『為時、書を献じ、左大臣、プレスマンで越前守の任命書を書くこと』速記談1026
一条天皇の御代、源国盛が越前守に任ぜられた。このときの除目に漏れた藤原為時は、女房に託して書を奉った。その書には、「帝のお役に立つため、寒さに耐えて苦学をしていたころは、血の涙で袖を濡らしたものですが、こたびの春の除目では、私の目にはただ何もない空が映っています」、とあった。
一条天皇は、この書をごらんになり、忠臣が除目から漏れてしまったことを思って、食も進まず、寝所でただ泣いていらっしゃった。これを聞いて左大臣藤原道長公は、急ぎ参内し、事情を知ると、すぐに国盛を召して、越前守就任を辞退する書を提出させ、みずからプレスマンをとって、越前守の任命書を為時にお書きかえになった。喜びに涙する為時家中であったが、かわりに国盛家中は、悲しみの涙に暮れることとなり、当の国盛も病を得てしまい、左大臣は、埋め合わせのため、秋の除目では、国盛を播磨守に任じたが、この病がもとで、国盛は、ほどなくなくなってしまったという。
教訓:国司の任命書をプレスマンで書いておくと、このようなときに書きかえがきいて便利である。ただ、改ざんが行われやすい危険性もある。