プロローグ─②
夢を見た。それはどうしようもない悪夢で、絶望だった。
日乃国では薙のように黒髪で、赤目のものは「鬼の子」「忌子」として気味悪がられていた。だから親からは何度も殴られた。周りからは何度も石を投げられた。夢は過去を忘れさせてくれない。まるで、生きていること自体が罪なのであるのと、訴えては薙を苦しめる。
だからこそ、天城高白は薙にとっては光だった。
*
この国で騎士というのは、将来を約束されたエリート街道の一つである。しかし、薙のように貴族に拾われた孤児がこうして推薦されることもけして少なくはなかった。
「まぁだけどな、高白。オレは驚いたわけだ」
「何がだい?弥彦。」
「そりゃあもちろん、お前が薙坊を手離す選択をしたことさ」
弥彦と呼ばれた騎士は大袈裟に手を広げてソファに背を沈めた。
外行き用に撫で付けた黒髪が鬱陶しかったのか、ガシガシと乱雑に頭を掻き毟ると騎士団服の襟元を緩めて続けた。
「薙はお前に依存している。それは異様な程に」
依存、という言葉を聞いて高白の動きが止まる。それも一瞬だけのことだ。直ぐに手にもつカップに並々と注がれた紅茶を口にする。
「なにも騎士だけが未来じゃない。薙坊が剣の才能があるのは分かっているが、それはお前さんの為だろう?」
「わかってる。わかってるんだ、弥彦。でも、だめなんだよ、騎士じゃなきゃ」
「高白、」
「オレの…僕の傍じゃだめだ………早く、薙を離さなきゃない。そうしないと、」
高白の指先が震えていた。弥彦はその理由が分からなくて、しかし、問い詰めてはいけないような。そんな予感がして言葉を紡ぐのをやめた。代わりに一つだけ問い掛ける。
「高白。お前は、変わらないよな?」
高白はなにも答えなかった。
ただ寂しそうに笑うだけで、そのまま立ち上がって部屋を出ていった。
「───あぁ、ああそうだ。そうだな、高白。お前も本当は」
弥彦も立ち上がる。
約束通りであればあと数時間で、自分が迎えにきた彼が出てくる時間だろう。その間、敷地を散歩していようと外へ向かった。何故だか分からないが、そうしなければという義務感に駆られたのだ。
*
「────薙、オレだよ。入ってもいいかい?」
「どうぞ」
薙は何も望まない子供だった。
高白に拾われた時は13の時だった。あれから4年は経つが、薙は高白に何がほしいと伝えてくれることはなかった。だからこそ薙の私室には物がなかった。扱いは側近としていたが、薙が使用人たちに良く思われていないのを高白も知っていた。だから人目に付きづらい、離れ小屋を私室として与えたのだ。
ドアを開ける。
ベッドと日用品、そしていくつかの書物と武器。それが薙の部屋にある全てだった。
「申し訳ございません、もうすぐ城の使者の方がお見えになる時間ですね」
薙は旅支度を既に整えていたところだった。
藍色の詰め襟の服と黒の旅人用の皮のボトムに、マントを羽織っている。フードになっている場所をそっと頭に被ればいつもの彼の外出用の姿だった。
「…もうすでに来ているよ。お前を乗せるように馬車も準備してくれている。お前の支度を待つだけさ」
「そうですか、では、オレそろそろ行きますね」
「………薙、少し。少しだけ、話をさせてくれないか」
高白の言葉に薙は顔を上げた。日の光に高白の金色の髪が照らされる。
「薙、お前はもう戻ってくるな」
「え…っ」
高白の突き放すような言葉に、薙は息が止まるような感覚を覚えた。