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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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神様の飛び石⑤

「私、本当は今日でシドニーに戻る予定だったんだけど、まだ一緒に居られることになったよ。」

井上がそう切り出すと、

「嬉しい〜」

葵が抱きついた。


「という事は、俺達の帰国が先延ばしになったんすね。」

俊葵の冷静な声に、井上は首に巻き付いている葵の二の腕をポンポンと叩いて解かせ、その隣の椅子を引いて腰掛けた。


「そう。私達はこれからメルボルンに向かうの。」


「え、メルボルン?ここから何百キロも離れてるんじゃないんすか?」


「ええ。シドニーとこの町くらいは離れてるかな。」


「はぁ〜」


俊葵のため息に井上が苦笑いした。


「あなた達のお父さま、一葵さんがこの町に来る前に滞在されていたのがメルボルンらしいのよ。

ふふ、昨日突然コジオスコ山に登ると言われた時には私も俊葵さんと同じ心境だった。でもね、あなたのお祖父さまがお決めになる事は、突拍子もない事のように見えて、実はちゃんと意味があったのよ。」


それから、井上はその言葉の意味するところを話してくれた。


一葵達は、メルボルンからこの国に入国しており、このスレドボに入る前はメルボルンのごく普通の観光地をゆったりと巡っていた。メルボルンのホテルには、四日間の予約を入れていた事でもそれは明らかだった。それが突然、三日目でキャンセルを申し出て、この町のモーテルに予約無しででやって来たという。そこに警察は関心を示していたらしい。

一葵を知る者にとってその程度の事は突飛な行動の内には入らないのだが、


確かに、一葵の一連の行動には、俊葵も引っ掛かりを感じてはいた。しかしそれは飽くまで、警察とは違う意味でだ。

実は弟の祐葵は心臓が悪い。今のところ手術を要しないが、海外旅行に心配がないというほどでもなかった。

オーストラリアは日本と時差もほとんど無いから選んだ旅先だと納得していたのだが、三人が見つかったのが山の中だと聞いて、違和感が拭えなかったのだ。


「警察はね、一葵さんが朱子さんと祐葵ちゃんを突き落とした事件性も捨てていなかったんだ。」


「そんなあ〜」

葵の絶叫に、警察署を兼ねている市民ホールのロビーの中にいる人が一斉にこちらを見た。


「ごめんごめん。話の順番を間違えた。葵ちゃん!今日のあの登山が役に立ったんだよ。だから大丈夫なの。」

井上は慌てたように葵を抱きしめる。


コクコク葵が頷くと井上はようやく腕の力を抜いた。


「それってどういう…」

俊葵は先を促した。


「昨日警察は、お祖父さまと西崎さんに事情聴取をしていたんだけど、一葵さん達がなぜこの山に来たのかについてお二人には見当も付かなかったんだって、ところが一転、事故現場を見た西崎さんが一葵さんの行動の意味に気がついた…ほら、ね?」


「うん。」

葵が涙を滲ませ嬉しそうに頷いた。


俊葵は葵のつむじに手を乗せ、子供らしい素直な髪の毛を撫でた。


「それが分かったところで、父さんが帰ってくるわけじゃ無いけど、疑いは晴れたの…かな?」


「ほぼ。」井上はそう言ってにっこり笑い、

「現場の状況から、一葵さんが先に崖に落ちて、それに驚いた朱子さんが足を滑らせたという見立てで矛盾はないそうよ。

それに、西崎さんの携帯には、過去十数年分の分水嶺の写メがあったらしいわ。

私が呼ばれたのも、日本人がなぜ分水嶺に興味を示すのか、ここの人に分かるように説明する必要が有ったっていうだけでね。」

と言って葵の顔を覗き込んだ。

葵は細い目をうんと細めて笑い返す。


「そっか。」

「そっ、」


明日、俊葵一行がメルボルンに向かうという事は、一葵の遺体と同じ便で帰らないことを意味した。

帰国して知った事だが、一葵の事故の報道はいささか度を越していた。

あるテレビ局などは中継で、一葵らの棺桶が飛行機の貨物室から出てくる様子を流したらしい。確かに、マスコミにとっては格好のネタ・・・現職国会議員の、私設とはいえ秘書の、それも議員自身の長男が外国で事故死・・・なのだから、注目するなというのが無理な話かも知れない。


井上によると、日本に残って幸一が居ない間の事務所運営や一葵の遺体の引き取りや葬儀の段取りをするのは、公設第一秘書で、西崎は第二秘書なのだそうだ。

注目の渦の中に戻らない手立てについても、幸一の判断の冷静さを物語っていて俊葵は薄ら寒ささえ覚えた。


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