ホリーホックホーリー㉔
雨はいつしか本降りになっていた。
道路と波間の敷地の境界、屋敷から死角になる辺りで西崎は、道路の方に視線を向けていた。
目の端でヘッドライトであろう明かりが海を照らした。すぐにその光はくるりと回り、降り頻る雨を一本一本の柱のように浮かび上がらせた。湿った砂利を踏むタイヤの音が聞こえてくると同時にヘッドライトが消え、エンジン音が止まった。
「お疲れ様です。」
後部座席から降りてきたのは、見知らぬ若者だ。
真っ白のレインコートを着ているところを見ると…
「姫島駐在所の山城 栄太巡査長です。」
雨と風の轟音の中、はっきり聞こえる気持ちのいい声だ。
多少揉めた先程の打ち合わせの中で、島で騒動が起こった場合、駐在が知らなかったでは済まされないだろういう事になり、駐在への説明と迎えを伯方が買って出たのだった。
「首尾はどうだ?」
伯方が、西崎の横にやって来て屋敷に目を向けた。
何と言って駐在を連れ出したのだろう?
この素早さ。今からやろうとしている事を山城は理解してくれたのだろうか?
西崎の考えが分かったのか、伯方は背中をバシンと叩いた。雨合羽を滝のように流れる雨が勢いを付けて飛び散る。
「なんちゃなかったぜ。」
立ち込めた分厚い雨雲で薄明るい空の下、伯方がニヤリと笑ったのが見えた。
伯方が時計に目を落とした。
「あと五分…
山城さん。そろそろお願いします。」
山城は頷き、レインコートの左胸をそっと摩った。身分証を確認しているのだろう。
山城に続いて伯方が足を踏み出したその時、伯方の作業着のポケットが振動を始めた。
「ちょっとすんません。」
山城の肩をトンと叩くと同時に伯方が携帯を取り出す。
物音で気付かれたらまずいのと、救出メンバーの携帯のほとんどが防水仕様ではないのとで、よっぽどのことがない限り、連絡を取らず、時間を決めて動く事になっていた。
不安が込み上げてくる。西崎の胃は早くも縮み上がっていた。
「何だ!ああ?どういう事だ?
おお、おー、そうか、今が…四分前か、予定より二分早めるぞ。そっちは頼んだ、」
「さ、山城さんお願いします。」
そう言って伯方が歩き出す。
「何があったんです?」
後に続きながら西崎が尋ねる。
「急に屋敷全体の明かりが消えたそうだ。停電じゃねぇかって話だ。真司が言うには自家発電の設備があるにはあるんだが、一旦外に出て起動させんといかん仕組みらしい。」
伯方が前を見ながら独り言のように言った。
「て、事は…」
「その設備を起動させるために少なくとも一人は外に出てくる。そいつは多分高峰じゃねぇ。俺達ぁ、ツイてるぜ、」
伯方が親指を立てた。
鬱蒼とした緑のトンネルが急に開けた。伯方と西崎は雨合羽のフードを被る。敷石を置いただけの玄関アプローチを三人は一列になって歩いた。
伯方が頷くと、山城がコクコクと頷き、ブザーに手を伸ばす。
あ、と思ったが当然音は鳴らなかった。顔が見えないまでも、山城が恥ずかしがっているのが分かる。
もう一度、今度は拳をドアに向かって振り下ろそうとしたその時、
ドスン、
重いものが当たったような衝撃が家全体を揺らした。
ーーやったーー
伯方がフードの下で口端を上げた。
西崎も親指を立てる。
ドンドンドンドン、
山城がドアを叩いた。
ドン、ドンドン、
ガチャッ、
「動きませんか?不器用ですねぇ、」
急にドアが開いた。
声の主が顔を上げ、驚きに目を見開くその時、
伯方が横っ跳びで脇に逸れた。
咄嗟に西崎は、山城の手首を強く引っ張り、水溜りの中に倒れ込んだ。
「西崎さん。」
伯方の声で我に返ると、山城も起き上がる所で、
「大丈夫です。」
と言いながら、西崎は玄関に目をやった。
開けっ放しの玄関から足の裏が見えている。
伯方を見ると、
「気を失っているだけだ。ドアが邪魔で、手刀がイマイチ決まらんでな。多分すぐに起きる。早く縛り上げないと…手伝ってくれ。」
と口早に言った伯方は、背負っていたリュックサックから、ロープを取り出した。
それを見ていた山城も弾けるように立ち上がり、玄関に走り込んだ。
完全に脱力した人間は重い。
んぅー、
唸りながら西崎と山城は何とか男の身体を起こし、背中に回した手首と足首を伯方が器用に縛り上げていった。
「手ぬぐいか何かねぇか?」
伯方に言われ、スラックスのポケットから、昨日今日と取り替えていないハンカチを取り出す。
「さすが、上品なもの持ってんな。」
伯方は、だらし無くヨダレを垂らす男の顎を持ち口を開けさせると、これまた器用に猿ぐつわを噛ませた。
「よし、運ぶぞ!二人は上半身を持て、俺は足を持つ。風呂に放り込むぞ!」
真っ暗闇の中、西崎は頭の中の見取り図を頼りに歩を進めた。
湯が溜められていなかった浴槽に男を放り込み、入り口の折れ戸に付いたチャイルドロックを閉めた伯方は、山城に見張りを頼んだ。
「浴室に背中を向けるなよ。何かあったら大声で呼べ。」
今になって漸く震え始めた山城がコクコク頷く。
伯方は山城の背中を優しく叩くと、西崎の肩に手を乗せた。
「さあ、本丸だ。」
「ここか。」
部屋の前には、太郎、真司、下重が来ていた。
「もう一人は大野か?」
「うっす、」
「どこに?」
「俺が使ってた和室っす、」
「居たのは大野だけか?」
「そうです。」
「じゃあ、あとはここだけだな。」
伯方がドアレバーに手を掛ける。
「鍵が掛かっているな。」
と言った途端、伯方はドアから離れ、踵で思い切り鍵の下部分を蹴った。
ガラン、ガラン…
ドアレバーとロックは穴だけを残し、向こう側へ落ちたようだ。
四人が次々と中になだれ込む。
「なっ、なっ、何だこれ…」
最初に飛び込んだ下重は何かにぶつかって蹲っている。それに足を取られた真司は下重の横に倒れ込んだ。
「か、べ…」
四人の目の前にはまた壁が立ちはだかっていた。
伯方が持ってきた懐中電灯を点ける。
そこは、奥行き60㎝程の廊下だった。
伯方は、左右に懐中電灯を振った後、右側に歩いて行った。すると、フッとその姿が消えた。
残された四人は顔を見合わせる。
ドンドン、伯方が消えた方から壁を叩く音が聞こえてきた。時間差でくぐもった壁を叩く音が音が聞こえる。
下重が立ち上がり、左側に駆け出した。またしてもその姿が消える。
「おーい。ここにドアがあるぞ!」
下重の声が聞こえてきた。
その声で、伯方も駆けつける。
ドアの鍵自体は、そう特殊なものでもなく、下重が持ち込んだバールを差し込むと呆気なく開いた。
「あ…」
「なるほど、道理で音も振動もしない訳です。この部屋は‘島’だったんですね。」
西崎が感心したように言う。
目の前には、もう一枚、ドアが立ち塞がっていた。
そのドアの作りは廊下にあったものと同じで、またも同じように伯方が蹴破る事で、難なく開いた。
慎重に中に入ると、わずかに天井の嵌め殺し窓から差す外からの薄明かりに、クイーンサイズのベッドが浮かび上がった。その上に男が半身を起こしている。
「吉野紀之さんですね?」
西崎が問うと、
コクリ、男が頷いた。
ホッ、
誰からともなく安心の吐息が漏れる。
「すぐに外しますからね。」
下重が声を掛けながら、後ろ手に回されていたロープを外しにかかった。
ベッドの左右に繋がれた足首のロープを、真司と西崎が持ち込んだナイフで切り始める。
ガタン!
大きな音が辺りに響いた。
伯方と太郎が走り出る。
山城が表廊下を走って来た。
「奥か?」
コクリ、山城が頷いた。
ガタン、ドタン、大きな音が響いている。
襖を開けると、
大野と見張りの伯方の部下が取っ組み合いになっていた。
三人の姿を見ると大野は、掴み合っていた見張りを放り出し、隣の自分の部屋の襖を開け、掃き出し窓に走り寄った。
三人が部屋に駆け込む。
大野が振り返った瞬間、太郎が宙を蹴った。
ドサリ、
大野がもんどりを打って倒れるのを、伯方と山城はあんぐりと口を開けて見ているだけだった。
「山城さん。あっちの見張りは?」
我に返った伯方が言うと、
「はっ、はい!」
山城は廊下を駆けて行った。
手分けして大野を縛り上げる。
「どっかで見た事あったと思ったんだよ。太郎さん。昔全国大会で優勝したよね?」
「あー、伯方さんの書斎に道場のカレンダー有ったから、なるべく触れないようにしてたんですけどね。」
太郎が照れたように笑った。
「ま、聞きてぇ事山ほどあるけど、今度な。」
「はぁ、まぁー」
二人は、真司が使っていた和室の空っぽの押入れに大野を押し込み、戸に突っかい棒を噛ませた。
再び防音部屋に戻る。
ロープは外し終わっていた。
「とにかく、吉野さんを避難させましょう。」
西崎と下重が両脇を支え、ドアを潜った。
伯方は和室に戻り、押入れに変わりがないのを見届ける。
太郎は、風呂場に向かった。
山城は、風呂場の前をじっと見つめて立っている。
ホッとした太郎は、
「変わりありませんか?」
山城に声を掛ける。
山城は人の良い笑みを浮かべ頷いた。
「今、仲間に車でこっちに来るように頼んでいる。」
伯方が山城の肩をトントンと叩いた。
「僕は、大野の方見張ってますから。」
太郎が言うと、
「お願いします。」
伯方が殊勝に頭を下げ、西崎たちの後に続いた。




