第六話 ふさわしくない
私がベルン様の側近になって、二週間ほど経った。
あれからベルン様とは少しずつ交流をするようになり、ご招待されて会いに行っても、道中で緊張する事も少なくなった。
慣れとは、なかなか良いものである。
けれど相変わらず、すれ違う人からは『マロウ家の幽霊』とは呼ばれている。
まぁ、仕方がない。王城だってたくさん人がいるのだ。すべての人に出会っていない状態では、私はまだマロウ家の引きこもりである。
…………いや、まぁ、実際に。
ベルン様にお会いしに行く時以外は、引きこもっているんだけど。
でも私、ちょっとは進歩したんじゃない?
父さんと母さんや、兄さんからだって、少し褒められているんだから。
心の中でフフッと笑いながら、今日も今日とて、ベルン様にお会いにしに王城をあるいていると。
「ねぇ、そこのあなた」
と声をかけられた。
そちらを見れば、同い年くらいの綺麗な女の子が立っている。
夜空のような艶のある黒髪に、紫色の瞳。神秘的な容姿の子だ。
もちろん知り合いではない。
「え、えっと、はい、何でしょう?」
「あなた、マロウ家の方よね」
「はい。イングリット・マロウと申します」
私がそう名乗ると、彼女は「そう」と呟いて、それからにこりと微笑む。
うわ、かわいい。反射的にそう思った。
「私はユリア・グラジオラスと申します」
グラジオラス家……確か、王家に近い方だったかな。
王族の護衛騎士とか、側近とかを、よく輩出している家だったと思う。
覚えている理由は、以前にグラジオラス家の誰かが昔、私と同じ引きこもりだった……という話を聞いて勝手に親近感が沸いていたからである。
彼女の兄弟か誰かなのかな、とぼんやり思っていると。
「あなた、ベルン様の側近になられたのよね」
「はい」
「そう。……それは本当に、おかわいそうに」
彼女は目を細くして、そう言った。
かわいそう? 何がかわいそうだと言うのだろうか。
あっもしかして私か。私みたいな引きこもりがベルン様の側近になったものだから、ベルン様がかわいそうとか、そういう!
ああ、やっぱりな……何か最近、調子に乗ってしまっていた気がする。
私みたいな引きこもりの魔術オタクなんて、ベルン様の側近なんておこがましいよね……。
そう思ったとたんに、気持ちがしゅるしゅるとしぼんでいく。
「いえ、その……やっぱりでしょうか。自分でもそうは思っていたんですよ」
「あら、そうなの?」
「は、はい……私みたいな引きこもりで魔術オタクなんて、ベルン様の側近に相応しくないですよね……」
「…………はい?」
しょんぼりした気持ちのままに、私がそう答えると、ユリアさんは目を丸くした。
そして少し首を傾げ、怪訝そうな面持ちになる。
「私が言っているのは、ベルン様のことよ?」
「はい、ええ、ですからベルン様の側近なんておこがましい……」
自分で言うたびに気持ちがへこんでいく。
ああ、もう、帰りたいな……なんて思っていると。
「いえ、違います。私が言っているのは、いつ死ぬか分からないニワトリ王子に魔術伯の側近を得るなんてふさわしくない、ですけれど」
「え?」
ユリアさんの言葉に、あれ、と思って顔を上げる。
え、逆? 私の方が?
理解出来ずに目を瞬いていると、ユリアさんは困った顔になった。
「……あなた、もしかして、鈍い方ですの?」
「え? ああ、えっと……どうでしょう」
「…………」
鈍いかどうかと問われると、よく分からない。
ただ確かに兄からは、似た状況の時は「そういう所だよ、イングリット」なんて言われる事はある。
どういう所がそういう所なのか未だに分からないが。
ただ――――ベルン様を馬鹿にされたことは、理解できた。
だから。
「ベルン様はお優しい人ですよ。そして、家族や周りの人間を大事にして下さる方です。そのような物言いは、どうかと思います」
私はユリアさんにそう言った。
最初は兄から流されるままになった側近だけど、私はベルン様の事は好きだ。
引きこもりでも、魔術オタクでも。
側近が、主を馬鹿にされて、黙っていてはいけない。
「ベルン様は、私達の、私の主です。発言を撤回して下さい」
私がはっきりそう言うと、ユリアさんは驚いた表情になったあと。
すぐにフフ、と優しい笑顔を浮かべて、
「……ベルン様は、良い側近を得ましたね」
と言った。
ユリアさんの先ほどまでのピンとした雰囲気が、何か柔らかいものに変わる。
何だか口調まで変わっている。
あれ、と私が思っていると、
「申し訳ありません、イングリット様。……少し、あなたを試しました」
と、ユリアさんは言った。
「試す?」
「はい。……改めて、自己紹介をさせて下さい。私はユリア・グラジオラス。アイリス姫様の側近をしております」
えっと驚いて声が出た。
どうやらユリア様は、ベルン様のお姉様の側近らしい。
私が驚いていると、ユリア様はくすりと微笑み、
「先日の昼食会には、参加しておりませんでしたから、ご存じなくて当然です」
「えっあっえっと……」
私があわあわと焦っていると、ユリアさんは楽しそうな様子で、
「ふふ、大丈夫ですよ。……その、実はこれは、アイリス姫様から頼まれての事だったのです」
と教えてくれた。
「アイリス様から?」
「はい。アイリス姫様は、弟のベルン様の事を心配してらっしゃっていて。だからイングリット様がどういう方なのか、興味を持たれてらっしゃったのです。……ね、アイリス姫様?」
ユリアさんはそう言うと、廊下の奥の方へ声をかけた。
するとそこから、ベルン様によく似た容姿の女性が、顔を覗かせた。
アイリス様である。
ひえ、本物だ!
「あの、えっと……ごめんなさいね。今までベルンの側近になろうとする者がいなくて。あなたと、あなたのお兄様が側近になってくれたと喜ぶあの子を、悲しませたくなくて、調べさせてもらったの」
こちらへと近づいてくると、アイリス様は申し訳なさそうに仰る。
「い、いえ! いえ、そんな! 私みたいなマロウ家の幽霊に不安を感じるのは当然です!」
「そんな事はないわ。イングリットさんの魔術に関する研究は、いつも読ませて頂いてるもの。とても素晴らしいし、勉強になるわ」
そう言って、アイリス様は微笑んで下さった。
自分のやった事を褒められるって嬉しいな……なんて、少しじぃんと胸が暖かくなる。
「イングリットさん」
「はい」
「ベルンの事、よろしくお願いしますね」
アイリス様が私の手を握り、そう仰った。
その手からも、瞳からも、ベルン様への愛情が感じられる。
応えなくては、という気持ちになって「はい……もちろんです!」と私は大きく頷いて答えた。