ダフネに捧ぐ④
月曜日から始まるいつもの日常。
会話の無い朝食の後片付けを終えると、俊葵は仕事に出掛けた。
職場では局長が大量の荷物の積み込みに追われていた。
「俊葵君、おはよ〜、出勤早々悪い、手伝ってぇ〜、」
「あ、はい。全部積み込んじゃえばいいっすか?」
「うん。これ、全部小中学校行きだから。」
「珍しいっすね。」
俊葵は、段ボールの送付票を見た。学期末お馴染みの教材取次会社ではなく、
「個人ですか、Yukiyo Takamine.…」
「そうだねー、あの転校生の関係者かねぇ〜、」
「局長知ってるんすか?」
「知ってるよ。めっちゃ美人だもん。知らなきゃ潜りっしょ。あれ?ひょっとして俊葵君、潜り?」
局長はヒヒヒと笑った。
軽のワンボックスカーいっぱいの段ボールを届けるため、俊葵と局長は二人で小中学校に向かった。
その中身は、大量の本で、局長が荷解きと棚に詰める作業を引き受けてしまったために、その日の午前中、俊葵は学校にいる羽目になってしまった。
局長は一時間ほど前に、留守番をしていた局員に呼び戻され、俊葵だけが作業に追われている。それでもやっと作業の終わりが見えてきた。
壁に掛かる、創立記念と金文字で書かれた振り子時計を見ると、十分ほどで正午になるところだ。
「先に、これやっとくか、」
俊葵は隅に積んであった段ボールを分解し始めた。
つぅっ!
いきなり、首に鋭い感覚が走り、俊葵は飛び上がった。
咄嗟に首を押さえ、その掌を見る。怪我ではない。
その時、
「あっ、はっはっはははは…」
けたたましい笑い声が聞こえた。
声の方を見ると、俊葵の頭一つ下で、セーラー服の少女が笑い転げている。その手には水滴が浮かんだペットボトルが握られている。
「予想以上の反応。はい。これどうぞ。」
そう言って少女はペットボトルを差し出した。
「いや。飲み物なら持ってきてるし、」
俊葵は首を振った。
少女はくすりと笑い、
「こんなものもらったところで、誰もとやかく言いませんよ。固いなぁ〜、そういうところが窮屈なのかもね…葵のお兄ちゃん?」
「!」
ーー高峰 稀世果!ーー
「そうですぅ、私が噂の高峰 稀世果です。初めまして、どうぞお見知りおきを、」
俊葵の心を読んだというのだろうか、勝手に自己紹介をしたかと思うと、ずっとニヤニヤ笑っている。
俊葵からの返事が望めないと分かって、稀世果は急ごしらえの書棚を眺め始めた。
「あ、結構趣味いいじゃん。我ながらいい業者を選んだわ、」
俊葵は首を傾げた。
ーー送り主は父親とかじゃないのか?ーー
「あ、この送り状の名前が気になってます?フフッ、確かにこれは私の父親の名前ですけど、この本を買ったのは私。」
俊葵は稀世果を見つめた。
「お、やっと私に興味を示してくれました?嬉しいなぁ〜」
稀世果は、大袈裟に両手で頬を押さえ身体をくねらせる。
「・・・・」
「これ、200冊位あるかな。これだけの数、未成年の私の名前で寄付して受け取る人、この日本にいます?いないでしょう?だから不本意だけど父の名前を使ったんですよ。」
「・・・・」
クックッ、
「考えてる事、全部顔に出るんですね。はぁ可笑しい。大丈夫ですよ。悪いことして儲けたお金じゃないです。全部投機で増やしたお金なの。10歳の誕生日にもらった株から始めて、今や一端のトレーダーですよ。何なら証拠をお見せしましょうか?」
「・・・・」
俊葵は、何も言わず、片付けの続きを始めた。
「困ったら、黙って無視する。全く男って成長しない…」
稀世果は俯いて作業する俊葵の顔を覗き込んだ。
つぅっ、
俊葵が飛び退る。
稀世果は一瞬驚いた顔を見せたものの、元の余裕を取り戻してニヤリとして言った。
「気に入った!ね、私と付き合わない?お兄ちゃん、」
俊葵は耳に入った言葉が信じられず顔を上げた。
至近距離の稀世果と目が合う。
その時、ドタドタ音が廊下の近いところから聞こえてきた。
「あー、橋本さーん。作業任せっぱなしにしちゃってごめんなさいねぇ〜」
この小中学校の校長の武智だ。その後ろには局長もいる。
「いえ。棚の方はもうちょっと、今、段ボールやっつけてたんで、」
「いいのよ。思ったより進んでるわぁ〜」
「俊葵君ごめんよ。一人で、」
「いいっす。それより局の方は大丈夫っすか?」
「あーそれな。集荷の電話、全部間違いでさ。そんなのあり得るんかねぇー」
俊葵が二人と話し始めると、稀世果は部屋の隅にスッと引いた。
「あら、稀世果さん。村長が探してたわよ。明日の贈与式の打ち合わせをしたいって、」
「そんな…大袈裟なことはしないっていうお約束だったのに、」
さっきとは表情も声の出し方まで違う。俊葵は目を見張った。
「稀世果さんが控え目な性格なのは分かるけど、村長の、多くの人が訪れる島にしたいっていうロマンに共鳴してくれて、本当に嬉しいんだと思うわ。それにしても贈与式にお父さまにお越し頂けなくて残念、」
「はい。父は忙しい人でいつも世界中を飛び回っていて、でも、島には協力は惜しまない。と言っていましたから。」
武智は満足そうに頷いた。
「お父さまのスピーチは、あなたが代読してくれるのよね?」
「はい。ご要望の通りに英語で書いてもらいました。原文通りに読んで、私が訳したので良いんでしょうか?」
「それでお願い。ああ、あなたの流れるような英語のスピーチ、もう聞けなくなるなんて残念だわ。」
「私も寂しいです。」
「え?高峰さん、国に帰るの?」
局長が口を挟んだ。
「いえ、国には…」
「急にね、寄宿舎の予算が削られることになって、せめて稀世果さんの卒業までってお願いしていたんだけど、来年の入学生に入舎希望者がいないのもあってね、早めに廃舎になる事になったの。稀世果さんは、本島の私立に編入が決まっているのよ。
確か葵さんも同じ所よね?」
「あ、はい、」
「優秀な人同士、切磋琢磨してどこまでも伸びていって欲しいわ。」
「ありがとうございます。」
「え、葵ちゃんも転校すんのか?」
局長が俊葵を振り返った。
「そうっすね。」
「えーっ、俊葵君も本島に移んの?」
「俺は…」
その時、目の端に稀世果の姿が映った。
長めの前髪と肩に付く黒髪が表情をほとんど隠しているが、俊葵の角度から、目鼻立ちのはっきりとした顔の、一際目立つ赤い唇が歪に引き上げられるのが見えた。




