3.あと少しだけ…②
――バシッ!
「あなたさえいなければっ!」
思いっきり頬を叩かれ、その勢いのまま私は床に倒れ込んだ。
ベルガナは倒れ込んだ私に唾を吐きかける。
淑女とはほど遠い振る舞い。この部屋には私と彼女だけだからなりふり構わずなのだろう。
魔術本を離宮に届けるように頼まれてこちらに来たのだが、どうやら彼女からの呼び出しだったようだ。
「目障りなのよ!私の隣こそがジャルイの居場所なのに。王妹である私と前途有望な魔術師。誰から見てもお似合いの二人だわ」
いつもなら直接私に手を出してはこない。すれ違いざまに、あの台詞を吐くだけだった。
どうやら、私が平然としているのが我慢ならなかったのだろう。
直接手を下したら、流石に隠蔽は無理だと狡猾な彼女は分かっているから、ここでは私は死なない。
それならと、私は口を開く。
「彼の気持ちはどうでもいいのですか?彼は装飾品ではないのですよ。あなたを満足させるために存在する訳ではありません!」
不敬なんて気にしなかった。だって彼女に敬意を払う必要はない。
「何を言ってるのかしら?彼は本当は私のことを愛しているのよ。王妹である私を愛さない者なんていないわ。妻を憐れんで、遠慮しているの。だから、私の愛に応えないのよ。そんな簡単なことが分からないの?ふっ、馬鹿な女ね」
彼女と会話を交わしたのは初めてだった。言葉が通じないこれが、会話と言えるのならだけど。
「もし私がいなくなったとしても、彼の気持ちがあなたに向くことは決してありません。いくら身分が高くても手に入らないものはこの世にあるんです。あなたの心があなたのものであると同じように、彼の心も彼のものです」
何を言っても無駄だと分かっていても、それでも言わずにはいられない。
ベルガナは優雅に微笑みながら『…いなくなったらどうなるかしらね、ふっふふ』と私の耳元で囁いてから、部屋から静かに出ていった。
あの台詞を吐いたあと、だいたい一日ぐらいで私は消される運命だ。
あと少しね……。
彼と過ごせる時間がまもなく終わろうとしている。死を受け入れる覚悟はとうに出来ているから怖いとは思わない。
でも私が死んだあと、彼はどうなるのだろう。
ジャルイはあんな人を好きになることは絶対にない。
私が死んでも自分のことを頑なに受け入れない彼を、ベルガナは諦めるだろうか。
いいえ、許すはずがない。
彼女はそういう人だ。
ジャルイを愛しているのではなく、愛されたいだけなのだ。
狂気は彼へと向かうに違いない。
……そうか、そうだよね……
あの日の予感がなんだったのか分かった気がした。
きっと神様が私に、愛する人を救う機会を最後に与えてくれたのだ。
私は決めた、彼女も一緒に連れて行くことを。
――間違いなく失敗する。
王族には何重にも加護の魔術が施されているから、たとえ魔術師長でも破れない。そんなことは魔術師だから理解している。
それでいい、命を賭けてなんらかの爪痕を残せればそれが一筋の光となり、彼は彼女の魔の手から逃れられるかもしれない。
神に感謝をする。
繰り返さなければ私は良心に縛られて、これほどの殺意を抱けなかった。
底しれぬ憎しみがあるからこそ私のような下っ端魔術師でもなにかを残せる。
今なら躊躇することなく殺れそうだと思う私を、汚れた私を、……彼は愛してくれるだろうか。
…嫌わないで……、ジャルイ
そんな心配をする自分自身に向けて、ふっ、と乾いた笑いが口から出た。
残された時間はあと少し、だから愛されるのもあと少しだけ。そんな心配をする必要はもうなかった。