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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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ホリーホックホーリー㉚

白い煙の筋が抜けるような真夏の青空に真っ直ぐに立ち昇っていく。

横長の墓石の前にしゃがんだ深見は、そっと目を閉じ、手を合わせた。


「墓参りをしたい。」


警察の簡単な事情聴取を受けた後、


《事情聴取が簡単に済んだのは、警察がやって来る前に、波間の家の掃除を済ませ、お互いに口裏を合わせたお陰だ。因みに突入に関わった面々はその秘密を墓場まで持っていくと誓い合った。まあ、警察署長には全てお見通しのような気もするけど、》


深見は、伯方邸で振舞われた夕食を摂りながら、おずおずとそう切り出した。


「ああ、そうだったな。そもそも、そのために島に来たんだもんな。線香はウチにあるし、シキミは、波間の家の前に生垣みたいに生えてっからよ。明日、朝一で誰かに届けさせる。何なら、そいつの車で送ってもらうといい。」

と伯方が言った。


それに西崎も便乗し、本格的に暑くなる時間を前に、山頂の橋本家にたどり着くことができたのだった。


段畑のようにきちんと整地されているいるわけでもないので、墓石の正面に立てるのは一人。深見が手を合わせる間西崎は、階段と墓の間に立ち、その姿を見、それから海を眺めた。


『朝、目が覚めて、上る朝日を見ていると、家に帰って来たんだって実感するんだ。良い家を建ててくれて本当にありがとう。』


金槌を振るったのでも、土を運んだのでもないと、西崎が何度言っても、その度に一葵は、『西崎が土地の事も、予算の管理も、手続きだってしてくれた。金槌を振るうのと同じ事だよ。』と、両手を握って言ってくれたのを思い出す。


海から視線を戻すと、ちょうど深見が顔を上げ、

「よいしょ、」

と立ち上がった。

「お待たせしました。」

と、脇に避ける。

「いえ。もういいのですか?」

「ええ。」

「では、」

西崎は“仰日”と書かれた、やや丸みを帯びた墓石の正面に立ち、それから目を閉じた。


「ぎょじつと読むんでしょうか。この文字はどういう意味でしょう?」


姿勢を戻した西崎に深見が聞いた。


「これは、‘あおひ’と読みます。古来、植物のアオイには、この字を当てていたとか、」


「ほぉ、アオイ。そう言えば、葵ちゃんも、俊葵君にも葵の文字が入っている。ひょっとして、かずきさんのお名前にも葵の文字が?」


西崎がコクリと頷いた。

「ここに眠る末っ子の悠葵君にも、」


「そうですか…」


深見の顔に一瞬、しゃが刺したのを西崎は見逃さなかった。


西崎が口を開くより前に、深見が口火を切った。

「西崎さんは、一葵さんのお父さんの秘書さんなんですよね。随分と息子さん一家に信頼されていらしたんですね。」


「一葵さんは、私の大学の先輩です。そのご縁で、橋本先生のお世話になることになりました。」


「なるほど。一葵さんが橋本先生の地盤を継いだあかつきには、晴れて西崎さんが公設第一秘書か…その修行に入られた格好ですね。」


隠された深見のキャラクターだろうか。かなり不躾な物言いだ。

西崎はあの廃校の校庭での会話を思い出していた。

何が言いたいのかは分からないが、その手に乗ってはならない。


「そんなこと言ったら先生に失礼ですよ。それじゃあまるで、橋本先生が黙って踏み台にされてるみたいじゃないですか。」

西崎はくすくす笑った。


「確かに。黙って踏み台にされる玉じゃないですね。あの方は、」

深見も、釣られて笑う。

笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら、西崎の目を覗き込んできた。


「OK.分かりました。あなたこそ腹を探れない人だ。あなたの腹を知りたければ、まずこちらの腹を割らなければならない。」


「・・・・」


「僕は、結婚前の朱子君と交際していました。」


どう?驚いた?と言わんばかりにまた西崎の顔を覗き込む。

本当は予測していた事だが、西崎は眉を上げて見せた。

それすらもパフォーマンスだと気がついて、深見は少し笑って肩をすくめる。


「大学当局を巻き込んで大きなトラブルになったのはそれが原因です。でも彼女は、朱子君は、付き合っていないと、シラを切り通してくれた。僕のために、大学が体よく僕を国外に出すために用意したドイツの研究機関への留学話を僕は受けることにしました。ほとぼりが冷めたら、すぐに帰るつもりで、僕はドイツに渡りました。」


西崎は、目の上に掌でひさしを作るようにして、海を見つめていた。深見も横に並び、同じようにして、遠くに視線を投げる。


「僕は、ドイツの刺激的な研究環境にすぐ夢中になりました。元来熱中するたち)でして…」

そう言って頭をかく。

「毎日朱子君とやり取りしていたメールも、書くネタが無いから滞りがちになって。億劫になるんですよね。ドイツに居ようが、日本に居ようが、生活なんてそうそう変わり映えしませんし、

ところが、その年の冬、突然朱子君がドイツにやって来ました。来年は卒業だし、そうそう、遠い所に行ってもいられないからと言って・・・

それが、朱子君に会った最後になりました。」


そう言った途端、フラリとよろける。

日差しはどんどん強くなっている。

西崎は、斜面に突き出ている橋本家のバルコニーの下に深見を引っ張っていった。

伯方の妻に持たされた、手製の赤シソのジュースの栓を捻って渡す。

深見は、ゴクゴクと勢いよく飲み、ふぅと息をつくと。

「これ、美味しいですね。」

と、真っ赤な顔で笑い、斜面をコンクリートで覆った擁壁ようへきに凭れ掛かかった。


西崎も一口飲むと、

「本当に、」

と呟いた。


「僕は、弱い人間です。そして卑怯だ。」

二人黙って海を眺めていると、深見が唐突に言った。


西崎は返事をせず、壁から身体を起こし、深見に向き直る。


「ドイツから帰国して、元の勤め先の大学でブランクを埋めようと、遮二無二しゃにむに、論文と大学の雑事と学会に埋没して…朱子君は、電話番号もメアドも変えたみたいで、ドイツ留学の終盤には、全く連絡が取れなくなっていました。それが気になって仕方なかったのに、決定的に拒絶されるのが恐ろしくて、僕は自分の気持ちに蓋をしてしまった。

そんな時です。あのオーストラリアでの事故のニュースをテレビで見たのは、」


西崎は深見をただ見つめた。何の表情も作らなかった。


「それ以来、僕は人生に全く意味を見出せなくなりました。ただ、人の心の闇を研究している時だけは安らぐ事ができた。皮肉な事に僕の学者としての評判は高くなっていったんです。講演会に呼ばれる事も増えました。

基調講演に招聘されたあるシンポジウムで、南雲君に偶然出会ったんです。」


「ああ、県立中央病院のお医者様でしたね。」


コクリ、


「興味を惹かれる症例だったのはもちろんですが、朱子君の義理の娘さんに当たる事が診察を引き受ける動機でした。不純ですよね。フフフ、」

深見は自虐的に笑う。

「南雲君は僕と朱子君が交際していた事を知らないようでした。二人は親友だと聞きましたが、それだけ朱子君が僕を守ろうとしてくれていたのだと思うと…

僕はさり気なさを装って、朱子君のお墓がどこにあるのかを聞きました。積もる話が盛り上がり、南雲君は、朱子君とお子さんの写メまで見せてくれました。」


深見は赤シソのジュースをラッパ飲みすると、大きく息を吐いた。


「僕の弟に似ていると思いました。僕の弟は十二歳の時に亡くなっています。心臓病でした。」


それこそ、西崎の心臓が鷲掴みにされたかのようだった。

なんとかポーカーフェイスを繕う。

こんなところで、長年の議員秘書の経験が生きるとは、あまりの皮肉に笑いたい位だ。


「弟さん、お可哀想に。たしかに、悠葵君は先天的に心臓病を抱えていましたが、悠葵君は一葵さんのお子さんです。先ほども言いましたけど、名前にも葵の文字が入っていますし、」


フッ、

深見は俯き、小さく笑みを漏らした。

「吉野さんのお話を聞いている時、太郎さんが、朱子さんと一葵さんの出会いについても勘繰ってしまいそうになると言ったら、西崎さん、怒りましたね。その時僕はあなたにシンパシーを感じたんですけどね。」

そう言って西崎をちらりと見上げる。

「西崎さんは優秀な秘書さんなのでしょうね。本当に口が固くて、自分の心を厳しく律する事ができる。」


深見は、擁壁から背中を離し、再び炎天下の墓の前に歩いていった。

そして、軽く手を合わせると、そのまま階段へ歩を進めていく。


「深見さん!」

西崎が叫んだ。


声の大きさに驚いたのか、深見は目を丸くして振り返った。


「その…悠葵君の写真やビデオがこの家の中に残っています。」


西崎は、深見を追い立てるように、トントンと、階段を上り始めた。













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