ダフネに捧ぐ⑦
「し、かし…灯台下暗しとはこの事だよねぇ…」
糺は、部屋の中を眺め回している。
「そうだね。さすがに、思いつかないだろうね。」
と、俊葵が請け合った。
俊葵と糺が連れて来られたのは、廃舎になった小中学校の寄宿舎の一部屋。
中に入る事を躊躇する俊葵達に真司は、施設をしばらく閉じるためにガラス窓を板で覆ったり雨戸の固定をしたりといった作業を村に依頼されているのだと語った。
「俺は普段こんな事しねぇよ。だけど、お前めっちゃ秘密抱えているみたいだし、こんな小さな島、どこに目があるか耳が隠れてるか分かんね。だったらここで、ってな。」
「もちろん分かってるよ。ほんとサンキュな。」
俊葵は短くも心を込めて礼を言った。
「俺、あんま頭良くねぇからな。分かるように説明してくれよな。」
真司が茶目っ気たっぷりに言うと、
糺もそれに同意したのか頷き、
「率直に言って、僕も全て理解できてるわけじゃないんだ。頼むよ俊葵。」
と言った。
それを聞いて俊葵は、一人で突っ走ってしまっていたのを初めて知った。
「すまん。時間の問題もあって、ちょっと性急だったな。
ところで真司、説明の前に聞かせてほしいんだけど、お前、高峰 稀世果に会ったことはあるか?」
「ある。というか、顔を見ただけ。」
「じゃあ、迫られたことはあるか?」
「ない…お前はあるのか?」
俊葵は真司から目を離さず頷いた。
「まさか自慢じゃないよな?」
真司がにやりとした。
「誤解すんなよ。俺にとっては嫌な経験でしかなかったし、この質問は意味があってしたことだ。それと、これから話す内容は、お前にとって気分の悪い事かも知れない。」
「ああ?今更聞かずに帰れるかよ。」
言葉とは裏腹に真司が和かに言った。
「ありがとう。そう言ってくれると気が楽になる。じゃ始めるか、」
糺と真司がさらに膝を詰めた。
俊葵は、糺にもまだ話していない事も含めて、今日島に戻ってきた経緯を話した。
特に、波間の家を買ったのが高峰 稀世果と思われる事、真司の父親が高峰 稀世果のハニートラップに掛かってしまったと疑われるという段になると、真司の顔色が悪くなった。
「ああ、だからさっき、『高峰 稀世果に迫られた事はないのか?』って聞いてきたのか、」
俊葵は頷いた。
「そう。俺、既に結構な秘密お前に喋ってる。もし、お前が高峰に引っ掛かったてるんなら命取りってくらいにはさ、ほんと試すような事聞いてごめん。」
と、俊葵は頭を下げた。
「いや、いい。」
と手をひらりと振って、真司はその手を首の後ろに回した。
「あのさ、めっちゃ初歩的な事言ってるかもだけど、
高峰って、言ってもまだ中坊じゃん。中坊が大人を利用するとか、俺にはちょっと信じらんねぇ…実際に盗聴器が出てきたからさ、お前が言ってる事嘘じゃないとは思うけどさ、」
「ああそれは僕も。実際に高峰 稀世果の狡猾な一面を見てるから、俊葵が言ってることは理解できるけど、まだ十代の女の子だしなぁって気持ちはどっかにあるよね。」
二人の忌憚ない意見に俊葵は微笑んだ。
「ああ、正直に言ってくれて嬉しいよ。実は、俺がそう言うのは根拠があって、」
そう言って、俊葵は、ずっと背負っていたナップザックの中から、クリアファイルを取り出した。中には、パソコンからプリントアウトした資料が分厚く収められている。
俊葵は車座の真ん中にそれらを広げた。
糺がその内の一枚を手に取る。
「パーソナリティー障害?」
俊葵が一つ頷いた。
「深見教授が以前から指摘していたんだ。葵にはその可能性があるって、」
「深見教授って?」
真司が聞いた。
「葵の主治医っていうか、」
俊葵は、一葵の事故からの葵の様子をかい摘んで聞かせた。
「お前、大変だったんだなぁ〜」
真司が称賛の眼差しで俊葵を労った。
俊葵は小鼻の脇をかきながら、
「あの時はもう夢中だったからね。それに葵を見守ってくれたのは俺だけじゃないし、」
と、糺をちらりと見た。
糺がにこりと笑って緩く頭を振る。
「深見教授からそう言われて調べ出したんだ。パーソナリティー障害という病気は、人格としての個性と病的な思考の境目が曖昧で診断が難しいらしい。その中でもいくつか病名があるけど、その病名間で特徴が重複しているのが普通らしいんだ。
葵の場合は、そのパーソナリティー障害の中の、境界性パーソナリティー障害。飽くまでその可能性であって、全然経過観察でいいってその時は言ってたから、葵の様子を見ながらのんびり、教授に借りた本とか、こういう資料を読んで対策を勉強してるって感じでさ…」
糺と真司は頷くのも忘れて俊葵を見つめている。
「昨日、ふっと思い出したんだ。パーソナリティー障害の、深見教授が指摘した葵のとは別の病名の診断基準の中に、」
俊葵は、広げられた資料を捲って狙った一枚を引っ張り出し、真司に渡した。
「反社会性パーソナリティー障害…」
コクリ、
「その、反社会性パーソナリティー障害の項目ほぼ全てに、当てはまるんだよ。高峰 稀世果が、」
横から糺が診断項目を指差し、真司もそれを目で追った。
「これは、通称、サイコパスとして知られている。」
ゴクッ、
二人が同時に唾を飲み込んだ。
「反社会性パーソナリティー障害の人物の脳は恐怖を感じる部分が機能していないと言われているそうだ。
恐怖心が無い事を、『ブレーキの無いアクセルだけの車に乗っているようなもの』と書いている本もあったよ。」
糺と真司が驚愕に見開いた目を合わせる。
「高峰が優秀なのも、裏表があるのも、二枚舌なのも、全てはそこに理由がある。
敢えて言うと、“万能感”かな。
自分にはできるって自信しかないから、知識は容易に身に付く。要領も良い。裏表があるのは、欲望に忠実だからだし、二枚舌なのも同じ理由。それらは全て同じ目的のために働く。何かと言うとそれは、“刺激”だ。その刺激という目的の前に公序良俗は何の意味も持たない。」
糺がぐっと拳を握りしめた。片や真司はポカンと口を開けている。
「高峰 稀世果の行動はそれで全て理由が付く。
ただ一つ、俺が居そうな所だけに盗聴器を仕掛けたのだけがどうしてか分からない…」
俊葵は呟いた。
「え、いかにもそこに有るって確信しているように見えたけど?」
と真司。
右に同じと糺も頷く。
「それは状況を観察すれば分かっただけで…」
「まあ、確かにそうだよね。あの家には俊葵しか残ってないんだから。」
と、糺。
「村長や祖父さんや真司のお父さんなら、大人だし、分かるんだ。だけど俺には何の利用価値も無いのに…」
と、俊葵が答えの出ない悔しさを漏らすと、
「え、高峰がお前のこと好きって事なんじゃねぇの?」
真司が至極当然という顔で言った。




