歩いていく。


「―――本当は、婚約なんてしなくてもいいのに」


ぼそっとギルロイドはつぶやいたが、そのつぶやきが誰に聞こえることもなく小さく消えていった。



***



「シュナイゼル殿下、ごきげんよう」

「ああ、ユリア嬢。今日も可憐で素敵ですね」

「い、いえっ、そんな…!あ、ありがとうございます…っ」



金髪のさらさらストレートの短髪が揺れて、優しい笑顔の美少年がそこにいた。

シュナイゼル皇太子殿下は、ユリアの転生前に侯爵家と王家の関係を良好に保つことを建前に私の我儘によって結ばされた婚約によって婚約者となったのだった。

王家にとっては侯爵家の中でも特に裕福で貴族の中でも顔の効く我が家との関係は良好であるに越したことはなく、私との婚約は悪い条件ではなかった。

小説の中では、とはいえ散々な悪女だったユリアが愛想をつかされただけでシュナイゼル殿下はよくできた王子様だった。

14歳になった今、私は比較的良好な関係をシュナイゼル皇太子殿下と築けてきていると思っている。

しかし、転生した今となっては猛烈な恋心や一目ぼれの余韻はなく、12歳までの熱烈なアピールもすっかりしなくなった私としてはこの婚約話をどうするべきかも迷っている。

ひとまず断罪されては困るので婚約破棄はされないように、皇太子殿下に気に入られるに越したことはないのだが…。


「今日のドレスも似合っていますね。君の紫の綺麗な髪と相まって、まるでライラックの花のようです」

「そ、そんな…あ、ありがとうございます…っ」

「そういえば、君の言っていた王都で人気のケーキ屋で買ったお土産を持ってきました。よければ一緒に?」

「えっ、あの行列のできるお店の…!?よ、よろこんで…っ」


12歳までの皇太子殿下とは形ばかりの婚約で私からの猛烈なアピールによって嫌々ながらも数カ月に一度会う程度の関係だった。

幸いにもまだ12歳頃の私は皇太子殿下の周囲の女性関係に疎く、周囲への嫌がらせは最低限だったようだ。

とはいえ、私が前世を思い出してからは忙しい日々を送りつつ、今後の関係も思案していたことからそれまで散々会いたいと言っていたにも拘らずパッタリと連絡をせずにいた。

あまりにも連絡をしないものだから不思議に思った皇太子殿下の方から社交辞令のようにお茶に誘われ、それからというもの月に一度は殿下とお茶の機会が設けられるようになった。


「君が社交界に出るころには、僕も気を引き締めなければいけませんね」

「? 殿下は礼儀作法も立ち居振る舞いもすべてが完璧です。お気になさることなど…?」

「ふふ、君の隣に立つんです。悪い虫がつかないように今から気が気ではありません」

「そ…、そんな…。いえ、えっと、気にしすぎです…」

「君はもう少し警戒心を育ててくれた方が僕としても安心なんですが、今のままの君も可愛らしくて。」

「で、殿下こそ、どの令嬢にも恋焦がれられる存在です…。きっと舞踏会では皆さんの相手をされて踊り疲れてしまうでしょうね」

「心外ですね、僕が踊るのは君だけです。君が疲れるほど踊りたいというのなら最後まで付き合うつもりですが。」


皇太子殿下がモテモテなのは、既に決まっている小説のストーリーだ。

小説でも婚約者のユリアというキャラクターがいるにも拘らずシュナイゼル殿下を想う令嬢は後を絶たず、色目を使おうものなら片っ端からユリアが嫌がらせをして回るのだ。

それにしても、小説で皇太子殿下が愛をささやくのはヒロインに対してだけのはずが、いまや私に対して甘々になっているのが有難いながら不思議だ。


ご歓談中失礼します、と殿下の側近がノックとともに顔を出す。

そろそろお時間です殿下、と静かに声をかけられ殿下は時計に目をやる。


「あっという間ですね、もっと君との時間を楽しみたいのに。すみません。」

「い、いいえっ。殿下がお忙しいのは存じております、どうかお気になさらず」


慌てて立ち上がり、殿下のお見送りに行こうと扉を開ける。

そのまま殿下を侯爵邸の門まで見送ろうとしたとき、廊下にいたギルロイドとすれ違った。

本来なら道を開け、頭を下げるところであろうが、ギルロイドはそんな気配もなくそれどころかシュナイゼル殿下を睨んでその姿を見送った。

そのギルロイドの視線に、私は気付くことなく殿下のお見送りを終えた。



***



そうして、私は16歳を迎え、今では侯爵邸のだれもが私を怯えることなく普通に接してくれている。

12歳までの傍若無人ぶりは若気の至りということで皆納得しているようだった。

そんな私も社交界に出るようになり、これまで家庭教師に習ってきた礼儀作法が試されていた。とはいえ、大事な場では婚約者ということでシュナイゼル殿下とともに出席することが大半なので、主に彼の傍で立っていればよかった。

そして、16歳になった今も日々の日課、ギルロイドとのお茶は続いていた。

いつしかギルロイドも差し入れを心待ちにしてくれるようになり、二人にとってこの日常はかけがえのない時間となっていた。


「ギル、今日もお疲れさま」

「義姉さんも。今日のお菓子はなに?」

「ふふ、今日はマカロンにしたわ。フランボワーズが特に自信作よ」

「いいね、仕事を頑張った甲斐があるよ」

「ギルは本当にすごいわ。私と一歳しか違わないのにすっかりお父様の右腕だわ」


そう、15歳にしてギルロイドはすでに頭角を現しており、侯爵家の事業の手伝いをしている。

私はというと一応皇太子殿下の婚約者ということで妃教育が始まり、王家の勉強にも力が入っている。皇太子殿下と結婚すれば、侯爵家は出ていくことになるし、今家の仕事を手伝う余裕がないくらいには忙しく日々をこなしている。

そんなそこそこ忙しい私たちの息抜きの時間がこのティータイムなのである。


「義姉さんこそ、16歳の勉強範囲をとっくに超えていてがんばってるんでしょ」

「シュナイゼル殿下はもっと先を学ばれてらっしゃるから遅いくらいよ」

「…ねぇ、義姉さん。」

「なぁに?」

「…」


16歳の私と、15歳のギルロイド、皇太子殿下の婚約者と次期侯爵の姉と義弟。

ギルロイドは、話しかけて躊躇ったように口をつぐんで、黙り込む。

どうしたの?と顔を覗き込むと、小さく息を吐いてギルロイドの視線が私に戻ってくる。


「義姉さんは、殿下のことをどう思ってるの?」

「どうって?」

「俺には、義姉さんが殿下のことをそれほど好きなようには見えないんだけど?」

「そんなこと……」


言いかけて今度は私が口をつぐむ。

確かに12歳まではユリアの熱烈なアピールによって婚約するほどに一方的な強烈な好意がそこにはあったけれど、転生してから断罪回避程度には好かれようと思うくらいで、実質私はシュナイゼル殿下に恋をしているわけではない。

とはいえ、婚約を破棄するほどの切欠も理由もなくここまできてしまった。逆に、ここまで来たからには平穏無事に婚約・結婚をして、断罪されることなくハッピーエンドを迎えられれば…とそう思っていた。

改めて、皇太子殿下のことが好きかと聞かれれば、正直返答に困ってしまうのだ。


「そんなこと、ないでしょう?好きでもないのに、婚約してる意味ある?」

「だからって、婚約を望んだのは私だし…」

「そんな幼いころの子供みたいな約束、どっちが先かなんて関係ないでしょ」

「関係なくはないの、ギルだってわかってるでしょ。一国の皇太子の婚約なんだもの。」

「たかが婚約でしょ、結婚できる年齢でもなければ子供の時の約束だ。」

「でも、今更…。私が王家に嫁げば侯爵家だって安泰だし…。」

「今だからこそだよ。侯爵家は王家の後ろ盾がなくたって十分やっていける」

「ギル、どうしてそんなことを言うの?」

「義姉さんが幸せになるのに、皇太子殿下は必要ないよ」


きっぱりと言ってのけるギルロイド。

本格的な妃教育も始まり、社交界デビューも果たし、皇太子殿下の婚約者として周囲にも認知されている今、何のトラブルもない中で婚約を疑問視する方が今となってはおかしい状況だ。

そもそも高位貴族の結婚は政略結婚が多く、王家との結婚においても政略結婚が主だ。今更恋愛結婚に重きを置くのも不自然なのだ。

ギルロイドの主張はまかり通るようでいて不自然なのだ。


「…俺がもっと、力をつければいいのかな」


ぼそっと小さくギルロイドが呟いて、口元を隠すように頬杖をついた。




***




「来年になれば、君も結婚ができる歳になるね」

「え…っ!?そ、そうですね…」


17歳の誕生日を迎え、最近はというとシュナイゼル殿下とのティータイムが不定期とはいえ一カ月に一回以上にはなっていた。

幼いころは月に一回だったのに、殿下も成長して仕事が増え多忙さは増したはずなのにその合間を見つけては、私との時間を作ってくれている。

そしてもう一つの変化といえば、ギルロイドが本格的に家の事業を担うようになり、ギルロイドだけが興した事業も軌道に乗り始めていた。その手腕は目を見張るものがあり、お父様はもちろん周囲もその実力を認めてもてはやしていた。

そしてギルロイドも社交界によく顔を出すようになり、その人気もすさまじかった。

クールな黒髪に青い瞳で、どんな服でもスタイリッシュに着こなす様は義姉としても惚れ惚れするほどだ。ギルロイドも、16歳になり、可愛らしさの中にも少し大人びた風貌が見て取れるようになり、周りの令嬢も彼を放っておかない。

そして、今となってはギルロイドと私の関係はひどく良好で、幼少期の険悪さはうそのようで、今もちゃんと日課のティータイムは続いている。

また、舞踏会や夜会でシュナイゼル殿下が出席なさらないときは、忙しいだろうにわざわざギルロイドがエスコートするために参加してくれたりもするようになっていた。

社交界は事業を担ううえで情報を耳に入れておきたいとかいうけれど、本来はあまりにぎやかな場は好まないギルロイドだ。私のためとはいえ苦手な舞踏会に連れ添ってくれて感謝しかない。


「そういえば、来月のパーティも参加してくれますよね?」

「王城で開かれるパーティですよね?勿論です。」

「よかった。君がいないと退屈ですからね」

「そんな…!次から次へと皆さま殿下のもとにご挨拶に来られるではないですか」

「だからだよ、形だけのあいさつに微笑み続けるのも疲れるからね」


シュナイゼル殿下はふふ、と笑って私の手を取る。

シュナイゼル殿下との関係も良好だ。今のところ婚約破棄される兆しはないといっていいだろう。

元々のストーリーにおける、ユリアの壮絶な嫌がらせトラブルを起こしていないからだろう。

このまま順当にいけば、ざまぁされることもなく平和に日々が過ごせるのではないかと17歳になった私は胸をなでおろしていた。


「さて、今日はこの辺でお暇しようかな」


従者が殿下を呼びに来た様子だった。迎えの馬車が到着しているらしい。

はい、と私も立ち上がり殿下をお見送りするよう傍に控える。

応接間の扉を開けた瞬間、人影が見えて振り返るとギルロイドがいた。

殿下のお見送りに一緒に来る?とアイコンタクトをしたが、首を横に振られ簡単に断られる。まぁ仕方ないかと思い、私は殿下に向き直り、歩き出す。

ギルロイドは何故かシュナイゼル殿下のことをよく思っていない。

シュナイゼル殿下は皇太子という立場に甘えることなく真摯に努力しているように見受けられるし、特段貴族間でも大きな諍いも怒っていない今、殿下を嫌う理由もないだろうに。

以前ふとそんなことを聞いた気がしたが、別に、とだけ答えられ、二人に確執があるらしいことには触れられずにいた。


「ああ、ギルロイド。君の噂もよく耳にしますよ、侯爵家は盤石ですね」


ギルロイドの姿を確認したシュナイゼル殿下がにこやかな表情を見せて話しかけた。


「君の手腕は大したものだと。事業も成功していて素晴らしい事です」

「それは、…ありがとうございます。」


そっけないギルロイドの態度に、後ろで私がワタワタとジェスチャーをする。

“もっと愛想よくして!”とアイコンタクトを送るが、見えているはずなのにフイッと目をそらされる。

たったそれだけでギルロイドとシュナイゼル殿下の会話は終わってしまった。

最愛の義弟と婚約者である皇太子殿下が仲睦まじくいてくれれば言うこともないのだが、なぜだかいつも険悪でハラハラする。



***



「義姉さん、うちは別に王家の後ろ盾なんていらないよ」


サクッとクッキーを嚙む音が響いて、形の良い唇が口を開く。


「いい加減、婚約破棄しちゃいなよ」

「もう、ギルったら。シュナイゼル殿下とどうしてそんなに仲が悪いのかしら」

「気に食わないんだ、あのうすら笑い」

「ギルだけよ、そんなこというの。」

「…義姉さんが王家と関係を築かなくったって、王家は十分うちの恩恵を受けてる」

「うーん、皇室との関係もあるけど、今更特に婚約破棄の理由もないし」

「嫌だ、ってそれだけで十分だよ」

「別に嫌じゃないし…」

「じゃぁ殿下のことが好きなの?」

「それは…、わからないけど…素敵な方だとは思うわ」

「ほら、その程度の誰にでも言えそうな感想でしょ、義姉さんはこの家にいればいいよ」


17歳になってからというもの、ギルロイドはこの手の話に同じことの繰り返しだ。

以前よりも強気で、かつより殿下への態度が悪くなっている気がする。

侯爵家の事業はすこぶる順調で高位貴族からも羨まれるほどの成果を発揮している、ギルロイドのおかげで。


「でもじゃぁ結婚しないで私はどうするの?」

「どうするってこの家にいればいいじゃないか」

「家にいるっていったって、いつかは結婚しなくちゃいけないじゃない?今更殿下以外の誰と?」


「じゃぁ、俺と結婚すれば?」


ギルロイドが私の目を見ていった。そんな冗談を言われたのは初めてだ。


「えっ、な、なに言ってるのよ」

「結婚できるでしょ、血もつながってないし」

「そ、そういう問題…?」

「そういう問題でしょ、俺がいれば侯爵家は存続できる。義姉さんは隣にいてくれればいいよ。」

「さ、さすがに冗談が過ぎるわ、ギル」

「冗談じゃないからね」


手を首に当て、なだらかな黒髪から青い瞳がのぞき、私を見ている。

その目は笑うでもなく茶化すでもなく、じっと私の瞳をとらえていた。


「ねぇ、俺がここまで言えばわかってくれる?」

「え?」

「俺は義姉さんが誰より大切だよ、あんな奴に渡したくないくらいに」

「あんな奴って…」

「俺が義姉さんを一番よく知ってる、これからもこうして毎日お茶しようよ」


やわらかく笑うギルロイドにドキリとして、義弟に胸がはねたことに少しの戸惑いを覚える。


「あと一年で結婚できる歳になるってどこでもいうけど、それは俺とでもできるってことだよ」

「そ、それは…」

「わかるでしょ?」

「ま、待って…!色々おかしいわ…っどうしちゃったの?」


あまりの怒涛のギルロイドの言葉にいっぱいいっぱいになった私はタンマをかける。

少しずつギルロイドの体が私に近づいてくるのを察して、戸惑いが増す。

どうしちゃったの?か…とギルロイドは顎に手をかけ少し悩んだそぶりをすると再び口を開いた。


「もう、そろそろ我慢しなくてもいいかと思って。」

「が、我慢…?」

「養子ということに、俺一人で稼げないということに、引け目を感じていたけど、もう世間にも知れ渡るくらいには俺は次期侯爵としてやっていけてるんじゃないかと思うんだけど。」

「それは、…ギルは頑張っているわ、誰もが知ってるわ。立派よ」

「でしょ?そう思ってくれるなら、一人の男としても義姉さんを守れるようになったかなって。」

「一人の男として…」

「そう。王家と侯爵家の関係のために、好きでもない奴と結婚なんかしなくてもいい。そばには、俺がいるでしょ」


優しく微笑む彼の瞳には私が映っている。

もうきっと断罪イベントはやってこない。悪女ムーブをしていない私が皇太子殿下から突然の婚約破棄を言い渡されることも、その挙句に侯爵家の面汚しと嫌われ続けた義弟に国外追放されることも、きっとない。

改心した今度こそ皇太子殿下と平穏無事な婚約生活を経て、平和に結婚して暮らせるかと思いきや、ここにきて義弟からその生活に疑問が投じられた。

というか、ここにくるまで何度もその疑問を投げかけられていた。


「俺じゃ、ダメ?」


私の手にギルロイドの手が重なる。

こちらを見て様子をうかがうような表情を見せるが、反面強気なようにも見える。


「ダ、ダメとかそういうことじゃなくて…」

「どうして?義姉さんは今まで通りこの侯爵邸で平和に過ごしてくれればいいだけだよ」

「だって…その、突然のことだし…ギルは弟だし…」

「十分時間をかけたつもりだけど。でも考えてくれるなら、待つよ。」


そう言ってもう一枚、クッキーを手に取って、サクッとおいしそうな音がむなしく響く。

見たことないほどに柔らかく微笑んで、私の目を見た。

そして立ち上がって扉の方へ向かう背中で小さく彼の声が聞こえた。


「それに、遠くない未来に婚約者を選びなおす機会がくるだろうからね」


それだけいうと、ギルロイドはその場を去っていった。


顔が熱い。私の義弟はどうしてしまったのだろうか。

血がつながっていないとか、もう長く本当の弟だと思って可愛がってきた手前、義弟だということを殊更に主張されたことに戸惑いが大きい。

しかも、自分と結婚する気でいるとか考えもしていなかったから。

火照った顔を誤魔化すように私は手元に残ったクッキーに手をやった。

サクッと音がしては、先ほどのギルロイドの口元から同じ音がしたと思い出してボッとまた顔が熱くなる。



***



今日も私は妃教育を受けていた。

妃教育は、もちろん将来シュナイゼル皇太子殿下の妃となるための教育だ。

ギルロイドのプロポーズともとれる申し出を受けてからというもの、勉強に身が入らずにいた。


「ギルロイドったらどういうつもりかしら…」


頬杖をついてはぁ、とため息をつく。

コンコンとノックの音が聞こえて振り返ると、換気のために空けっぱなしだった扉によりかかって長い脚を組んで立っているギルロイドの姿があった。


「会ってないときも俺のことを考えてくれるなんて、うれしいな」

「ギル…!?」

「今日は俺の方から、お誘い。お茶でもどう?」


あの日からなんとなくギルロイドの態度から男性感を強く感じる。

キョドキョドとする私だが、逃げ場なんてない。それに相手は同じ家に住む義弟だ、逃げたところですぐに鉢合わせるのはわかりきっている。


「少しは俺のことを意識してくれるようになった?」

「意識って…」

「来年には結婚できる歳、それが俺でもいいでしょって話。」

「本気なの…?」

「もちろん、俺はずっと本気だよ。一人の男として、義姉さんを大切にしたいよ」


こんな甘いささやきをする義弟なんて知らない。

私の知る義弟の姿は今はなく、そこには一人の男として私を口説くギルロイドがいた。


「まずは、俺と婚約することを考えてみてよ。すぐに結婚でもいいけど。」

「シュナイゼル殿下のことはどうするの…?」

「婚約破棄すればいいだけでしょ、大丈夫、妃候補なんていくらでもいるよ」

「簡単に婚約破棄なんてできないわ」

「簡単でなくても、してみせるよ。俺が全部処理するから義姉さんは頷いてさえくれればいいんだよ」

「ギル…」


そう言ってギルロイドは、一枚の紙をぺらりと出した。

ほら、そういわれて受け取ってみてみると、見覚えのある名前が複数書かれた女性のリストだった。

これは?そう問いかけると、ギルロイドは形のいい唇と口角を上げ微笑んで見せた。


「殿下の婚約者候補だよ、俺が知るだけでもこれだけいる。」

「こんなに…」

「殿下の幼馴染もいれば、うちより上の公爵令嬢もいる、他国の皇女だっているんだ。それとも、王妃になりたいの?」

「王妃になりたいわけじゃ…」


そう、皇太子が王になって皇太子妃が結果的に王妃になるだけであって、国母になりたいと意識して目指したことはなかった。

ただ、妃教育を受ける中で責任という感情が芽生えていたことは否定できない。


「王妃になりたいわけでも、あいつが好きなわけでもないなら、いいでしょ?」


確かに、皇太子妃になれば当然家を出ることになる。

家を出て両親やギルロイドと離れることに不安がないといえばウソになるけれど、だからといってずっと家にいるとは考えてもいなかった。


「シュナイゼル殿下を好きかはわからないけど、ギルのことをそういう風に見れるか…っていうとそれも、今はわからないもの…」


しどろもどろしながら私はつぶやくように言った。

うん、とギルロイドは優しく頷いて、私の戸惑いに寄り添ってくれるようだった。


「だから待つよ。でも、待ってる間に殿下との話が進むのは嫌だ。」

「…」

「皇太子の婚約者候補もいるし、義姉さんが気負うことはない。」

「それは…わかったわ…」

「だから、俺を選んでよ」


ギルロイドの青い瞳が私だけを映して、目が離せない。

こんな顔をする義弟だっただろうか、バクバクと心臓が早鐘を打つことをもう私は自覚していた。

長い間、断罪回避を目指して義弟との関係を良好に保とうとしていたけれど、いつしか毎日の差し入れが、ともに会話をするティータイムが、私の日常の一部になっていた。そのことを心地よく思っている私がいることは隠せない。

いつからか、ギルロイドがお見合いや縁談を断ることに疑問を抱いていた。

私には柔らかな表情を見せるギルロイドが、シュナイゼル殿下や舞踏会で会うどんな令嬢にも心を開いていないことに気付いていた。

私は、見て見ぬふりをしていただけで、きっと私しか見ていない義弟のことを知っていたのだと思う。

私を大切だと言ってくれる彼の言葉がいつしか愛の言葉に変わっていたのも、わかっていたのだと思う。

ここからは、私が向き合わなければいけない。ギルロイドの気持ちに。



***



「ユリアは知っていましたか?」

「え?」

「僕に新たな婚約者候補の話が出ていることを。最近社交界では持ち切りなようで。」

「あ…はい…」

「…どう思いますか?」


今日はシュナイゼル殿下とのお茶の日だ。ここ最近忙しかったらしい殿下とのティータイムは3か月ぶりだ。

侯爵令嬢として社交界にもたびたび参加する私がその話を聞かないわけがなかった。

いま、この国は財政難に陥っており、侯爵家の出の私よりもより資金面での大きな助けとなる婚約者を選びなおした方がよいのではないかという話で持ち切りだ。

もちろん、この国の財政難は今に始まったことではなく、数年前から危惧されていたことだが、ここにきて大きな飢饉が起こったことで皇太子の婚約者選びに影響を与えるほどの大問題となっていた。

より大きな財力を持つ公爵家の令嬢や、他国とのパイプを強める隣国の皇女との婚約話がまことしやかにささやかれている。

これが、いつかギルロイドが呟いていた「婚約者を選びなおす機会が来る」ということだったのだ。

ギルロイドは侯爵家の授業を担う傍ら国庫の事情もしっかりとアンテナを張っていたようで、国の抱える問題に早期に気付いていた。

そして、飢饉のようなトラブルを皮切りに、より国のためになる皇太子妃の存在を再検討することも想像に難くないと察知していたのだ。


「…どうと申しますか…我が家ではこの国の財政難を支えるだけの力は…正直ないと思います…」


一侯爵家が国全体の問題を担うには荷が重すぎる。それこそ恋愛結婚などと言っている場合ではなく、国はより国に有利な婚約者選びを皇太子に求めている。


「お名前の挙がっているセリーヌ公爵令嬢や作物の豊かな隣国のソフィア皇女様と我が家では比べるのも失礼かと…。」


こればかりは噓はつけない。国の行く末を左右する事態に、私も戸惑いを隠せず、仮に自分が皇太子妃ひいては国母になったとてこの問題は解決できないであろうことが予見できる。

大規模な財政難を動かすには莫大な富やあまりある食物資源など大きな力が必要とされる。

そんなとき、コンコンと応接室の扉をたたくノックの音が響いた。

いつもの殿下のお迎えの従者ではないようだった。

なにかしら?と私は扉に近づくと、キィと鈍い音を立てて扉が開くと、そこにはギルロイドの姿があった。


「失礼します。シュナイゼル皇太子殿下。」


姿勢の良い挨拶をして、ギルロイドが入室してきて、私は素直に驚いてしまう。

今まで私とシュナイゼル殿下とのティータイムにギルロイドが入ってきたことなど、ただの一度もなかったからだ。

そうでなくても顔も合わせたくないほどに嫌っているというのに。


「此度の件、資料にまとめておりますので、今ここで提出させていただきます。」

「ギルロイド、…そうか。侯爵ではなく君か。」

「今回の件は、俺の方でまとめさせていただきました。どうぞ」


そういってギルロイドが何かの資料をシュナイゼル殿下に手渡した。

険しい顔をした殿下が書類を受け取るやいなやすぐさま内容を確認している。

私は何が何かわからず、資料に目を通す殿下を見て、ギルロイドに目をやる。

すんっと澄ました顔のギルロイドの態度にも落ち着かない。


「―――これが、侯爵家の見解というわけか」

「はい。勿論、父も確認しております。」


空気を読むに、王家からうちの侯爵家に何かの依頼があったらしい。

その仕事を侯爵である父ではなく、次期侯爵であるギルロイドが処理をし、侯爵家としての見解を示したらしい。

その資料を読み込んだ後、シュナイゼル殿下は静かに書類を置いて、私に向きかえった。


「―――ユリア嬢、すまない。」

「…?はい」

「婚約を、解消させてもらえないだろうか」


険しい表情からさらに凄みを増していたことに、ピリピリと空気が軋んでいた。

深く頭を下げた皇太子が、そう口にした。

―――えっ、と思わず声が漏れる。

隣のギルロイドを見ると、表情を変えずに想定通りといった雰囲気を見せていた。

私は訳も分からないまま、婚約破棄を懇願されている事態についていけず戸惑っていると、代わりにギルロイドが口を開いた。


「侯爵家として受け入れます。」


そういって、戸惑う私の手をギルロイドが握った。



***



「---じゃぁ、あの書類には今の財政難の対策案が書かれていたということ?」

「まぁ、端的に言うとそうだね」

「私との婚約よりも国益のためになる別の家を選ぶしか手立てがないことが記されていたってことよね」

「その通りだね。加えて侯爵家の立場として、義姉さんと殿下が結婚した場合に大した国益にならないことも殊更書いておいたかな」

「つまり、殿下と私の結婚は国のためにならないという意見書よね…」

「そうだね」


にこり、とギルロイドは微笑む。

それにしたってたった一度の意見書で、皇太子の一存で、あの場で婚約破棄を言い渡すなんて明らかにおかしい。

きっと用意周到なギルロイドのことだ、これまでにも私と殿下の結婚が何ら国益にならないことを以前より提言していたに違いない。

そして公爵家や隣国のこともしっかりと調査をして国難への対策においては真摯な意見書であったに違いない。

そうでなければ殿下があんなにすんなりと受け入れるとも思えないからだ。以前から各貴族家からも意見が飛んでいたのだろう。

ユリアのことを好ましく思っている以上に国益を取ったのだから、皇太子としての立場を理解した立派な次期国王だ。


「これで邪魔はいなくなったね、義姉さん。」

「…まさかこんなことになるなんて。」

「うん、俺の本気わかってくれたかな?」


それにしても一言でも二言でも事前に教えてくれていればいいのに、何も教えてくれずここまで準備を進めていたなんて。

侯爵家の地盤を固めているという手腕は本当のようだ。


「これからは遠慮もしないよ」

「え、遠慮って…やっぱり、本気なの…?」


目の前に紅茶があるがとても飲める雰囲気ではない。

対面で向かい合っていたギルロイドが、すっと席を立ち、私の方へと歩みを進める。

私の椅子のすぐ横に来たと思うと、今度はスッと目線が下がって、私がドギマギしていると一息遅れて、彼がひざまずいたことに気付く。

私の手をそっと持ち上げて手の甲を向ける。私はギルロイドの頭が垂れるのを瞬きもできずに見ていた。


「義姉さん、好きだよ」


ちゅっと柔らかな唇が手の甲に触れ、くすぐったいような感覚よりも一気に顔の熱が上がる。きっと真っ赤になっているであろう顔を思わずもう片方の手で口元を抑える私。

真っ赤になった私を見て満足そうなギルロイドの顔がなんとも憎らしい。


「結婚は義姉さんの心の準備ができるまで待ってあげる。でももう逃がさないから。」


そういうともう一度と手を握られ、指先をもてあそばれる。

義弟だと思って私は油断しすぎていたらしい。

私の心臓が持たなくなるのもきっと時間の問題だ。


「う~…ずるいわ、こんなの…。」

「ずるくてごめんね、覚悟して。」


余裕にあふれたギルロイドの整った顔がにこりと微笑んで、私はもう彼から逃げられないことを悟った。


―――こうして、悪女に転生した私は更生して皇太子との平穏な婚約生活を送るはずが、結果的に理由は違えど婚約破棄を言い渡されてしまった。そして、義弟に囲われる日々を甘んじて受け入れるのだった。






* fin *




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