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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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メランコリック アポロン⑩

「あ、メール来ました。今日は、一日イベントで貸切だったみたいです。やっぱり、その人、大野さんというのだそうです。どうして知っているのか、と、ん?『連れの方がそう呼んだから、』どんな雰囲気だったの、と、え…」


携帯の画面を読み上げていた鈴木がガバリと頭を上げた。


「その大野氏が『犯人は有名人だ。』と言い始めると、連れの若い男性が『大野さん、それは話が違う。』と言って掴みかかり、弟が慌てて間に入ったのだそうです。」


「若い男性…」


それぞれ二神の自宅リビングの黒いレザー張りの三人掛け、二人掛け、オットマンに落ち着いた残りのメンバーは、大野の連れが、高峰 由稀世でなかった事に戸惑っていた。何事も決めてかからないようにしようと心掛けてはいても、焦りのあまりついつい浅慮せんりょ浅薄せんぱくへ流れそうになってしまう。


「話が違うとは何だろう?」

糺が自問するように呟くと、

鈴木は了解したと頷き、携帯に目を落とす。

「ええっと、そこのところ詳しく聞いてないか、その若い男性は前にも店に来た事があるのか、どれ位の年齢か、見た目は、と、」

滑らかに指を動かした。


「その若い男性には、“有名人”が誰を指しているかが分かったのかも知れませんね。」

二神が考え考え顎を摩りながら言う。


「うーん。」

糺はちらりと俊葵に目を遣った。


“有名人”というのは、陰で囁かれている橋本家の人々の別称だ。

狭い島の中。県内に三人しかいない国会議員を輩出したというのが姫島の島民の一番の誇りである。だから、孫の俊葵も、島民から下にも置かれない扱いを受けてきた。しかし俊葵には、それに甘んじる事なく丁寧に人に接してきた自負があったし、島の人々も、温厚で飾らない俊葵に、橋本先生の孫という以上の親しみを持って接してくれていた。

その一方で、アンチというものは存在する。かつて、俊葵が東京の高校に進学するらしいという噂は島にも届いていた。やれ学校の贔屓だ、代議士の口利きだと、噂に尾ひれが付いたものだが、一転、葵が島の小中学校に、俊葵が通信制に進学し島に戻って来ると、シンパは熱狂し、アンチは鳴りを潜めたという。


「俺だって、ウチがどう言われていたかを知らないわけじゃないよ。その呼び方を知ってるって事は、その男性は島の人間だ…」

言い終わる語尾が震えていた。

糺が俊葵の肩に手を置くと、宥めるようにゆっくりと摩った。


「話が違う。が、気になりますね…」

二神が言うと、

それを合図に全員が思索に沈み込んでいった。


パン、

布越しの肌を叩く音に全員が頭を上げた。

「取り敢えず、何か食べましょう。」

もう一度膝を叩き鈴木が立ち上がった。

スタスタと歩き、

「二神先生と色々買って来たんです。先生、キッチン使いますよ。」

と言う頃には、鈴木はカウンターの向こうに消えていた。


「俺も手伝います。」

俊葵も立ち上がった。


「私も、と言いたいところですが、足手まといになるのは目に見えていますので…」

二神がそう言いながら糺を見ると、

糺も、

「右に同じだな。食事の支度は頼みます。」

と、苦笑いした。


「鈴木さん、料理するんすね。」

俊葵は、鈴木の指示でレタスを洗いながら聞いた。


鈴木は頷きながら、

「料理は、外見も性格もあまり似ていない僕たち兄弟の共通点でね。旅館のせいで放たらかしにされていた子供の頃にね、仕様がなく始めたんだけど、その内夢中になってね、気がつくと家族のお三どんは僕と弟がやるようになった。僕は今でも外食はほとんどしないんだよ。」

と言った。


俊葵が目を丸くして、

「へぇ〜、凄い。料理人になろうとは思わなかったんすか?」

聞くと、

「料理人には高度なコミュニケーション能力が必要だと思わない?おまけに素早く動けないとね。その二つが僕には無いかな。」

と微笑んだ。


「そう言う俊葵くんも中々の手付きだと思うけど?」

鈴木が揶揄い混じりに言うと、

「元々嫌いじゃないんです。小さい頃から戒田の母やお手伝いさんに習っててて、それで二年ほど妹と二人暮らししたんで、手早さだけは、」

俊葵は手を止める事なく淡々と答えた。


「ああ、妹さん。葵さんだったかな。そうだったんだね。急に別々にご飯食べるようになるって寂しかったよね。」


俊葵は、ぐっと言葉に詰まったのを誤魔化すように、

「この挽き肉を炒めればいいんすか。味付けは?」

と声を張り、鼻をすすった。


鈴木はクスリと笑い冷蔵庫を開けた。

「オイスターソースと豆板醤、それとニンニクを刻んで混ぜて、挽き肉を軽く炒めてからいっぺんに入れていいよ。」

俊葵に指示を入れながらもう別の一品に着手している。



リビングで、糺と二神が額を付き合わせるようにして見ているのは、鈴木の携帯電話だ。

先ほどの質問の答えが返ってきたら読んでおいて欲しいと、鈴木から預かった。


『前に店に来た事はない。歳は二十歳になるかならないかで、170cmほどの身長。痩せ型。根元が黒くなった金髪。両耳にピアス穴がたくさん開いているがピアスはしていない…』


糺がうーんと唸った。


「知っている人ですか?」

二神が上目で見つめる。


「今時の若い子にはそんな見た目の子はいくらでもいる。と言いたいところだが、島民限定だとするとそうは言っていられん。

ああ、知っている。知ってるとも!俊葵の親友と言ってもいいような子だ。今井 真司…」

糺が吐き捨てるように言った。


「今井…あの、高峰 稀世果が原因で離婚に至ったという…」

「そう、その今井の次男だ。俊葵の郵便局の仕事を受け継いだと聞いていたが…」

「他にそんな見た目の子がいるのかも。島外から仕事に通う若者もいるはずですし…」


糺が片方の眉だけを吊り上げ二神を見た。


「先生らしくないな。そんな気を持たすような言い方。本当は分かっているんだろう?その若い男性が今井 真司なら、『話が違う』の辻褄が合いそうだって事、」


「ええ…」

二神はなで肩気味の肩をさらに落とし、

「大野氏と今井君がどう絡んでいるのかが分からないにしても、『話が違う』とは、俊葵君に対して何か後ろ暗い思いを抱えている印象は拭えないですよね…」

その声は語尾に向かって小さくなっていった。


糺は頷き、

「先生ありがとう。会社の顧問の仕事の範疇を超えているのに引き受けてくれて、今夜の部屋も用意してくれて、俊葵の心まで心配してくれて、感謝してもし切れない。」

そう言って、二神の薄い背中をバシバシ叩いた。


二神がいかにも痛そうに叩かれた部分を摩ると、

糺は、

「そんなに痛くないだろう?」

と笑い、

「しかし、警察はうんともすんとも言ってこないな。」

と呟いた。


「そうですね。警察は未だに、捜査の方針を定める事を犯人を決め付ける事だと思っている節があります。だから、簡単に俊葵君犯人説を手放したくはないのでしょう。しかし、逮捕状を請求するほどの証拠も無い。俊葵君が何もやっていないのですから当たり前ですが、」


「俊葵を尾け回すのが関の山ってところか、」

糺は窓に視線を投げると、

「今のところ、警察が持っている切り札は、島の家の敷地に入っていく高峰 稀世果を見たという目撃証言だけか…」

と呟いた。


顎を摩り、考え込んでいた二神がガバッと顔を上げた。


「糺社長!我々の考えは少しずれていたのかも知れません。」












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