ダフネに捧ぐ⑬
カチャ、
田村と菰田を見送った二神が戻ってきた。
「しかし、俊葵が重要参考人とは、あまりに奇想天外で、驚いたなんてもんじゃないよ。」
頭の上で手を組み、糺が呟いた。
「ええ?向こうは圧倒されてましたよ。警察の動きを先読みしてますけど何か?みたいな。
まあ、これが海千山千社長の交渉術って奴ですかね。」
「ええーっ、せめて百戦錬磨って言ってよ。」
プルル…
内線だ。
「はい。エントランスまで?よし。ご苦労様。」
短く会話を終えた二神が俊葵を見てニッコリした。
「来訪者の入構証を返却するところまで見届けさせました。そこまでしないと警察官は勝手に戻ってきて、聞き耳立てないとも限りませんから。」
どう反応していいか分からず俊葵は力なく笑った。
「何て顔してるんだ。」
糺が俊葵の頭をワシワシと撫でた。
「まあ、ここで嬉しそうな顔でもしていたら、その方が心配ですけど?」
二神が言うと、
「それもそうだ。」
糺が、はははと笑った。
悩んでいても仕方がない。俊葵は意を決した。
「盗聴器は良いけど、ビデオテープは出せないかも知れない…」
「え?どうして…」
「ああなるほど、あーちゃんだな?」
コクリ、
「あーちゃん…葵さんですね。もうちょっと聞かせてもらえますか?」
糺は、一連の話を二神に話して聞かせた。
「それで、俊葵君は鍵の出所を聞かれれば、葵さんの名前を出すことになると危惧しているんですね?」
コクリ、
「葵さんの名前を出すのを危惧するのは、葵が高峰 稀世果の死に関わっているかも知れない思っているからですか?」
恐れているそれが音声となって耳に入ると、俊葵の心臓は大きな音を立て始めた。
俊葵はギュッと左胸のポケットの辺りを掴んだ。
「そうですねぇ、盗聴器に指紋が残っているとか、ビデオテープにはっきりと犯罪の証拠が写っているとかすれば、証拠の価値もあるのでしょうけどね。それにしたって、その証拠は飽くまでストーカー行為に対する証拠であって、今回の疑いを一気に晴らすものでもないでしょうから…」
「でも、警察は出せない事を突いてくるだろう?」
と、糺。
「まあ、あれこれ突っつくのと言い掛かりは警察の習い性。それで出てきた証拠とやらで維持できるほど公判は甘く無いですからね。提出が嫌なら出さなきゃいいんです。」
そう言うと二神は微笑み、内線を引き寄せた。
「橋本 幸一参議院議員の、あーそうだなぁ、秘書と連絡を取ってくれないか?」
五分後に内線が鳴った。
「はい。果島の水死体の件で、警察から橋本 俊葵君が任意同行を求められまして。そこで私が依頼を受けました。いえ、もちろん警察には、はい。そのようです。身元が高峰 稀世果という人物だと判明したそうで、そちらの方にも警察は行ったのかと、橋本先生は随分高峰 稀世果を方々にお連れになっていたようですから。ええ。それに、葵さんの中学の先輩との事なので、葵さんも事情を聞かれたのかと、俊葵さんが心配していますので、あ、はい、はい。よろしくお願いします。」
カタン、
固唾を飲んでいる二人に微笑むと、二神は電話と同じ調子で話し始めた。
「公設秘書の長井さんでした。警察、橋本先生の所には行っていないみたいです。先生の最近の行動に触れると機嫌が悪くなりましたけど。俊葵君のところに警察が来たと言ったら慌てているようでしたね。わざと端折って果島の水死体と言ってみたのですけど、長井さん、『ああ、』と言いましたから、果島の情報は何かしら掴んでいたのかも知れませんね。葵さんに関しては、橋本家の方に確認してみるという事でした。」
「遺体発見の情報を知っていた?祖父さんが?」
俊葵が繰り返す。
「まあ、高峰 稀世果が最近まで橋本先生に近い所にいたのなら、少なくとも姿が見えなくなったのは分かるわけですよ。しかし、今時間を割くべきはそこじゃない。長井秘書から返事が来るまでの間に、一緒にやっておきたい事があるのですが、いかがでしょう?」
俊葵と糺は首を傾げ、目を合わせると揃って頷いた。
「先ほど、糺社長があの人達に話しているのを聞いていて思ったんですが、何故俊葵君なのか、と、そこを掘り下げてみたいんです。」
「そうだね。警察は、高峰 稀世果が俊葵にしていた行為については初耳のようだった。」
と、糺。
「ええ、」
二神が頷いた。
「先程の話では、高峰 稀世果と関係した男性の話もありましたが、」
俊葵が頷いた。
「俺がそれに気がつかなければ、真司ん家の両親、離婚せずに済んだかも知れないんで…」
数々の浮名を流してきた真司の父。しかし未成年と関係したと知ると真司の母は堪忍袋の尾が切れたと言って、離婚届を置いて家を出た。
俊葵がその事を謝ると、謝った事に真司は怒り、自分も惰性で続けてきた工務店の仕事にけりをつけられて良かったのだと笑って、むしろ俊葵が新たなストーカー被害に遭ってはいないかと心配してくれたのだった。
「それはそれ、悔やんでも始まりません。
いいですか?私が言おうとしているのは、高峰 稀世果が粉をかけた人物は多数に上るのではないかということなんです。」
キュルキュル、
キャスターを軋ませて糺が身を乗り出した。
「実は私も高峰 稀世果に会ったことがあります。
今年の年始賀詞交換会での事です。橋本代議士がお連れになっていました。豪華な振袖を着て、それはもう…」
俊葵を気遣うようにちらりと見る。
その意味に何も気がついていない様子の俊葵を見て、片眉を上げて見せた。
二神も口の端を心持ち上げる。
「クラブの女性と同伴する客といった風情で。彼女はあの美貌ですから、会場の話題を総ざらえでした。裏では天下の橋本 幸一が孫と変わらない歳の少女に骨抜きにされたと評判でしたがね。その上彼女は、話題も洗練されていて、一気に会場はヒートアップしてましたよ。私は橋本先生にご挨拶をしただけでしたが、高峰 稀世果の流し目と言ったら…二次会に流れた人間の大半が橋本先生について行ったそうですよ。」
「僕があーちゃんに養子の返事をもらった会食の時もほとんど同じ感じだったよ。」
糺が何度も頷いている。
「今井工務店の社長が、高峰 稀世果と連絡が取れなくなったのは、代替わりを伝えた後だった。それは今井社長に利用価値がなくなったから、その俊葵さんの読みは合っていると思います。今井社長の前にも誰か居たのだろうし、今井社長を捨てたのは大きなターゲットを得たから、」
「祖父さん…」
二神は頷いた。
「そう。
高峰 稀世果との関わりの度合いで言うなら、今回の事件、警察は事故と見ていないようなので敢えてそう言いますが、今回の事件の重要参考人は、むしろ橋本幸一先生のはずなんです。俊葵さんではなく、」
「え?」
「ああ、そうだな。」
「姫島だけで行われている聞き込みも、私には、特定の人物を犯人に仕立て上げるシナリオに沿っているとしか思えなくて、」
そこで、二神がぐいっと俊葵に近づいた。
「これから私は、俊葵さんにとっては辛い事を言います。」
俊葵は、血の気が無くなるほど拳を握りしめた。
それに気がついた糺がそっとその拳を包む。
その温かさに、見上げた俊葵に糺が微笑んだ。
その親子の温かい情景に似合わない二神の声が響く。
「誰かが、俊葵さんをスケープゴートに仕立てようとしています。」




