ちんこ原理主義から見た小乗仏教と弱者救済の話
文明とはなにか?
と言われたらそれは公正な分配である、と答える。
例えば狩猟生活しててお前ヘマしたから今日の分け前なしな、なんてことやってたらその集団は簡単に絶滅しまう。一回ヘマした奴は二回三回とヘマを繰り返す可能性あるし、獲物を仕留めた奴は一杯肉を貰えるとなったら皆それだけやりたがり獲物を追いたてる奴、獲物を囲んで逃げ道なくす奴がいなくなる。
つまり成果に関係なく公正に分配しないと集団のメンバーが簡単に飢え死にするし、役割も片寄るしで狩猟の成功率が著しく落ちる訳だ。
集団の発展には公正な分配が必要な訳だ。
ここまではいいよな?
そんな異論もないよな?
それを踏まえてここからは眉に唾つけて読んでもらおう。
初期仏教の修行して悟りを開こう、それで救われるってのはこれはもうちんこ原理主義なのよ。
俺のちんこは俺のもの、俺の修行の結果は俺のもの。
誰にも分配できない。
他人をガイドすることはできるかも知れんが、悟りを開きたいなら修行して貰うしかない。
ヤリチンがヘイト喰らうのも同じ構造だね。
ヤリチンがナンパした女性はヤリチンの。分配不可でモテない奴のヘイトの対象になる。
実際は新しくナンパした女使ってみる?とかで多少は分配されるんだけど、モテない奴に分配されないのに代わりない。
このようにちんこが他人に分配できないようにちんこ原理主義は公正な分配は非常に不得意。
代わりにひらすらちんこを高めてメガちんこに至り悟りを開くと言ったような個人の経験に属することはめちゃ得意。
なので修行して悟り開けやって初期の小乗仏教はちんこ原理主義な訳だ。
社会の発展が充分ではなく社会インフラとか教育とかより個人の経験がものを言う文明の初期段階では社会全体がちんこ原理主義的だから小乗仏教で違和感ない訳だ。
しかしながら文明や集団の基礎は公正な分配なので社会はその方向に発展していく。
例えば書物なんかもあれは知識の公正の分配じゃん。
読めば知識を得られるんだから。
社会も発展して修行僧が粗末な庵を建てる時代から大工に頼んで寺を建てるようになると、どうにも不具合が出てくる。
あ、原理について語っているので実際の歴史上の推移とはずれがあると思う。
となると小乗仏教だと不具合が出てくる。
功徳を分配できないのでヤリチンがヘイトを喰らうように、ヘイトを喰らうようになる。
ああ、だから荒行とか必要なんだ。
修行僧はやったことないから実際の荒行の効能とは知らんけど社会的には、しんどくで辛いことやってます、修行なんてなんも楽しいことないですとアピールしないとすぐヘイト貯まるんだ。
托鉢とかもそうじゃん。
常に美味しいもん食べて楽しくやってる訳じゃないですとアピールしないとやっていけないんだ。
だから立川流とかセックスも修行、やりまくって悟りに至るぜってのが出てくると人心を乱すとか適当な理由つけて徹底的に弾圧されるんだ。
セックスも功徳と同じで分配できないので、ちんこ原理派から見るとセックスで至る境地そういうのもあるよなで済むことが、ちんこ分離派から見るとセックスと功徳を独占して自分たちだけいい思いしてるとしか見えないんだ。
実際には身内でひっそりやってて社会転覆とかまったく関係なくても、他の修行者が荒行でヘイトを散らした分まで集まってくるから存在を知られた時点で弾圧されるだ。
なるほど誰も得しないAV新法もこれと同じ構図だわ。
セックスしてお金稼いでる時点でアウト。弾圧して潰すのが目的だから出演者の保護と言いながら実際は出演者が困ろうがどうでもいい。
風俗新法でない理由は風俗は一日に何人も男の相手するとか大変そうだからヘイトが散るんだ。
AVは演技だろうがなんだろうが気持ち良さそうにセックスしてる時点でアウト。
なのでAV関係者は今日の撮影楽しかったです、ってツイするんじゃなく嘘でもしんどくて辛いですってツイしてヘイトを散らして内輪だけで楽しくやってなきゃダメだったんだ。
楽しいもあくまで経験であって分配不可だからな。
あれ似た構図はなんか見たな。
と、と、とじゃなくて妹の方のAVスプなんとかとか。
あれ内輪ではめちゃ楽しんでいた。
そかそか、楽しいは経験ではあるけど分配可能な楽しさと分配不可の楽しさがあるんだ。
なので楽しいのを分配しないで内輪だけで盛り上がってるのも炎上の条件の一つなんだ。
楽しいのを内輪だけで独占する時は間違ってもトレンドに上がってはいけないんだ。
トレンドに上がるような楽しいことを内輪だけで独占して外様の人が見るとなにが楽しいのかわからんって構図は内容関係なくそれだけで炎上要素なんだ。
うん、あまりに遅い理解だけどな。
このようななんか良いものを独占、いや分配不可なだけで独占してる訳じゃないんだけど独占してるように見られるとヘイトが集まって炎上する。
だからなんとか功徳を分配しないといけないんだけど、小乗仏教の修行して悟り開く形式ではそれは不可能。
だったら形式を変えてしまおうぜと大乗仏教にシフトする訳だ。
お経唱えると救われるよ、待ってると弥勒菩薩が救ってくれるよ。
功徳を分配できる仏教、これが今のトレンド。しかも救済を遥か未来に設定することにより実際には分配しないという巧妙ぶり。
しかし公正に分配できる構造だから社会に、というか文明は公正な分配から始まってるんだから文明の発展の方向にはマッチする。
そうか、悪人正機、悪人こと救われるってのはそうゆうことか。
公正な分配のためには悪人を除いてしまったら、狩猟の獲物を功績で差をつけて分配するようにシステム自体が崩壊するからなんとしてどんな屁理屈つけてでも悪人を救済しなきゃならん訳だ。
弱者救済しなきゃならん理由もそれだけよな。
弱者救済をやめると同じ構図でシステムが崩壊する。
ほれナチがそれやって千年帝国とイキってたのにすぐ崩壊したじゃん。
ユダヤ人が弱者かどうかはしらんが優性保護法で障害者の断種したりさ。
弱者救済をやめると皆どうにかして強者の方に回ろうとする。
ので、狩猟で獲物を追いたてる奴、囲む奴がいなくなってトドメ差す奴だけになるのと同じように社会が多様性を失って効率が落ちる。
それに加えてナチは優良アーリア人の定義とか公正な分配と多様性に反することをやってる。
ちょっと逆張りオタクが過ぎないか?
弱者は救済するか底上げしなきゃならない。
弱者切り捨てはそれ自体が文明の発展に反するんだ。
それをやってしまうとすぐに社会が行き詰まる。
簡単に詰みが発生する状況が多発するのよ。
非モテとか弱者男性とかがすぐに人生詰んだと言う訳だ。
社会がそうなってるんだもん。
公正な分配、公正な分配ってお前は共産主義者か?と思われる人もいようが、俺はちんこあり故に我ありのちんこ原理主義者である。
共産主義もあれはあれで問題じゃん。
公正な分配しようとでかいちんこ小さいちんこ皮被ったちんこ剥けたちんこ白いちんこ黒いちんこ色々あるのを同じちんこに統一しようとしたようなもんじゃん。
公正な分配は文明の基本とは言え、人はセックスして増える以上どこまで行ってもちんこ原理主義の一面は残る。
ちんこが分配不可なように社会にも分配不可の側面はある。
それを公正な分配のためにちんこを統一しようとしたらちんこを削ったり伸ばしたりしなきゃならん訳じゃん。
そんなん耐えられる訳がない。
そら崩壊するわな。
まとめると、ちんこちんことひたすら唱えるといつか弥勒菩薩が救いに来てくれるよというお話。
ちんこ。