第十一話 シンプルで暴力的
ユリアさんが、どうしてここに。
驚いていると彼女は『黒靴』に近づいてきて、彼の隣に立つ。
「だめですよ『黒靴』、イングリット様を怖がらせては」
「別に怖がらせたつもりはないんですけどね」
肩をすくめる『黒靴』にユリアは「そういうところです」と笑いかける。
それから彼女はこちらの方を向いた。
「手荒な真似をして申し訳ありません、イングリット様」
「どうしてユリアさんが……」
「彼と一緒なのか、ですね」
「はい」
私が頷くと、ユリアさんは胸に手を当て、
「それはもちろん、私も『黒靴』の人間だからですわ」
と答えた。
その瞬間、父や、ユリアさんとのやり取りが頭の中で浮かび上がってくる。
『今回の昼食会は名目上は側近選びのためだった。だがもうひとつ、イングリットの『幸運』に、引っかかる何かがないか知りたかった』
『四伯それぞれに調査をしているが、絞り込んだのが本日の来客達の家。もしくは協力者だね。イングリットの幸運が、今回は『良い』方へだけに働いたみたいだから、少なくともあの場にいた者達じゃない。……けれど、その家族はまた別だ』
『先日の昼食会には、参加しておりませんでしたから、ご存じなくて当然です』
まさか、と嫌な予感が頭の中を駆け巡った。
私の聖痕に引っかかる何かがないか、調べるための集まり。
その中に、ユリアさんはいなかった。あの時、もし彼女が参加していて、料理に触れたりすることがあれば、私の聖痕は効果を発揮する。
私の『幸運』の聖痕はとても使い勝手の悪いものだ。
その料理に対して何が「良い」か「悪いか」なんて、ちゃんと調べてみなければ分からない。
料理人、食材、食器、関わった人間――――その範囲はとても広い。
広いからこそ見つかった、という事もあるが、とにかくそういう類のものなのだ。
「ふふ。マロウ家のイングリット様が参加されると伺って、急遽、参加を取りやめたのですよ? こういう情報を得るために、アイリス姫様の側近でおりましたので」
「あなたは、どうして……王家に恨みを持っていたのですか?」
「いいえ?」
私が問いかけると、ユリアさんはゆっくりと首を横に振った。
「私は恨みなんてありませんわ。アイリス姫様の事だって好きですもの」
「なら、どうしてこんな事をしたのです?」
「私が『黒靴』を愛しているからです」
ユリアさんは悪びれた風でもなく、そう言って『黒靴』を見上げた。
「十年前に、私、たまたま彼と出会ったんです。王家から逃げる最中に、大怪我を負ったんですね。その時は知りませんでしたけれど、それを助けて、匿った時に、お話を伺ったのですよ」
十年前――――私が『黒靴』の事を『聖痕』で察知した時の事だろう。
ユリアさんはくすり、と微笑んで「ああ、イングリット様の事も恨んではいませんよ」と続けた。
「だって、そのおかげで彼と出会う事ができましたもの。……私、あの時まで生き物に何ひとつ興味が持てなくて。でも、彼は違いましたわ。生きているのに、死んでいるみたい。それがとても魅力的だったんです」
「おやおや、駄目ですよ、そんな事を人前で言ったら。恥ずかしいじゃないですか」
「だって。とっても魅力的だったんですもの。その時、初めて生き物に興味が持てて。でも、ほら、彼も生き物に興味がないでしょう? だから約束してもらったんです。協力するかわりに、それが果たせたら私を殺して、一緒になって下さいねって!」
うっとりと、熱をはらんだ目でユリアさん『黒靴』を見つめる。
心なしか『黒靴』も似た眼差しをしている気がする。
恐らく彼女の言っているそれは、愛情、と呼べるものなのだろう。
だけど私が知っているそれとはかけ離れているが、その『愛情』が動機であるという事だけは、分かった。
「……理解は、できません。ですが理由は分かりました。あなたは酷い人です」
「そうですね。一応ね、悪いとは思っているんですよ?」
まったくそんな事は感じさせない口ぶりで、ユリアさんは言う。
それから「でも」と続き、
「あなたの『幸運』の聖痕を、私の愛しい人が欲しいと言っているんです。だから、今回も申し訳ないのですけれど――――あなたの魂、下さいな?」
と、ゾッとするくらい愛らしい笑みを浮かべて言った。
「いやです、全力で抵抗させて頂きます」
「おやおや、イキの良いことだ。私の嫌いなタイプですね、あなた」
悪党に好かれようが嫌われようが、私にとってはまったくどうでも良いのだが。
そんな事を言っている『黒靴』を睨んでいると、彼はフッと馬鹿にした笑みを浮かべる。
「魔術伯の家系とは言え、まだまだ子供。私とユリア、二人分の魔術に、どれだけ抵抗できるか――――見物ですね?」
『黒靴』がそう言った時、私の足元の床に、円形の魔術陣が展開された。
赤黒く、禍々しい光を放つそれは、死霊術のものだ。
見えなかった、気づかなかった。最初に私を魔法で拘束していたのは、これに気づかせないためだったのか。
反対呪文を、と考えた直後に、足の力ががくりと抜けた。
魔力が急激に吸われているようだ。
彼らは私の魂を、と言った。魔力を吸って弱らせて、取り出しやすくなったところで魂を切り取るつもりだろう。
魔力を失っているために、手足がどんどん冷たくなる。息が苦しい。気持ちが悪い。
吐き気を抑えながら、私は震える手で拳を作り、床を――――魔術陣を叩く。
しっかりしろ、私の前にあるのは、魔術に関係するものだ。
自信がなくて、自己肯定感も低くて、引きこもりの魔術オタク。魔術がなければ何もできない、それが私だ。
ならば。
それならば。
――――魔術の前でだけは、役立たずになんかなるもんか!
「イングリット・マロウの名で、告げる」
ガチガチと震える口で、言葉を紡ぐ。
これはいつも使っている、古い言葉を使う魔術の呪文ではない。
呪文を紡ぐ余裕のない時にのみ使う、マロウ家に伝わっている緊急手段。
自分の魔力をぶつけて、相手の魔術をぶち壊す。
繊細さも知性もへったくれもない、暴力的な魔術だ。
便利だ何だと知っている人は言うけれど、そんなものじゃない。
ありったけの魔力をぶつける物だから、使うとすごく疲れるし、被害の大きさも分からない。
ただでさえマロウ家の人間は魔力が多い。そんな者達が魔力を全力で放出したら、被害がどうなるか。
だけど。
魔力を吸われている今ならば、私の魔力だって、そう大事にはならないはずだ。
「ぶっ飛ばせ!」
シンプルな言葉で、それを行使する。
私の魔力が視覚化し、光を放って魔術陣にぶつかっていく。
ぴしぴしと、床や壁――――建物にひびが割れる音が聞こえだした。
「あらま」
『黒靴』から驚いたような声が聞こえてきた。
「さすが魔術伯の子。やるねェ」
「ですが、見た所、こちらの魔力の方が上ですね」
冷静に判断するユリアさんの声。
……確かに、押し負けている感は否めない。
だけどね、私だって、底力だけはあるんですよ。
ぐっと歯を食いしばる。
まだいけるだろうと、自分の中から魔力を絞り出す。
「――――」
『黒靴』が息を呑む声が聞こえた。
その時だ。
「イングリット!」
ドアがけ破られる音共に、声と、足音が聞こえてきた。
顔を上げれば、兄や両親、複数人の騎士の姿と、そして。
青い顔をして、具合が悪そうな顔をした、ベルン様の姿があった。