魔法使いの師匠には、お茶くみしかできない弟子がいる。
「『魂の交換』ってやつすか」
「いや、『肉体の交換』だな」
師匠がまた変なことを言い出したので、私はとりあえず自分の中で咀嚼し、反芻した。
すると師匠はそれに訂正か補足を加える。
私と師匠のあるある。
「『魂』は概念だ。 定義のないものは好まん。 『精神』……も形而上の存在か。 ならば『記憶と思考』とでも言っとくか」
「まあなんでもいいですけど……」
師匠は魔法使いだ。
この世界には稀有な存在らしい。よく知らないけれど。
森の中の小さな家に、ゴチャゴチャと置かれた本と薬瓶。たまたま師匠に拾われた私は彼を師匠と呼んでいるけれど、弟子ではない。
ただの雑用係である。
師匠は『魔法』なんてよくわからんものを扱っているくせに、『定義』が大好き。
以前「じゃあ『魔法の定義』ってなんすか」と軽口を発してしまい、数時間にも及ぶご高説を賜る羽目に陥ったので、もう二度とそういったことは口にしないと決めている。
ちなみに内容はサッパリ覚えていない。
箒に乗って、星がキラキラと輝く空を漂っていたことぐらいしか。(※夢)
「で、そんな魔法あるんですか?」
私は師匠にお茶を入れつつ、尋ねる。
特に興味はないけれど、聞かないと不機嫌になるからだ。彼は講釈を垂れたいのである。
「ないよ。 肉体と精神は相互関係にあるんだから当然。 『魂』論者はすぐそれを切り離して考えたがるけれど(※長いので中略)──つまり具合が悪けりゃ元気が出ない。 そういうことさ。 ちなみに『霊』と言われる存在はだね、肉体を離れた『記憶と思考』の残滓でありそれは『魂』という概念とは異なる。 発展性がない……わかるかな? 生物そのものをAとした時に含まれるaという一部であり、それが変化する場合は外的要因Bに取り込まれた状態であり、それは最早A足りえない。 別物さ」
「はぁ」と適当な返事をするも、大体は右から左へと流れていっている。だが、私が不真面目だからなわけではない。言っていることの一欠片も理解できないってだけである。
「そんなわけだから無理なんだけど、一定期間なら似たようなことはできる。外的要因Bに取り込まれない間さ。 aがそのかたちを保てるレベルの時間であれば。 それでもBの影響を受けるのは免れないけれどね」
師匠は満足したのか、「そんな不完全なモノでも欲しがる輩はいる」とヤレヤレ顔で言って、ようやく話を締めた。
おそらく薬を依頼したのは、先日森に訪れた聖職者だろう。
この森には人は来れないようになっているらしいが、時折師匠は気紛れで人を迎える。
森に捨てられていた私が拾われたのも、師匠の気紛れだ。
師匠は『人間は嫌いだ』と言うけれど、本当は、師匠は人間が好きなんだと思う。
嫌いなのも本当だけど、嫌いで好きなのはよくあることだ。
「神に仕えるお方がこの世の理に背くような薬を欲しがるとは」
とか言ってニヤリと笑う師匠は、悪魔みたいでカッコよかった。
『魂(肉体?)の交換』をする薬が誰にどう使われたのか、はたまた使われなかったのかはわからない。
「……どうだい、君は僕になりたいかね?」
「私が師匠に? いっや、なりたくないですね~」
「失礼な奴だな」
「失礼でもなんでもありませんよ」
「君は僕の見た目が好きだと言っていたじゃないか」
「ええ、だからです。 私が師匠になったら、師匠を鏡でしか見れないじゃないですか」
師匠は「ふむ」と言う。
なにが「ふむ」なんだかよくわからないが、師匠が顎を撫でる時は機嫌がいいときだ。
どうやら満足いく答えだったらしい。
「茶を淹れてくれ」
私が「はい喜んで~!」と答えると、師匠は呆れた顔で「なんだその馬鹿げた返事は」と言う。
その傲岸不遜でウエメセな感じが、悪い王様みたいでカッコよかった。
ここに来てからどれだけ経ったのかなんて、もう覚えちゃいない。
でも多分何百回何千回と私は彼の為にお茶を淹れ、今では上手にお茶を淹れられるようになった。
師匠は「馬鹿げた返事」と言うが、アレはわたしの本心だ。
これからもずっとこんな日々が続くといい。
私は師匠の為に、何万回でも何億回でもお茶を淹れ、師匠は私の淹れたお茶を何万回でも何億回でも飲む。
そんな日々が。ずっと。
森の中の小さな家に、ゴチャゴチャと置かれた本と薬瓶。たまたま師匠に拾われた私は彼を師匠と呼んでいるけれど、弟子ではない。
ただの雑用係である。
お茶くみくらいしかできない私を、師匠が何故『弟子』と呼ぶのかはわからない。