メランコリック アポロン⑥
「今、何ってった?俊葵…」
糺がポカンと口を開けた。
「え、何って、お父さん?」
俊葵が首を傾げる。
「あー、もう、この子は…」
糺は頭を抱えて左右に大きく振った。
どうかしたのかと、俊葵は洋子を見る。洋子もポカンと糺を見つめていた。
尚も悶絶する糺に目を移すと、
今度は洋子が、
「糺さんばっかりずるいわ。」
ワントーン低い声で言う。その声に糺は顔を上げ、ニヤリと不敵の笑みを見せた。
「何よ、何よ、勝ち誇ったような顔しちゃって!」
洋子が、糺を睨む。
「ま、待って、お母さん。」
俊葵が、洋子の肩をそっと掴んだ。
ドタドタ、バタン、
「きゃぁ、奥さま!」
外で何かしていたのか、テラスのガラス戸が開き、矢野が入ってきた。
洋子に駆け寄ると、手を合わせ、二人踊るようにくるくる回り始める。
その様子を唖然と見ていた俊葵に、
「分かったろう?」
糺が声を掛けた。
「え、」
「俊葵は、お父さん、お母さんと呼んだだけだと思ってるかも知れないけど、それがこんなにも僕たちを幸せにしてくれるんだよ。」
「へへ、」
俊葵は頭をかいた。
そして、
「お父さん、お母さん。それから矢野さん。これからご迷惑をお掛けすると思います。どうかよろしくお願いします。」
と、深々と頭を下げた。
三人も、
「何、改まって、水臭いわ。」「今まで迷惑掛けなさ過ぎだったんだよ。」「いえいえ、俊葵さんはちっとも悪くないじゃないですか、」
などと、口々に言って、そのゴチャゴチャぶりに、また笑いが起こる。
したたか笑って目尻に浮いた涙を拭いながら矢野が、
「そう言えば、奥さまが編み物部屋に行かれている時、電話がありました。鈴木 太郎さんと仰る、源町にお住いの画家の方だそうで、」
俊葵と糺と洋子は顔を見合わせた。
「要件は何だって?」
「お詫びに上がりたいと、」
「お詫びって言ったの?」
そう言って糺が首を捻る。
「ええ、確かにそう仰いました。その方、旦那さまの会社関係の方では…」
「いや、前に話題に上ったじゃない。姫島の波間の泰斗の甥御さんに当たる方なんじゃないかな。」
糺がちらっと洋子を見ると、洋子が目顔で同意する。
「あー、俊葵さんに写真をお勧めになったという…」
矢野がポンと掌を拳で叩いた。
三人がうんうんと頷く。
「で、お詫びってなんだろう?」
と、俊葵。
「うーん、多分姫島か事件に関する事だろうけど、聞いてみないと何とも言えないな。しかしここにお呼びする訳にはいかないよね。彼の素性から、あの金魚のフンさん達に要らぬ詮索をされかねないからね、二神先生のオフィスをお借りするか、」
そう言って糺は自分の携帯を開き、二神に電話を掛けた。それが終わるとすぐに、矢野が聞いておいた鈴木の電話番号に掛け、約束を取り付けた。
鈴木との約束は次の日に取り付けた。
明日も休むと言うと、糺の秘書は驚いていたが、代わって電話に出た副社長が、有給休暇は取得時期と期間を自由にできるから休暇なのであって、と言い、『その代わり、』と前置きして、『絶対に息子さんの身の潔白を証明してあげて下さい。』と、熱くエールを送ってくれた。
新田の運転する車の後部座席の傍らには、俊葵が座っている。
『俺も合法的に休暇だから。』とニッと笑い、付いてきた。
普段は、公私混同を良しとしない糺も、相変わらず俊葵を追い回している警察対策に、社用車と新田の借用を甘んじて受け入れている。
鈴木には、二神のオフィスに先に入ってもらった。
『お詫び』とは一体何なのか、鈴木がどのような話をしてくるのか、なるべく考えないようにしていた。場所を弁護士事務所に指定しても、後から遅れて行くと言っても、気を悪くした様子は無かった事から、いわゆる敵側じゃないと判断した。そもそも、事件の話なのかどうなのかも分からないのだし、それもどうなのかね?と、糺はふ、と笑いを漏らした。
「怖っ、お父さん、またギャングの一人笑いしてる。」
俊葵が混ぜっ返す。
新田がルームミラーからこちらを見た。
「お父さんか、良いですね。ウチなんか、おい、オヤジ!ですよ。」
と笑った。
「そうですね。実は新田さんもオヤジって呼ばれるの、嬉しいんでしょう?僕なんかギャングって言われても嬉しいんだから。」
そう言って、俊葵の頭をくしゃくしゃに混ぜた。
警察に任意同行を求められた日と同じ、お堀を一望できる部屋に通された。二神は同席していない。今日は公判がある日で、終わり次第合流するそうだ。
部屋に入ると鈴木は、窓辺に立って堀の緑を眺めていた。
糺が「はじめまして。」と名刺を差し出すと、
「僕は、一葵さんの葬儀でお見かけしてました。」と言って名刺を受け取り、例の犬の絵の名刺を差し出した。
そして、
「俊葵くん、お久しぶり。」
と言ってニッコリ笑う。
俊葵も、
「はい。ご無沙汰しています。」
差し出された右手を握り返した。
二神の秘書がお茶を置いて出て行くと、
糺は早速、
「ウチの者がお電話で、『お詫びを、』と伺ったそうですが、それはどういう事でしょうか?」
と切り出した。
「実は…」
と、口火を切った鈴木の話は、予想だにしない内容で、その話に引き込まれる余り、糺と俊葵が、公判を終えた二神が入室していた事にも気が付かないほどだった。
事の発端は、泰斗が島を去って後、姫島に残されていた波間の地所を泰斗の孫が売却したことに始まる。島の地所は泰斗の遺言で、人手に渡してはならないとあった。泰斗は初め、『洋子に、』と娘に言い残していたが、それを孫が受け入れなかったため、人手に渡さないという条件を付けて相続された。
「泰斗の匂いのするもの全て、というのは、土地を含めて、全てだったのですね。」
糺は呟いた。
「なんです?それは、」
横から二神が聞いてきた。
糺は、洋子に聞いた泰斗に下されたお告げの話を聞かせた。
「して、その売却した相手というのが…」
「そう、高峰 稀世果です。最近になって分かったんですが、」
糺と俊葵は顔を見合わせた。
「すみません。僕らはそれを二年前に知っていました。」
「え、」
「今思えば、鈴木さんは高峰とは遠い親戚に当たるんだから、鈴木さんに聞いてみれば良かったんですけど、その時は妹の事も絡んで、俺も出来るだけあの高峰とは関わりたくなかったから…」
俊葵はそう言って歯を食いしばった。
「妹の事とは?」
鈴木がキョロキョロと三人を見回しながら聞く、
二神をちらっと見ると頷いたので、俊葵は葵が高峰 稀世果に取り込まれていった経緯を話して聞かせた。
「それなら関わりたくないよね。ましてや俊葵くんの性格ならね。」
鈴木が、あどけなくも見える太く短い眉を下げた。
「お詫びと仰った内容というのは、その地所を高峰 稀世果に売ってしまったと、そういう事ですか?しかしそれは、鈴木さんがなさった事でなし…」
と、糺。
「確かに、僕自身がした事ではない。しかし、息子に強請られて地所を渡してしまい、売り飛ばされてしまった叔母は、自分自身を責めて今伏せっています。彼女の気が晴れるなら僕は、なんだってしてやりたい気持ちなんです。」
鈴木は弱々しく笑った。
「そのお気持ちは分かりました。洋子は、鈴木さんの叔母さまが伏せっておられるのを知らないと思います。近いうちにお訪ねするように言いましょう。少しは気が晴れると思いますよ。癒し効果抜群の女ですからね。洋子は、」
そう言って糺は、ウインクした。
「ところで鈴木さん。その、波間の地所は今どうなっているのでしょう?」
二神が聞いた。
「そうそう!そもそも、高峰 稀世果がそこを手に入れていたと知らせて来た人物が、その場所が今どうなっているかを教えてくれたんですよ。」
糺、俊葵、二神の三人は、首を捻った。
「かつての波間の地所には、立派な和風建築が建っています。元の波間の邸宅をリフォームしたようですが、」
「今井工務店だよ。真司のお父さんが一人でやってくれって条件で引き受けて、一年近く掛かったらしい。」
俊葵が言うと、
鈴木が眉を上げた。
「じゃあ、今井さんも…」
「と言いますと?」
と、糺。
「言うのも憚られるのですが、その、あの家は、逢い引き…に、使われていたようで…」
鈴木はしどろもどろだ。
「リフォームをしている頃、真司のお父さんとの関係が始まったらしいし、今になって考えてみると分かるけど、島の中にそういう場所は他にはないもんね。」
鈴木が絶句した。
「それで離婚までしたんです。」
俊葵がそっと付け加えた。
ああ、
鈴木が唸る。
「鈴木さん、さっき今井さんも、と仰いましたが、」
と、二神。
「はい。引っ張り込まれたというか、その…他にも何人も居ると聞いています。」
三人は顔を見合わせる。
二神が鈴木に向き合った。
「鈴木さん。あなたに、元、波間の地所がどうなっているかを教えた人物って一体誰なんです?」




