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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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神様の飛び石④

翌日一行は、コジオスコ山に登る事になった。

俊葵はすぐにでもシドニーにとって返し、一葵達の遺体と共に帰国するものだとばかり思っていた。

さらにコジオスコ山がオーストラリア大陸最高峰だと聞くと、俊葵は益々幸一の考えていることが分からなくなった。

しかし、幸一が一度言い出してそれが覆された事はこれまで一度も無かったから、きっと今回もそうだろうと、ため息をついた。


昨晩泊まった小さなモーテルのような宿を出発し、目と鼻の先のビジターセンターにバスが付けられた。そこで、登山装備のほとんどを借りることができるという。


先ずはロープウェイの乗り場に歩いて向かうと領事館の男性が言っている。

「石鎚山とか六甲山とかみたいね。」

と葵が囁いた。


ゴンドラに乗り込んだ葵は、風景が見える側と少し迷ってから、斜面側の窓に張り付いた。

反対に俊葵は、遠景の見る側に視線を投げる。

俊葵はもう、自分の頭の中を見るのをやめていた。心もスイッチを切っていた。だから現実味は湧かなかった。

そうすればこそ、一昨日は退屈な授業に欠伸を噛み殺していた普通の中学生の自分が、次の日には外国の空港に降り立ち、その日の内に親の死に接し、さらに次の日には雪山を登っているという現実に身を置いていられるのだから、



ガクン、

軽い衝撃と共に、ゴンドラが停止した。

ゾロゾロと一行が降りていく。

蛍光イエローのウェアーに身を包んだ幸一が、地元のガイドや昨日からいる大柄な男と何か話している。

スーツ以外はゴルフウェアーしか見たことがない幸一の姿が珍しいと思っていると、

「お祖父さま、全然似合わないね。」

と葵が俊葵と井上にだけ聞こえる声で囁きかけてきた。

井上がプッと吹き出し、

「ま、それだけダンディーだ。とも言える。あ、そうそう、ずっと思ってたんだけど、俊葵さんて、お祖父さまによく似てるよね。」

と言った。

「て事は、俺も似合ってないって事?」

と、やり返す俊葵。

葵と井上は、キャップがグリーン、ジャケットの切り替えの上部分がグリーン、その下はパンツまで白のウェアーを纏った俊葵を見上げる。

「ううん。よく似合ってる。オーストラリアで一番高い所にいる長ネギって感じ?」

井上が言うと、

「やだぁ、」「もう!」「ふふふ、」

三人は皆に背を向け笑い合った。


乗車前、俊葵は葵に登山などできるのか不安を抱えて、井上に相談していた。

ロープウェイの案内板によると、コジオスコ山は標高2228m。俊葵が以前登った石鎚山は1982mで、コジオスコ山が250mも高い。

俊葵の住む県内では、子供のうちに一度は西日本最高峰の石鎚山に登る。修験者の修行場でもある石鎚山の登山では酷く苦労した覚えもないが、楽だったという記憶もないのだ。


「すっごい登りやすい山だよ。ビジターセンターがゴーサインを出したんだから、雪も歩ける程度にしか積もってないと思う。ちょっと頑張れば、葵ちゃんの足でも登頂できるはずだよ。」

と井上は微笑んだ。

どうりで、防寒着に葵より小さなサイズがあったはずだ。


登山ガイドによって、俊葵と葵と井上は列の真ん中辺りに配置された。

斜面は、一昨日の雨の影響で少しぬかるんでいたが、足元には金属の網目の板が上に向かって敷かれてあり、しっかりとした靴を履いているのも手伝って、思いのほか歩きやすかった。

幸一は、と探せば、昨日までは先頭を歩いていたというのに、もう一人のガイドと西崎と一緒に最後尾を歩いていた。後になって思えば、常に君臨してきた幸一の老いを意識した最初のエピソードだ。


俊葵は、葵を気遣う合間合間に遠くに目を馳せ、景色を目に焼き付けた。

足元の銀世界と周りの濃い緑がとても近く、コントラストもハッキリとして、なんだか季節感がおかしい。

山の空気は澄んでいて、だからというのかとても喉が乾いて仕様がない。

大した勾配の山でもないのに、水分を取るために何度も足を止めなけれならないのが邪魔っ気だ。

葵にペットボトルを渡し、井上と軽口を叩き合う。


ーーまただ。こっちを見ているーー


この鋭さは他でもない幸一のものだ。

昨日までは感じなかったのに、今日はやたらと幸一の視線が刺さる。

俊葵はその方を見ないように、自分も水分補給をした。


登り続けていると、下山してくる一団に出会うようになった。「頂上はもうすぐだよ。」「ありがとう。」と微笑み合う。最後尾の幸一にも声が掛けられたようで、「thanks.」と返しているのが聞こえてきた。


頂上にはあっさりと着いてしまった。

これはまた随分と・・・

形容する言葉を探す俊葵に、

「呆気ないでしょ?」

息を弾ませ、羽二重餅を紅潮させている井上がウインクした。


「オーストラリア大陸は古期造山帯の古い大陸ですからね。切り立っていたはずの頂上も風化して丸くなってしまったんですね。」

いつの間にか西崎が側に来ていた。

井上が更に頬を紅くする。


「もし、葵さんの体調が良ければ、少し遠回りの下山ルートを取りたいのですけど、」

葵をチラリと見て言う。

「一葵さんの事故現場がそのコースの脇にあるそうなんです。」


葵が持っていたミネラルのボトルを握り締めグシャッとさせた。



遠回りのルートと西崎は言ったが、自動車は通れないまでも道幅は広くなだらかで、あのまま網敷きのルートを下り続けるより遥かに楽なルートだった。

ーートレッキングコースって言うよりハイキングコースなんじゃないの?ーー


「こちらで止まって下さい!」

大使館職員の男性が声を張り上げた。


この山を登っている者の目から見れば何の変哲も無い道端、その下は崖で、よく見ると蛍光色の防寒着を着た屈強な男が数人動き回っている。


「俊葵さん、葵さん。」

二人に声を掛け、西崎が幸一を伴って歩いていく。

警察関係者が先に崖を下り、わずかな足場で手を差し出してきた。

葵は首を横に振り、ここを下りるのは井上にも無理そうだったので、葵を井上に任せ、俊葵はそのわずかな足場まで下りていった。

警察関係者はジェスチャーで、身を屈めるともっとよく見えると示し、俊葵が一葵仕込みの発音で返事をすると、それからは俊葵ばかりを見て説明をするようになった。


その屈強な警察関係者によると、

祐葵と朱子はごく近い場所で発見された。おそらく、朱子に抱かれた状態で転落した祐葵は、地面とぶつかった衝撃で腕の中から飛び出したのだろう。一方一葵は、朱子や祐葵とはやや離れた場所で発見されたということだ。転落前の一葵の行動については複数の目撃情報があり、何やらしょっちゅう下を覗き込んでいたのだという。


今度はそれを西崎と幸一に日本語で聞かせる。


ハッ!

西崎が息を呑んだ。


「どうした?」

と、幸一。


西崎の顔は真っ青だった。

「一葵さんは、分水嶺ぶんすいれいを探していたのかも知れません…」


「何だそれは?」「水が流れる分かれ目の、あれ?」

幸一と俊葵の声が重なった。

西崎と俊葵は頷き合い、西崎がその事を幸一に説明し、俊葵はそれを横で聴きながら、警察関係者に説明する事にした。もちろん、分水嶺のような単語は井上に聞いたりしながら、


俊葵の説明が進むにつれて、警察関係者の眉根に寄せらていたシワは段々と取れていった。


コジオスコ山があるスノーウィー山地の属する山脈は、名前をグレートディバイディング山脈と言って、日本語に訳すると、大分水嶺山脈だいぶんすいれいさんみゃくという。大陸を二分する分水嶺を大分水嶺と言うのだが、それ自体が山脈の名前になっているというわけだ。


一葵はこのコジオスコ山の付近でその大分水嶺を探していたのではないかというのが西崎の読みだ。

西崎の実家の近くに分水嶺が分かりやすい形で表出している場所があり、それが公園になっていて、以前に一葵を案内した事があるそうだ。それからというもの、一葵は、外国に行く度に其処此処そこここで分水嶺を見つけては、写真に撮ったり、動画を撮影したりして西崎に送ってきていたのだという。


警察関係者は、それを聞いて更にホッとしたような顔になり、俊葵の説明がとても分かりやすかったと親指を立てた。



麓の町まで下り、遅い昼食を済ませると、警察関係者が西崎に一葵の写メはあるかと聞いてきた。今度は井上にバトンタッチをして、話している大人たちの姿を、俊葵は葵と二人遠巻きに眺めた。


「葵、お父さんと西崎さんがそんなに仲良しだって知らなかった。」

「俺も。そんな事、父さん一言も言わなかったしな。」


話し合いは比較的早くに終わった。

戻ってきた井上に聞かされた話により、俊葵は更に驚かされる事になる。

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