第五話 十年前から、ずっと
ベルン様が『ニワトリ王子』と呼ばれていると知ったのは、それから少ししての事だった。
紋章をそのまま愛称として持ってきているらしい。
同じ理由で、ハイリンヒ様は『獅子王子』、アイリス様は『花の君』と呼ばれているとか。
こうして並べると、ベルン様の愛称は、もっと他の呼び名があったのではないかとも思うけれど。
まぁ、それは置いておいて。私と兄はベルン様の側近となった。
魔術伯の子供がベルン様の側近に――――という話は、御家族や、王城の人間からとても喜ばれているらしい。
もともと側近の成り手がいなかったらしいから、少し大げさなくらいだったよと、父が言っていた。
ちなみに同時に……、
「あれがマロウ家の幽霊……」
「本当にいたんだ……!」
などという興味津々の目を私は向けられている。
今現在、王城に来ている時だって、何度向けられた事か!
家に帰りたい、部屋に引きこもりたい、そんな気持ちを引き摺りながら、私はベルン様に会いに来た。
何を隠そう、ベルン様からご招待を受けたのである。
何で私だけと思ったが、どうもベルン様は先日の昼食会の件を気になさっていて、そのお詫びにとの事だった。
あの時と違って一人で挑まなければならない私にとっては、本当に申し訳ないが出来れば勘弁して欲しかった。
……のだけど、断るわけにも行かず、こうしてやって来たというわけである。
しかし私の食欲は現金なもので。
目の前にずらっと美味しそうな料理を出されただけで、憂鬱な気持ちなんてあっと言う間に吹き飛んだ。
この間、食べられなかった物を含めた鶏肉や卵料理が並んでいる。
相変わらず美味しそうだ。思わず鳴りかけた腹の虫を、慌てて手で押さえると、ベルン様はにこにこしながら勧めてくれた。
食べていいよ、と許可を貰った私は、早速お言葉に甘える事にする。
まずはあの時と同じくサンドイッチから……。
今日は照り焼き以外に、卵焼きが挟まれたものまであった。この卵焼きは甘いのだろうか、それとも塩味なのだろうか。
少しワクワクしながらまずは卵焼きのサンドイッチの方に手を伸ばす。
そして、ぱくりと一口。厚切りの卵焼きは、ほど良く甘くて柔らかい。それがまたパンとよく合っていた。
私が目を輝かせながらサンドイッチを一切れ食べ終えると、
「イングリット。この料理はどうですか?」
とベルン様から聞かれた。
「美味しいです! 焼き加減も味付けも、やっぱり違うなと思いました。自分で作るとこうはいかない……!」
「ふふ、良かったです。今日はイングリットが来ると聞いて、料理人が張り切っていたのですよ」
「料理人の方が?」
驚いて聞き返すと、ベルン様は頷いた。そしてその理由を教えてくれた。
今日、この料理を作ってくれた料理人は十年前の『黒靴』の事件の時から働いている者なのだと。
「彼らはずっと、あなたの事を心配していました。自分達へお詫びの品を探しに行ってくれたのに、その道中で攫われかけた、と。それがあなたの心に深い傷を負わせてしまったと。だから今回、ずっと外に出ていないあなたがやって来ると知って、もてなしたいと言っていたのです」
「――――」
思わず、言葉に詰まった。
十年前の事件は、私が勝手にやろうとした事だ。そこに料理人の皆さんが責任を感じる必要なんてまるでないのに。
なのに彼らは私のために、この料理を作ってくれた。
私はもう一度、テーブルの上に並んだ料理を見る。
それからぐっと両手の拳を握って、ベルン様を見た。
「…………あの」
「はい」
「この残った分、包んで帰っても、大丈夫ですか?」
だって、せっかく作ってくれたものだ。
最後までしっかり味わいたい。
だからそう言うと、ベルン様は噴き出した。
「フフ、あははは……! は、はい。大丈夫ですよ。用意しますね」
くすくす笑いながら、ベルン様は近くに控えていたメイドさんに頼んでくれた。
やった、という気持ちになっていると、
「イングリットは見ていて飽きませんね」
と言って下さった。
「そ、そうでしょうか?」
「はい。ふふ」
よく分からないが、ベルン様は楽しそうだ。
落ち込んだ顔よりも笑っていた顔の方がずっと素敵なので、良いと思う。
こんな引きこもりの魔術オタクでもお役に立てて何よりである。
「ところでイングリット」
「何でしょう?」
「あの、側近のお話……なのですが」
「はい」
「……ご迷惑ではないですか?」
ベルン様はおずおず、と言った様子でそう聞いてくれた。
「迷惑、ですか?」
「はい、あの……イングリットは昔あった『黒靴』の一件で、あまり外に出るのが得意ではないのでしょう? だから、負担ではないか、と……」
そう言いながら、ベルン様は少しだけ目を伏せる。
「本当は今回も、イングリットを招待して良いものか、迷ったのです。でも……どうしても、お詫びとお礼がしたくて。私のわがままで、申し訳ありません」
「い、いえ! 負担なんてそんな!」
あまりにしゅんとなさるものだから、私は大慌てで首を横に振った。
「……確かに、外に出るのは苦手で。今日も人とすれ違うたびにビクビクしてしまってはいますけれど、でも」
「でも?」
「…………私、食べるのはとても好きなんです、よ」
何て答えたら良いか考えて、正直にそう言う事にした。
だって、本当に事だ。うわべだけの言葉を言っても、あまり意味がないと思ったから。
するとベルン様は目を丸くなさった。
「食べるのが?」
「はい。料理、美味しいです!」
ぐっと両手の拳を握ってそう言うと、ベルン様は丸くされた目を瞬かれたあと。
「ありがとう……本当に、ありがとう、イングリット」
ふわり、と再び嬉しそうな笑顔を浮かべて下さった。