メランコリック アポロン⑱
朝食を引っ提げた鈴木がやって来た。
おにぎりに、だし巻き卵、ウインナーに豆腐とワカメの味噌汁。手を付けるが早いか、するすると胃に収まっていく。
そんな俊葵と糺の様子を見て鈴木は嬉しそうに顔を綻ばせた。
ほとんど食べ終わった頃、スーツを着込んだ二神が現れた。
「俊葵君の個人情報の流出について正式に抗議を申し入れるべきだと思います。」
そう言った二神の、冷たくも見える吊り目がちな目の奥が光っている。
「うーん。そうだな。ウチだけならまだしも、先生のマンションにまで迷惑を掛けてしまったからな。」
「まあ、それはそれとして、私はここで、橋本先生を頼ってはどうかと思うのですが、」
同意を求める口調ながら、二神の目には有無を言わさないものがある。
「うん。昨日の内にお義兄さんに連絡していたら、こんな事にはならなかったのかも知れないな。すまんね先生。」
「糺社長。私はそういう事が言いたいのではありませんよ。
昨日、戒田邸前に記者が集まっているのを知った時点で、思い付かなかった訳ではないんです。敢えてそうしなかったのは、情報を漏洩させているのが誰か見極めようと思ったからで、」
そう言って二神は、四、五枚の写真をテーブルの上に放り込出した。
「「こ、れ…」」
その内の二枚は自動車の車内で、乗車している人物が写っている。一人は県警の田村巡査部長、一人は菰田巡査長だ。
二神が頷いた。
「昨夜、このマンションの前で撮らせました。糺社長と俊葵君がここで泊まったことを知っているのは、尾行をしていたこの二人くらいなもんです…」
昨日、このマンションに送り届けてもらった後、糺は、運転手の新田に適当に遠回りをしてから会社に車を戻しておくように言っておいた。しかし薄いフィルムを貼っただけの車内は、双眼鏡などで観察すれば誰も乗っていない事は丸分かりだったのかも知れない。
「これは、どこで?田村巡査部長ともう一人は誰なんだい?」
糺がテーブルの上の別の二枚を手に取る。
昼間の飲食店のテラスだろうか、相手はレイバンの真っ黒なサングラスを掛けている。
背が高くほっそりとしたその人物が身につけているのは高級ブランドのスーツだと分かる。身振り手振りを交えて熱心に話し込んでいる最中のようだ。これで人目を避けているのだとしたら、明らかに失敗だろう。
「ええ、これは市内です。誰かは分かりません。例の東京に調査に行っていた男が戻った早々、これを持ち込んで来ました。」
「そうか。あの人無事帰った?それは良かったね。」
二神は、不可解な顔をしている鈴木と俊葵を横目で見ながら苦笑いした。
「とにかく、そこら辺の説明は後でしますから。糺社長には、今、橋本先生へ電話をかけてもらいます。」
糺は、「よっしゃ!」と立ち上がり、自分の携帯を持つと廊下に出て行った。
見送ったと同時にインターフォンの前に立った二神は、
不思議そうに見つめる鈴木と俊葵に、
「自首するんですよ。」
と涼しい顔で言った。
「おはようございます。吉岡さん。1503号室の二神です。はい。あー騒いでますね。すみません。これ、私の友人のファンの人達で、はい。表に出て行って騒ぎを収めたいのは山々なのですが…出て行き方を間違えるとかえって混乱するかと…それで吉岡さんにアドバイスをと思いましてね。はい。はい。ああなるほど、それは良いですね。では三人分お願いします。それで」その方達は何時頃に?分かりました。ありがとうございます。では、」
受話器をインターフォンに戻すと、二神は後ろを振り向きニッと笑う。
「今のはコンシェルジュの吉岡さんです。かなりの智慧者で、私が自首するまでもなく、この騒ぎと、昨夜私がこの部屋の事をいきなりお願いした事の関連に気がついていたそうなんです。それで、今日は、エントランスと廊下の集中クリーニングの日で、専門業者がいらっしゃるので、ユニフォームを持って来てもらうから、それを着て入れ替わりにここを出たらどうかと、あと三、四十分でこちらに到着するそうです。さ、急ぎましょう!」
「三人って、戒田さんと俊葵君と誰ですか?」
鈴木が聞くと、二神は、
「私は、橋本先生の抗議声明が出てから後、正面で出待ちをしている方々に一人で出掛ける姿を撮ってもらわなければなりません。鈴木さんは一応、高峰 稀世果の縁続きなんです。私と一緒に映る訳にはいきませんからね。変装してもらいますよ。」
と、言った。
十分ほどすると糺が戻ってきた。
昨日から幸一は、洋子に電話をかけ続けていたが繋がらず、どうしたものかと思っていたという。抗議声明の事を持ち出すと、幸一の方から抗議をしようと思うが、しても良いかと確認を取るために洋子に連絡を取ろうとしていたのだと言い出し、すんなりと話は決まったのだそうだ。
間も無く、コンシェルジュの吉岡から、業者が到着したとの連絡が入った。
三人と二神は、固く握手を交わして部屋を後にした。
俊葵と糺と鈴木は長い非常階段を降り、降り口で待ち構えていた吉岡と合流した。ユニフォームを渡され、今日は誰も使う予定がないからと言って、女性用の休憩室で待機するようにと申し渡された。
着替えを終えて、休憩スペースに腰を下ろした糺は、テーブルの上に週刊誌が置かれているのに気がついた。
一番大きな見出しが、目下自分達を巻き込んでいるこの事件の事だと知ると、それをどこに隠そうかと周りを見渡し始めた。
俊葵がそれを見ていなかったかと目線を遣ると、俊葵はその特徴的な色の髪の毛をキャップの中に収めようと四苦八苦している。
糺はその隙に部屋の隅に積んであった座布団の間にそれを滑り込ませた。
それから間も無く、車の準備ができたと吉岡が部屋に入って来た。ドライバーは人員の運搬を専門にする職員で、誰が乗っているか、行き先がどうとか、いちいち把握はしないが、一応行き先をターミナル駅にしておいたと言った。
その機転に感心して三人は丁寧に礼を言い、全てが片付いたら改めてご挨拶に伺います。と深々と頭を下げた。
近く駐車場を出る時、昼間にも拘らず、稲妻が光るようにフラッシュが焚かれたが、作業服とキャップ、マスクに覆われた男たちの乗る車の前に立ち塞がる者は誰もいなかった。
チラチラ後ろを見ていた俊葵は、車が角を曲がると、
「警察の車も付いて来てないみたいだよ。」
と、耳打ちし、やっと前を向いて座った。
それを聞いた糺は、ドサリと、ワンボックスカーの低いシートに倒れ込んだ。
五分ほどでワンボックスカーはターミナル駅の車寄せに滑り込んだ。お疲れ様とだけ言って、三人は車を降りる。ドライバーは、「はぃ、」と小さな返事をしただけだった。無口なのか無関心なのかそのどちらだったとしても、今の三人にとってありがたいことだった。
鈴木が「弟の店に行きましょう。」と言って二人の先を歩き出した。新田に来てもらうにしても、タクシーを呼ぶにしても、この格好で駅前にいるのは目立ちすぎる。二人はすぐさま頷いた。
バスターミナルを兼ねている駅前広場をぐるっと回り込むと、鈴木の弟の店『parrot』の看板が見えてきた。




