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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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神様の飛び石③

バスは完全に止まり、ドアが開く。俊葵に順番を譲っているつもりか、あの領事館の男性は出て行こうとしない。俊葵は、憮然としたまま頭を下げると、先にバスのステップを踏んだ。

皆が申し合わせたように入って行くのは、

「hospital…」

一瞬足を止めたあの男性が振り返る。

「さ、行きましょう。皆さんがお待ちです。」


微かに見えた希望に、俊葵は気分を害していたのも忘れて頷いた。


島の診療所のような簡素なそのロビーで、幸一と西崎は、待ち構えていた地元の警察関係者や病院のスタッフと、早速言葉を交わしていた。

井上に肩を抱かれるようにして立っている葵の元へ行くと、


「葵が中に入るには、お兄ちゃんが一緒じゃなきゃいけないと言うの…」


葵がまだ眠気の残る鼻声で言った。


「ああ行くよ。井上さん。葵も俺も入っていいんすね?」


井上は、白っちゃけた顔で頷く。

葵がそろりと手を繋いできた。俊葵は緊張で震える小さな手を握り締めた。


素っ気ないグリーンのゴム引きされた廊下を何度か曲がり、先頭にいる幸一と出迎えの男達が一つのドアの前で足を止めた。

頷き合って部屋の中に入っていく。全員が入るほど大きな病室なのだろうか?


最後の葵と井上と俊葵を吸い込むとドアが閉まった。

壁際にも目の前にもずらりと男達は並んでいる。

またも震え始めた葵が俊葵の背中に抱きつく。


「俊葵。葵。こっちに来なさい。」

幸一の声が響いた。


目の前の警察官か制服を着た男達に、通してくれるように井上が頼むと、さっと道が開いた。日頃見ないガタイのいい男の集団に葵は怯え、いよいよ体を密着させてくる。それでもそろそろと進むと、凸凹に塗り直された白いパイプベッドが目に入った。

中央に真っ白のリネンの盛り上がりがある。葵が邪魔で思うように近づけず、見かねた西崎が葵の腕を解き、やっと幸一の側にたどり着いた。

葵は西崎の手を跳ね除け、ベソをかいている。


「葵、泣くのをやめなさい。」


二人同時に幸一を見た。、硬い表情のまま幸一は頷く。

俊葵も頷き返し、ベッドを正面に見据えた。


そこにいたのは、父。

紛れもない一葵の姿だった。


その奥にはさらに二つのベッドが並んでいた。

一葵より小さなリネンの盛り上がり、一葵の妻、朱子あかね

その向こうはさらに小さく、弟、祐葵ゆうきの姿が、


俊葵はふらりとベッドに近づいた。

真っ白いリネンの中に手を這わせ一葵の手を探す。


ーー分かっている…ーー


一葵の周りには生命維持の機械の類は無く、

その腕はとても冷たくて、肌の柔らかさはほとんど失われている。


ーーそんな事しなくたってもう…ーー


俊葵は、一葵の手首を取ると、廊下と同じ陰気な緑色の袖を一気にたくし上げた。


「俊葵さん!」

西崎が声を上げる。

幸一が首を振り、俊葵を止めようとする西崎を制止した。


ごく小さいハートに『A &K forever 』という文字。

剥き出しになった一葵の右腕の肩との境目辺りにそれを見つけた。

その途端、急に膝が折れ、俊葵はベッドに突っ伏してしまった。



一葵は海外の取材を終えて帰宅すると、子供達と風呂に入りたがった。

三人で一緒に浸かる為に特別に選んだという大きなバスタブに体を沈めると、葵と二人でよくこのタトゥーを指でなぞって遊んだ。

幼い頃俊葵は、どこの家の父親の腕にも文字が書いてあるのだと思っていた。それを友達に言うと驚かれ、驚かれた事を一葵に言うと、

「やベーなぁ〜、また変な噂流れちまうよー」

と大笑いされたものだ。

後日、晩酌で機嫌の良くなった一葵が、葵には内緒だと前置きして、

「学生の時付き合ってた女の子と俺の頭文字だよ。」

と、教えてくれた。

「どうして、名前なんか書くの?」

そう聞く俊葵に、

「とても好きだ…から…」

聞き取れるか取れないかの小さな声で一葵は呟いた。

いつもは歯切れよく言いたい事を言う一葵の珍しい言動に俊葵は、

「ふぅーん。」

と、わざと気の無い返事をした。

それをどう受け止めたのか、一葵はふと笑い俊葵の頭を撫でて、

「別れちまったけどな。だからといって刺青は消せねぇ。お前はやるなよ。」

と付け加えた。それ以来そのタトゥーが話題に上る事はなかった。




「お兄ちゃん!」

葵が首っ玉に抱きついてきた。


「葵。息出来ないよ。」

くぐもった声で俊葵が言うと、井上が葵を引き剥がしてくれた。


俊葵は立ち上がり葵を引き寄せ、一葵の顔の側に葵をいざなった。


「父さんの顔、綺麗だな。」

葵の手首を取り、一葵の頬に導く。葵は一瞬引くような仕草をした後、すぐに自分の意思で一葵の顔を撫で始めた。

さっき見た右腕は、擦り傷だらけだった。腕がそうなら全身その可能性はある。しかし顔から首にかけては、打ち身も傷も一つもなく、最後に会った時そのままの一葵だった。


「うん、綺麗…あの刺青あったね。父さんだね…」

ぼろぼろと涙を流しながら、尚も葵は顔を撫で回している。


俊葵も生え際や耳を触った後、二つ目のベッドに目を移した。

朱子の頬には、長い引っ掻き傷のようなものが数本ある。


俊葵は一番向こうのベッドに歩み寄った。

「祐…」

小さな顔を覆い尽くすように包帯が巻かれている。頭に近い方には血が滲んでいて、

祐葵の額には擦り傷と紫の痣が浮いていた。

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