メランコリック アポロン⑰
西崎との通話を終えると、その場はお開きになった。
鈴木は二神の客間に留まり、糺と俊葵は、鈴木が揃えてくれたお泊りグッズの袋を抱えて、二神が借りたもう一つの部屋に向かった。
「俊葵。」
俊葵の後ろでエレベーターの階数が移り変わっていくのを黙って見上げていた糺が呼んだ。
「なに?」
「きっと大丈夫だからな。」
天井からの青白い光がニッコリ笑った糺の目尻のシワに影を落としていた。その姿に鼻の奥がツンとなる。
糺が何を言っているのか分かっているのに、余計な事を言えばまた泣いてしまいそうだった。俊葵は振り返らず、ただ「ん、」と言って、階数ボタンを睨みつけていた。
ブーッ、ブーッ、カタカタ、
翌朝、俊葵は、聞きなれない音で目を覚ました。
音のする方をしょぼつく目を無理やり開いて見ると、糺の携帯が畳の上で振動している。
「お父さん、携帯鳴ってる!」
糺は目を開ける事もせず、寝返りを打って反対側を向いてしまった。
「お父さん!」
俊葵は、ため息を吐き、相手の名前を確認すると通話ボタンを押した。
『糺社長!テレビ、今すぐテレビ点けて下さい。』
「あ、はい。」
俊葵は訂正する間も無く、リビングまで行き、テーブルの上にあったリモコンを手に取った。
「あ…」
そこに映っていたのは、昨夜潜ったこのマンションのエントランスだった。
「何でここが…」
『俊樹君でしたか。ご覧の通りです。間違っても部屋を出ないで下さい。もうすぐ朝食を持って鈴木さんにそちらに行ってもらいます。私もすぐに行きますから、と、糺社長にもそう伝えて下さい。』
俊葵は、糺が起きるまでの間テレビのチャンネルを変えて過ごした。公共放送以外全てと言っていいほどのチャンネルがこのマンションのエントランスを映し出している。
糺の携帯が再び震え始めた。
「んぁ、」
今度は糺が自分で携帯を手に取った。
「んん、よ、うこ…はよう。え、」
糺は飛び起き、首を巡らせてリビングに居る俊葵を見つけた。そしてその背後に映るマンションの外観に焦点を合わせた。
「な、に…なんでここが…」
『…糺さん、糺さん、どうしたの?大丈夫?俊葵は…』
糺が手の持ったままの携帯から洋子の声が漏れ聞こえてくる。応答する様子が無いのを見て取ると俊葵は、這うように糺に近づき携帯を掴んだ。
「お母さん…うん俊葵。今のところ大丈夫だよ。お父さん、起き抜けだったからびっくりしてるだけ。うん。何でかは分からない。うん。すぐに二神先生も来てくれる。そっちは?そう。そっちにいた人達がこっちに移って来たのかもね。うん。また変わったことがあったら連絡する。矢野さんにもよろしくね。取り敢えず切るね。はい。」
俊葵は携帯を畳むと、立ち尽くす糺の手にそれを握らせて、台所に立っていった。電気ポットの湯が熱いことを確認すると、カップを二つ出し、インスタントカフェオレのスティックを開ける。
甘くて熱い液体を啜り、大きく息を吐くと、糺は俊葵を見て微笑んだ。
「全く、俊葵には負けるよ。こんな時だっていうのに、コーヒーを入れてくれるし、」
俊葵は両手でマグカップを包むようにして目を上げた。
「スティックを破ってお湯を注いだだけだよ。幼稚園児だってできる。」
「それだけじゃ無いさ。この間、僕は『人の立場に立つな。』と言っただろう?それはお前を守れれば、と思って言った事だったけど、お前は僕が張ったセーフティネットなんかするりと抜けて、真司君を思い遣っていた。まさかあの電話が突破口を開くなんて、」
糺は、苦く笑って、俊葵の爆発したような寝癖をクシャリとかき混ぜた。
「真司に電話するって言ってしまってから、お父さんの言い付けに背いちゃったかなって気が付いたんだ。お父さん怒ってない?」
「怒るも何も、お前は常に僕の想像の斜め上をいってるよ。僕が言いたいのは、僕の狭い了見でお前を括ろうとした自分が恥ずかしいって事だ。」
「ううん。」
俊葵は頭を振った。
「お父さんが俺を守りたいと思ってくれてる事、ずっと小さい頃から感じていたよ。とても頼もしかった。そんなお父さんに認めてもらえてるって思うと嬉しい。」
「俊葵…」
糺は立ち上がり、俊葵の体格の割に小さい頭を胸に引き寄せた。俊葵も甘えるように鼻先を胸に擦り付ける。
「全くお義兄さんは勿体ないことをしたもんだ。もちろんあーちゃんも美人だし頭はいい素晴らしい娘だけど、お前こそこの国を担うのに相応しい存在なんだからな。僕は感謝するよ。節穴の目を持つお義兄さんの後援会の会長とその後援会に弱腰のお義兄さんに、」
糺はそう言ってニヤリと笑った。




