第八話 自己肯定感の低いイングリット
ベルン様と約束の日。私はとんでもなく緊張していた。
理由は単純に、家族が今日の事をデートだなんだと言うからである。
いやいや、そんな事はないだろう。だって今日は、アイリス様の誕生日プレゼントを選ぶだけなのだ。
ない、絶対に、ない。
そう自分に言い聞かせている間に、うちで働いてくれているメイド達によって、私は綺麗に着飾られてしまった。
普段、あまり袖を通さないようなお洒落なワンピースを着させられ、薄っすらと化粧まで施されて。
……いや、これ、気合を入れ過ぎではないだろうかと心配になる。
普段とのギャップが激しくて、ベルン様から「誰ですか?」なんて言われる未来が目に映るようだよ。
なんて事を兄に言ったら、
「そこまで劇的に変化していないから大丈夫だよ」
と言われた。
「待って兄さん! それだと、頑張ってくれたメイドの皆さんに申し訳ないよ! あんな素材からこんなに立派な感じにしてくれたのに!」
「あんな素材って」
「あんな素材! ビフォアー! アフター!」
私は飾ってある写真を指さしてから、今の自分を指さす。
すると兄は心底呆れた顔になり、
「イングリットの自己肯定感の低さは何とかしないとな……」
と呟いた。ついでに残念そうな目まで向けられている。
解せぬ、どうしてだ。
私が明らかに納得できないという顔をしていると、メイド達が口々に、
「イングリットお嬢様は元から素材は良いのです!」
「そうです! 私達は常々思っておりました、お嬢様を着飾りたいと!」
「念願が叶いました、ありがとうございますフレデリク様!」
などと、勢いよく言ってくれた。
何故だ、どうして誰も私に同意してくれないんだ。
私がぐぬぬと唸っている前で、兄は満足そうに頷いて、
「君達、苦労をかけるけど、これからもイングリットをよろしくね」
とメイド達に向かって頼んでいた。
彼女達は「お任せください!」と力強く請け負ってくれている。
何だか私のことなのに若干の蚊帳の外感……。
……あれ、この感覚、最近もあったな。
そんな事を感じていると、ベルン様が到着されたと連絡があった。
急いで玄関へ向かうと、外出着に身を包んだベルン様の姿がある。
ベルン様は私達を見るとにこりと微笑み、
「こんにちは、イングリット、フレデリク。少し早く着いてしまってすみません」
「いらっしゃいませ、ベルン様。お待ちしておりました」
「こ、こ、こんにちは!」
スマートに挨拶を返す兄の横で、私は盛大に噛みながら頭を下げる。
ふふ、とベルン様が小さく笑う声が聞こえた。
「今日のイングリットは、いつにも増して可愛らしいですね。よくお似合いです」
「あ、ありがとうございます……」
褒められて照れくさくなる。
……だけど、ほら兄さん、メイドの皆さん。ベルン様がいつにも増してって言ったよ。
普段の残念な雰囲気が、メイドの皆さんのパワーで向上したとベルン様は言っているじゃないか。
私が「どうだ!」と思って兄を見れば、殊更残念そうな目を向けられた。
「考えている事が顔に出てるけど、言葉をちゃんとよく考えようね」
そして、そんな風に言われた。分からない。
まぁとりあえず、それは置いておいて。
私はベルン様の馬車に乗せて頂いて、マロウ家を出発したのである。
そう言えば、出発の間際に兄がベルン様に何かこそこそ言っていたけれど、何だろう。
そんな疑問を感じながらも、ゴトゴトと、馬車が進む音が響く。
しかしさすが王族の馬車と言ったところか、ほとんど揺れは感じないし、椅子も座り心地が良い。
ふと頭上を見れば、小ぶりの宝石が連なった照明用の魔術具が天井に飾られていた。
魔術具の間には文字が刻まれている。読んでみると、振動を吸収するタイプの術式が使われている事が分かった。
なるほど、そういう方法もあったね。これは今度うちの馬車でも試してみよう。
なんて、感心していると、
「イングリットは本当に魔術がお好きですね」
とベルン様に言われた。
あっしまった。つい魔術具に目を奪われていた。
「すすすすみません! いや、その、つい……」
「ふふ。……実はイングリットが喜んでくれるかなと思って、兄に頼んでこの馬車を貸して貰ったのです」
「そ、そうなのですか?」
「はい。兄は国のあちこちに出向く事が多いですから」
ベルン様はそう教えてくれた。
確かに、あちこち移動する事が多いと、馬車の揺れや椅子の具合は大事だよね。
……でもそんな馬車を私のために借りてくれたなんて、ちょっと感動である。
「ありがとうございます、ベルン様。勉強になります!」
私がお礼を言うと、ベルン様は「良かった」と笑ってくれた。
「ところで、あの、イングリット」
「はい、何でしょう?」
「先ほども言いましたが、本当に、今日のあなたも可愛らしいですよ。イングリットによく似合っています」
再び、褒められてしまった。
二人きりの場所で、面と向かってそう言われると照れくさい。
顔が熱くなるのを感じながら、
「あ、ありがとうございます……うちのメイドの皆さん、腕が良くて……」
「ふふ。そうですね。でも、いつものイングリットだって可愛いですよ」
「え?」
思わずぎょっとなる。
そ、そんな事はないだろうと否定しようとしても「本当ですよ」と念を押された。
困惑しているとベルン様は「フレデリクが言っていた理由が分かりました」と言って、
「兄が何か……」
「イングリットが自己肯定感が低いので、感じたままに褒めて下さい、と言われました」
兄さん!!!!!!!
思わず叫びそうになって、我慢した自分をそれこそ誰か褒めて欲しかった。