慈愛の聖王と白翼の天女
「これで、終わりっ!」
「くそっ……化け……物め」
攻め込んだ砦の一番奥で、上等な鎧を纏った兵士が、私を睨み付けながら倒れ伏した。
「あはは……化け物、か」
酷い言われようだけど――
戦闘中、強い意志の力で、破壊の神の力を借りられる【逢魔】の私は、その象徴とも言える二対四枚の黒い翼で空を舞い、腕から生やした鋭い爪で敵を切り裂き、黒炎で焼き尽くす。
――そんな私の姿は、たしかに化け物かもしれない。
「この兵士が、ここを“守って”いたのなら――」
小さく呟きながら、目の前の扉を、ゆっくりと開く。
「その翼……貴女が噂の【逢魔】ですか」
扉を開けた途端、部屋にいた男がチラリとこちらを見て、そう呟いた。
部屋の中はがらんとしており、格子がはまった窓際の簡素な椅子に、その男が力なく座っているだけ。
「あなたが……【聖天】?」
「ええ、そう呼ばれています。 もっとも、より多くの人を救える等と言う甘言に惑わされ、ひたすら兵士の傷を治す装置として従軍させられているだけですが」
そう語る彼の表情は、何となく似ている気がした。
命の奪い合いに疲れ果てた――毎日、鏡で見る顔に……。
だから――
「あなたには捕虜になって貰う。 もう、戦わなくていい」
――気付いたら、そう声をかけていた。
その後も、砦は断続的に敵軍の攻撃を受けていたが、私が遊撃に出る事で、それほど被害は出さずに済んでいる。
そして、戦闘以外の時間は、“捕虜の見張り”と称して、【聖天】アルザの部屋にいる事が増えていた。
「はい、今日の分の食事よ」
「ありがとうございます。 ……また、戦闘があったんですね」
鍵の掛かった部屋の扉を開け、食事を持って入ると、彼は最初に会った時に比べて、幾分か明るくなった表情を歪め、溜め息混じりに呟く。
「最近、少し激しくなって来てるかも」
「そう……ですか。 あ、怪我をしてますね。 少し、じっとしていてください」
そう言って、彼が私の肩口に手を翳すと、白い光の帯が彼の手から伸びて来て、そのまま肩の傷口へと吸い込まれて行った。
そんなに深い傷ではなかったが、既に傷があった事すらわからない程、綺麗に治っている。
「……ねぇ、アルザ。 コレ言うの、もう、何回目かわからないけど。 私一応、敵側の人間なのよ?」
「僕も何度言ったかわかりませんが、1人でも多くの人を、怪我や病気から救うために、力を磨いたのです。 だから、目の前で怪我をしている以上、貴女も僕が救いたい人の1人ですよ、ミリアさん」
食事は私が届ける事が多かったが、持ってきた相手が誰であれ、怪我をしていたら治してしまう。
最初の内は、「変な奴だな」って思うだけだったけれど、何度も顔を合わせ、話す内に、彼の事が少しずつ分かってきた。
彼は、誰かが傷付くのが、嫌なのだ。
その目に映る、1人でも多くの人を助けたいのだ。
一方の私は、大切な何かを守るために、障害を排除し続けてきた。
だからだろうか。
彼の「敵も味方もない」と胸を張って言える、そのまっすぐな気持ちが、とても眩しく見えてしまう。
「でも私は、今まで沢山の人を殺して――」
「それは自分や、大切な人を守るためでしょう? 最初に会った時、何となく感じました。 貴女は、本当は戦いが嫌いなんじゃないか、って」
――そんな貴女だから、ちゃんと癒してあげたいと思ったんですよ。
そう言った彼の表情は、とても優しくて。
今まで兵器としてしか見られなかった私は、その場で暫く泣いてしまった。
その頃からだったと思う。
私の中で、アルザの存在が大きくなって行ったのは。
そして、季節が一回りした頃。
膠着状態だった状況が、一気に動き始めていた。
砦の北側からは敵軍、南側からは友軍が、どちらもかなりの規模で進軍してきたのだ。
両軍の目的は、取り戻したい、渡したくない、の違いあれど、【聖天】で間違いないだろう。
だから、アルザには、砦の隠し通路から脱出して貰う手筈になっていた。
「さて……それじゃ、大暴れしますか!」
アルザが戦場を離れるまでの、時間稼ぎもしないといけない。
四枚の黒翼で空を舞いながら、掌から黒炎を放ち、敵を焼き払いつつも、私の脳裏には、彼を逃がす直前にした会話がフラッシュバックしていた。
『ねぇ、祖国に帰りたい?』
『うーん……戻った所で、僕はまた兵を癒す装置に戻るだけですし、帰りたいとは思えませんね。 “人質”にされないように、両親や弟も国を離れているはずですし』
一緒にいたのは短い間だったけど、今では、絶対に死なせたくないと思える程、私の中で大切な人になっていたアルザ。
『私は……敵を殺すための【逢魔】だから。 たしかに戦いは嫌いだけど、大切に思う人が傷付くのはもっと嫌……だから』
『たとえそれがどんな力でも、誰かのために振るえる貴女は、決して“兵器”なんかじゃありませんよ』
国や軍からはもちろん、親にまで【逢魔】として扱われていた私と、唯一“ミリア”として接してくれた彼。
そんな彼が、沢山の人を助けたいって言う思いを、遂げられるように――必ず、アルザを守るんだ。
壊して、殺して、傷つけるばかりのこの力だけど、私はいつだって、何かを“守る”ために使ってきたつもりだ。
それが、私の――“ミリア”としての“意志”だ。
だから――
絶対に――
負けられないのに……
「……はぁ……はぁ……ぐっ……うぅ……」
「いくら【逢魔】とは言え、この人数相手によくやったものだ。 だが――」
矢で撃ち落とされた後、脇腹に受けた傷口を押さえながら、肩で息をする私に、嫌味ったらしく話しかけてくる敵の指揮官だったが、その目は油断無くこちらを見ながら、周りの兵に包囲を指示している。
「――もう終わりだ。 どうだ? いっそこちらに来るか?」
「……お断り。 どうせ、使い潰せる“兵器”が欲しいだけでしょ?」
私の答えに、大袈裟に肩を竦めた指揮官は、次の瞬間には鋭い眼に変わり――
「……殺れ」
指示が出たのと同時、四方八方から剣や槍が突き出された。
幾つかは身を捩って躱し、反撃を試みるが、次々と繰り出される攻撃に、ついには足を絡ませて転倒してしまう。
「もらったぁぁぁ!」
「――ミリアさん!……ぐぁぁ……」
せめてもの抵抗に、向かってくる敵を切り裂こうと、振り返った私の眼に映ったのは、背後から、剣で腹部を貫かれたアルザの姿だった。
「アルザ!? ――なんで!?」
「……言ったでしょう? 貴女も、僕が救いたい人の一人だと……ぐぅぅ」
彼はそこまで言って、倒れ込む。
見れば、刺さった剣を引き抜くために、彼を蹴り倒した兵が、再び私に向かって腕を振り上げていた。
「今度こそ――」
「邪魔……しないでぇぇ!!」
剣を振り下ろされるより先に、振り抜いた腕。
直後、周囲に黒炎が走り、敵を焼きながら吹き飛ばした。
「アルザ!」
半ば這うようにして、うつ伏せに倒れたアルザの元に行き、抱き起こす。
急所は外れているものの、出血が多く、それがまるで、彼の命が流れ出しているようで――
「ミリアさん……無事、でしたか」
「うん、アルザが庇ってくれたから。 は、早く治療を――」
――力無く、浅い呼吸を繰り返す彼の姿に、致命傷なのだと、否が応でも理解させられた。
「……すみません。 もう、意識が……保てそうに、なくて――」
「そんなこと言わないで! お願いだから、いつもみたいに、さらっと治してよ」
知らず知らずの内に溢れだした涙が、小さな雫となって彼の顔へと落ちていく。
「だから、最後に言っておきます――」
「そんなの後でいい! 後でいくらでも聞くから……だからぁ――」
「ミリア、さん……貴女に会えて、良かった。 短い間でしたが、楽し……かっ――」
そこまで言った彼の身体から、フッと力が抜ける。
「アル……ザ?」
自分の腕の中で、ぐったりとする彼。
「ねぇ、アルザ……返事してよ」
神様でも、誰でもいい……アルザを助けてよ。
「い……いやぁぁぁぁぁぁあ!!」
まるで悲鳴の様な叫び声を上げながら、彼を抱き締めた――瞬間。
私とアルザを、白い力の奔流が包み込んだ。
「ぇ?……白?」
いつも私が使う、魔神の力とは違う、暖かい力が私の身体から溢れていく。
「これ……アルザの?」
それはまるで、戦闘から戻る度、彼が傷を治すために使ってくれた、癒しの力のようで。
そう気付いたのと、同時。
「――ミリア、さん?」
耳に届いたのは、もう二度と聞く事ができないと思った声。
「……アルザ?」
「これが、ミリアさんの力なんですね。 ……聞いていたよりも、ずっと温かくて、とても、心地い――」
失血のせいか、少し朦朧としている彼の言葉を遮るように、傷が消えた彼の体に腕を回して、唇を重ねた。
そして、そっと顔を離すと、どちらからともなく言葉を紡ぐ。
「僕は、一人で戦いから逃げるより、ミリアさんと共にいたい」
「私は、一人で戦い続けるより、アルザと一緒にいたい」
「「――だから!」」
二人の言葉が重なった瞬間。
強い風と共に、私達を包んでいた、白い奔流がかき消える。
顕になったのは、敵味方問わず、呆然としている兵達の姿だった。
まぁ、驚くのも無理はない。
何せ、明らかに致命傷だったアルザが、平気な顔をして立ち上がったのだから。
「アルザ」
「ミリアさん」
見るからに動揺している両軍を尻目に、私達は視線を交わして頷き合い――
「「二人で、どこか遠くの国へ」」
その言葉を合図に、私は二対四枚の白い翼を大きく広げ、アルザをギュッと抱き締めながら、空高く飛び上がった。
少しひきつった顔で、必死にしがみつくアルザを愛おしく感じながら、空を駆ける。
もう二度と、彼の温もりを離さないように……。
「ねぇ、おじさんは詩人なんでしょ? 何かお話聞かせてよ」
「ふむ……それなら、こんなのはどうだい? 昔々――」
小さな町の広場で、子供達に囲まれた旅装束の男は、背中に担いでいた楽器をポロンと鳴らしながら、語り始める。
辺境の村々を巡り、怪我や病を治して歩く男女の生涯を描いた『慈愛の聖王と白翼の天女』の物語を――
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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改めて、ありがとうございましたm(_ _)m