メランコリック アポロン⑲
リン、ドン、コロンコロン、
「いらっしゃ…」
カウンターからそう言い掛けたマスターは、鈴木を一目見るなり、動きを止めてしまった。
しかしそれは一瞬の事で、訳ありを見て取るとすぐに、入り口の脇にさり気なく広げられていた衝立を畳み、その奥の作り付けのソファーで囲まれた一段高い一角に三人を案内した。
鈴木はさっと店内を見渡し、他に客はいないかと囁いた。マスターは、一人居る。という意味で指を一本立てる。それを見て三人は揃って頷いた。
「ここ、普段お客さんを通さない席なんです。それに、向こうからは見えませんから、どうぞ安心してください。」
と、鈴木がマスクを外す。
続いて糺と俊葵もマスクを外した。
露わになった糺と俊葵の顔を見て、マスターは僅かに目を細めたが、何も言わず、
「少々お待ちください。」
と頭を下げ、カウンターに戻っていった。
しばらくすると、一人だけいるその客が帰り仕度をしている物音が近づいて来た。衝立のすぐ側に立ち止まった気配がして、三人は身を竦める。
それに気がついたマスターが、
「ああ、新聞、私がやりますから。そのままでいいですよ。」
などとその客に声を掛けた。
「ああ、いいよいいよ。自分が使ったものは自分で、ってな。」
と、その男性は気さくに返し、片付けが終わったのか、足音が遠ざかった。
「あ、やべ、偉そうな事言って、週刊誌、椅子の上にそのままだよ。」
男性が言うと、
マスターは、レジを開けるチン、という古めかしい音を立てながら、
「構いませんよ。仕事中でしょ?私がついでにやっときます。」
と返事をした。
「ごめん。お願い。」
「いえいえ。250円のお返しです。毎度ありがとうございます。」
やっと会計が終わり、誰もがホッと息を吐いた。
その時、
「そうそう、あの週刊誌と言えばさ、マスター今日の週刊誌、巻頭のアレ読んだ?驚いたよねー。」
その男性客が話し始めた。
「え?何ですか、」
「何って、橋本参議院議員のだよ〜、確か橋本代議士の長男て亡くなってたよね。外国で、事故だったっけ?無言の帰国って、ほら、テレビ中継までされて。葬式でも、隠し撮りみたいの写真週刊誌に載ってたじゃん。話題騒然だっただろ?“美しすぎる詰襟姿”とか言っちゃってさ、あの子が後継者だったんだねぇ。でも、爺さんと一人の女取り合うとか、お前に寄ってくる女なんて他にいくらでも居るだろ?って感じだよね〜」
「ははは、」
マスターがいかにもの愛想笑いを漏らした。
「じゃ、ごちそうさん。」
コロンコロン、音を立ててようやく男は出て行ったようだ。
ふぅ〜、糺が大きく息を吐いた。
鈴木が気遣わしげに俊葵を見ている。
俊葵の顔には、血色がなかった。
スタスタ、スタスタ、
マスターが歩いて来た。
と思ったら、足音は衝立の前を通り過ぎ、ドアベルが鳴りドアが閉じた。また開くと、ゴロゴロと音がする。
鈴木も立ち上がり、衝立の向こうに出て行った。
「兄さん。そうそこでいいよ。」
「他に何をすればいい?」
「じゃあ、ブラインド全部下げて。」
「うん。」
シャー、ゴトゴト、シャー、ゴン、
音が止むと一気に店の中が暗くなった。
「さ、もういいですよ。まずは着替えられますか?俊葵君。そして戒田社長。」
マスターがニッコリ笑って衝立から顔を出した。
「え、俺の事覚えてるんすか?マスター、」
俊葵が驚くと、マスターは、
「まあそれも仕事の内ですから。でもお名前は後付けです。兄さんの話を聞いて君の名前を知りました。戒田社長の事は、誰でも知ってますよ。有名な方ですから。それに昨日は戒田社長に会いに行くと兄に聞いていましたし、」
そして糺に向き直ると、
「戒田社長。お目に掛かれて光栄です。鈴木 次郎と言います。」
と言って、丁寧にお辞儀した。
「こちらこそ。お騒がせして済みません。お店まで閉めさせてしまって本当に申し訳ない。戒田 糺です。はじめまして。」
糺が手を差し出した。
握り返しながら次郎は、
「いいえ。こちらこそすみません。週刊誌なんて本当は嫌いなのに、営業の面でプラスだからとずるずる置き続けてしまいました。やはり、意に染まない事はやるべきではないですね。」
そう言って苦笑いする。
「たしかに。経営者として耳が痛い話ですな。」
そう言って糺は俊葵の肩をぽんぽんと叩いた。
俊葵は、はっとして顔を上げ、
「気を使わせてしまって申し訳ないです。マスターが悪いんじゃありませんから。」
と、恥ずかしそうに言った。
「いえ、」
次郎はそれだけ言って微笑むと、
「コーヒーお入れしますね。兄さん朝食は?」
と鈴木に聞いた。
「朝は食べたんだ。お腹空いてます?お二人とも、」
糺と俊葵は首を横に振った。
三人が昨日着ていたものに着替えるとちょうど、コーヒーが芳しい香りを立てていた。
店は広いというのに、結局三人はカウンターのスツールに収まった。
糺は洋子と電話で話していた。
洋子によると、戒田邸の前の記者は一人も居なくなったという。警備員がその辺を見回り、路上駐車している車は一台もないと報告してきたそうだ。
そのまま、家に帰ろうという話も出たが、二神のマンションに俊葵がいない事がバレて、戒田邸の前に記者が再結集してしまったら、今度は洋子のメンタルが持たないだろうと俊葵の方が気にしている。
コーヒーカップを手に、糺と洋子の押し問答を聞いていた俊葵は、スツールを降り、思い切って、マガジンラックの中から週刊誌をいくつか引き抜いてきた。
「俊葵君!」
鈴木が俊葵の手にした物を見て声を上げる。
次郎も目を見張った。
その声を聞いてこちらを振り向いた糺も慌てている。
「だって、自分のメリットになることしかやらない祖父さんが、自分から抗議声明を出すって言ってきたんでしょ?よっぽどの事が書いてあったんだろうなって、思うでしょ普通。さっきの人の話じゃ、俺の事相当書いてあるらしいし、どうせ後で何か言われるんなら、自分の事どう書いてあるか知っときたい。それに俺、父さんの葬式の時の写真週刊誌?全然知らなかったからさ、」
さっきの顔色の悪さから一転、飄々と言ってのけると、俊葵はスツールに腰を下ろした。
コトっ、
俊葵の目の前に、周りをクリームとチェリーで飾られたカスタードプディングのガラスの器が置かれた。
俊葵が驚いて見上げると、
「俊葵君の意気に感じ入りました。私からのおごりです。どうぞ。」
と次郎が微笑んだ。
プディングを一匙、口に運ぶ。俊葵が唇を綻ばせると、皆がふふと笑った。
「ありがとうございます。とても美味しいです。」
「全部召し上がってから、皆んなで見ましょう。」
「はい。心強いです。」
俊葵は、一口々々をしっかり味わった。
カウンターに並べられた週刊誌には、相変わらずショッキングなタイトルが躍っている。
三誌を並べ、該当ページをいっぺんに広げた。
そうするように言ったのは糺だ。
『全て嘘で形作られた作り話は無い。』二神の台詞だが、そうだとすれば、この嘘八百を並べているように見える週刊誌の記事にも、真実は含まれているはずだから、それを吟味しようというのだ。
全誌に共通する部分を、四人でああだこうだと言いながら抜き出していく。
○絶世の美女である高峰 稀世果は、はじめは俊葵と付き合っており、その後、橋本代議士に乗り換えた。高校も幸一を追って東京の有名私立女子校に進学したが、そこで口利きをしたのも幸一である。
○高峰 稀世果が東京で姿を消してから数日後、果島の海岸に打ち上げられているのが発見された。
○高峰 稀世果が最後に目撃されたのが、姫島。姫島は、橋本代議士の地元であり、代議士の孫の自宅も姫島にある。
「ま、こんなもんかな。」
俊葵は明るく言った。
箇条書きにすると、自分の名前ががそこにあっても、単なる情報として変換されてしまうようで、冷静に受け留める事が出来ている。そんな自分が何だか嬉しかった。
「これが発行されている全部ではないだろうが、メジャーどころとは言えるだろうなぁ〜」
糺が言うと、
「そうですね。この三誌は週刊誌の定番と言っていいですね。」
次郎がコクコク頷いた。
「だとすると、最後に目撃された場所が姫島とあっても、橋本家の敷地と書いていないのは、正直意外だったな。」
むしろ好ましい事ながら、その記述がどこにもない事に俊葵自身首を捻っていた。
「じゃあ、あの、田村巡査部長が言ってた事は一体なんだったんだ…田村巡査部長は、マスコミに情報を漏らしてはいなかったのか…」
俊葵は、抗議声明を出した幸一の独り相撲に終わるのでは、とまた別の心配をし始めていた。
糺はそんな心中を察したように俊葵を見遣る。
「まあ、そこまでマスコミにバラしたら、自分の首に関わると踏んだのかも知れない、でも、俊葵の個人情報が漏れているのはれっきとした事実だ。」
「そうですね。それだけでも十分罪深いですよ。」
鈴木が請け合った。
「うーむ。どういう情報源か、これは独自の路線ですね。」
次郎が呟いた。端に広げられていた一誌を持ち上げて読んでいる。
それは、事件について独創的展開をしている、週刊誌と情報誌の中間のような雑誌だ。
次郎が指差したページには、“アポロンとダフネ”とタイトルが打ってある。
アポロンとダフネは、ギリシャ神話で最も有名な話だ。
小さな弓をアポロンに揶揄れ怒ったエロースがアポロンに黄金の矢を射る。その矢は、射抜かれた者を恋に落としてしまう矢だった。アポロンは、偶然目にしたダフネに恋をし、追いかけ回し求愛する。逃げ回るダフネ。やがて力尽きた時、ダフネの懇願を受けた父である河神ペーネイオスがダフネを月桂樹の木に変える。
失恋したことを悟ったアポロンは、せめてもと、「私の聖樹となれ。」と願い、気の毒に思ったダフネもそれを受け入れ、アポロンの頭に月桂樹でできた冠を被せた・・・
「アポロンとダフネ!」
俊葵が声を上げた。
「うーん、」
糺が唸る。
「ああ、西崎さんが聞いたという、あれですか?」
鈴木が言う。
「まあそうなんですがね、かなりうちの事情に食い込んだ話なんですよ。」
そう言いながら、糺はチラッと俊葵を見る。俊葵がコクリと頷いた。
*ウィキペディア、アポローンの章を参考にしました。




