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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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違う名前⑥

スクーリングの間、俊葵は授業に全く集中できなかった。

休み時間も、葵へのメール文を打っては消すを繰り返した。

俊葵としては、糺の顔を立てたつもりだが、葵にしてみれば俊葵に裏切られたような気がしたのかも知れない。


きっと話が出た時に、一旦保留にして持ち帰り、俊葵の口から告げるべきだったのだろう。

しかし、もう何年も父さん以上に面倒を見てくれた恩人。気心が知れた二人に持ち帰りますなんて他人行儀な事、言えるわけがない。


まあ、今の状況に理性的な解釈を付ければそうなるが、実際は、考えるより先に口に出ていたのだ。『葵共々よろしくお願いします。』と、



俊葵が戒田邸に着いたのは、まだ夕方というには早い時刻だった。

糺は既に帰宅していた。


「多分、僕が焦り過ぎたんだ。」

糺はすっかり意気消沈している。


「そんな事ないわ。難しい年頃だもの。混乱しているだけよ。」


「メールが来たんだ。『私の事まで勝手に決めないで。』って、決断を押し付けたって、俺に怒ってるんだよ。」


洋子は、葵に今週末こちらに来ないかと誘ったそうだ。葵は橋本家に立ち寄るようになったのと引き換えに戒田家から足が遠のいていた。洋子は、『お兄ちゃんも来るわよ。』と、誘い文句のつもりで言ったらしいが、『じゃあ行かない。』と逆に電話を切られかけた。このままでは、話す機会さえもなくなってしまうと、糺が電話を代わり、養子の話を切り出したという。


葵の動き回り行動の時とは別の、重々しい空気がリビングを包んでいた。


「こうなったら、あいつ、もうテコでも動かない…」


洋子が頷いた。


「それにしても葵のやつ、小学校まで盆と正月くらいしか行かなかったのに、なんで急に祖父じいさん家に行くようになったんだ…」

俊葵がぼそりと言うと、洋子が息を呑むのが分かった。


「叔母さま、ひょっとしてなにか知ってる?」

「え、ええ。」

「下らないことだ!」

普段、会話に割り込むことのない糺が強い調子で言った。


洋子は上目遣いで、糺を見ている。

糺は深く頷いて、洋子の肩にポンと軽く手を乗せた。


「お義兄さんの後援会だ。」


洋子が、糺の二の腕をぐっと掴む。


「後援会でお義兄さんは、俊葵を後継者として育てたい。と言ったらしい。」

「へ?」

俊葵は、気の抜けた声を出した。


「その様子だとやはり初耳なんだね。」


俊葵はコクコク頷いた。


「僕らは、俊葵とあーちゃんが落ち着くまで養子の話しは、しないと決めていた。でも、その間にお義兄さんが何らかの話を進めるのなら諦めようと話し合っていた。」


「あ、あのお墓参りの時、叔父さまが言ってた、父さんにお願いって…」


糺が頷く。


「俊葵と葵に養子の事持ち出す前に、お兄さんに話すのが筋だと思ってね。そしたら、」

洋子は苦いものでも湧き上がってきたような顔になった。


「『跡継ぎに、俊葵一人居れば良い。葵を養子にしたければすれば良い。』と言ったんだあの人は、」

糺の手は怒りで震えていた。


「それは一昨年の話でね。去年の今ぐらいから、急にお兄さんは、葵を家に呼ぶようになったの。」


「えっ、祖父さんが?葵、橋本の家に結構行ってたと思うけど、その度に地元に帰って来てたのか。」


二人は揃って頷いた。

その事実だけで、幸一の葵に対する執着が分かろうというものだ。


「それでね、葵が橋本の家に泊まるってこと確かめる電話を私がしたじゃない?」

「うん。」

「なぜ急に葵に接近し始めたのかって聞いたの。啓子おねえさんに、」

俊葵は息を詰めて洋子をじっと見た。


「お義姉さんは口を閉ざして何も言わなかったから、昨日改めてお兄さんに聞いたのよ。」

洋子の声が震えた。


糺はティッシュの箱を引き寄せ、さっと抜き取った数枚を、俯いている洋子の手に握らせる。


「お義兄さんは、後援会に、俊葵を後継者として育てたい。と言ったそうだ。ほとんどがそれに賛成したが、後援会長だけが難色を示した。

俊葵さんは、聡明で堂々としていて、素晴らしい人材だとは思う。だけどネックは彼の見た目だ。と後援会長は言ったそうだ。」


糺はそう言うと洋子の手の甲を摩り、俊葵を思いやり深い目で見つめた。


「ああ、う〜ん…そっかぁ〜それで葵か…」


俊葵と葵の見た目の違い。これは、橋本家、戒田家双方においてのuntouchableふれてはならないもの

色素のやや少ない髪の毛と白い肌が二人の共通点にしても、まるで日本人形と称される葵に対して、体格からして俊葵は欧米の血統を窺わせる。


『僕たちは着ぐるみだろう?』

鈴木の言葉が頭に木霊こだました。


「祖父さんは、葵を養子にするつもりなのか…」

「いや、しばらくはそうしないと言ってる。」

「ふぅーん。祖父さん、俺の事はなんて?」

「『そうか、俊葵を連れて行くのか、』って、」


ほとんど交流のない祖父の言葉。その言葉にホッとする自分に俊葵は驚いていた。


カップをソーサーに置く音、スプーンを使う音だけを聞き、それぞれが思いの淵に沈んでいる。


「葵は、それでいいのかな…」

ふと、俊葵が漏らした呟きで沈黙が崩れた。


ワァァァァー

急に、洋子が声を上げて泣き始めた。


「ごめんなさい…ごめんなさい…あなたから父親はおろか、妹まで奪ってごめんなさい・・・」


「ま、待って待って、叔母さま何を言ってるの、」


咄嗟に俊葵は立ち上がる。

椅子から崩れ落ちた洋子がコーヒーテーブルのガラス面に額をぶつける前に、抱き留める事に成功した。


グスグス鼻を鳴らすだけの洋子を糺が受け取って、椅子に座らせると代わりに話し出した。


「洋子は、オーストラリアの旅行に俊葵とあーちゃんを行かせなかった事を言ってるんだ。」


「それをずっと気にしていたの?叔母さま。だってあれは、もし一緒に行っていたら、葵も俺も危なかったんだから、あれでよかったんだから、」


後日、正式に捜査が終了したと、総領事館の井上が知らせてくれていた。一葵らの一件は、足を滑らせた過失による事故で間違いないのだが、その後の調査で、トレッキングロードの辺縁部の下ごく浅い部分に大きな亀裂が発見された。その亀裂は、数十人がいっぺんにそこに立てば崩れ落ちる可能性のあるもので、一葵らの事故がなければ見つからなかったかも知れないのだそうだ。

その知らせは不思議と俊葵を安らかな気持ちにさせた。その死に意味付けがなされるという事がどれだけ遺族の心を慰めるのかを俊葵は初めて知ったのだった。


「う、ううん、ううん…」

洋子は大きくかぶりを振った。


糺は大きくため息を吐いた。

「洋子…」


「いいえ。俊葵は知るべきだわ。」

グスッ、グスッ、

「俊葵。あなたと葵を養子にするっていう話、これが初めてじゃないの。私達は以前、一葵にもこの話をしていたの。」

洋子は震える手で涙を拭った。


え、

声にはならず、俊葵は口を開けたまま洋子を見つめる。


糺がいつもの笑い皺をなお一層深くして頷いた。

祐葵ゆうきちゃんは生まれてすぐに心臓が悪いと分かったよね。朱子あかねさんが祐希ちゃんに掛り切りになるのは目に見えていた。その時にね言ったんだよ。一葵君もただでさえ激務の議員秘書だ。俊葵とあーちゃんの面倒はもう見きれないだろうって、」


「それを聞いて一葵ったら、今、初めて気がついたって顔をして、オロオロし始めたのよ。」


その時の様子が浮かんだのか、洋子がくすりと笑った。俊葵にもありありと思い浮かび、釣られて笑う。


「あ、俊葵と葵はどうしてる?そうだ!二人を東京に呼ぼう。俊葵と葵の引越しをお願いしてもいい?洋子叔母さん。ですって、」


ははは。うふふ、


笑い合う叔母と甥に糺は呆れ顔だ。


「それから、僕と洋子二人して一葵君を説得した。東京に呼んだとして、まだ手のかかる年頃の子供達を誰が世話するんだ。姫島の家に子供達を置いておくにしたって、そろそろ洋子の体も限界だ。だから、戒田家で子供達を引き取る。と、」


「一葵は目を丸くして聞いていたわ。しばらくぽかんとしてから、俊葵と葵をよろしくお願いしますって、頭を下げたの。」

涙の引いた洋子が薄く微笑んだ。


「それからどれぐらい経ったのか、あ、そうそう、祐葵が退院してからね。体力が付いてから心臓の手術をする事になって、経過観察でしばらくはいきましょうって、それで二人のこと考える余裕ができたのかしらね。急に俊葵と葵を連れて旅行に行きたいって言い出したの。あの子、」


ちーん、

勢いよく洋子が鼻をかんだ。

「二人を連れて行きたいところがあるんだ。って、楽しそうに、行き先は教えてくれないのに、パスポートを取るとかの用事は押し付けてね。」


「出発日を決めて来て、学校の休みの届けを頼むって、全く一葵君らしい。その時初めて目的地を聞いたんだっけ、

あそうそう、洋子、あの時二人のオーストラリア行きに反対したのはどうしてだい?」


うーん。

洋子は、目を天井に上げて何かを迷ってから、

「あなた達は信じるかどうか…占いよ。

端折って言うと、一葵はオーストラリアに重い宿命の線が通っていて、俊葵も葵も一葵ほどではないけど、運命を左右する線があるの。」


「ほら、信じてない…」


唖然している二人を洋子が軽く睨む。

俊葵と糺は顔を見合わせて、苦笑いした。


「一葵は、オーストラリアじゃなきゃいけないんだと言ったわ。私はオーストラリアだけはダメだと言った。あの子にしては随分食い下がったけど、結局、何も言わず行っちゃったのね…」

洋子はまたも堪え切れなくなった涙を拭う。


「あの時一葵君が『俊葵と葵をよろしくお願いします。』と言ったのが、養子の件を承諾してのことだったのか、それとも、正式に返事をする前に最後の家族旅行を、と思っていたのか、単に二人に見せたいものがオーストラリアにあって連れて行きたかったのか、今となっては、」


「その答えを聞くチャンスを全て奪ってしまったわ…」


糺は洋子が座っている一人掛けの肘当てに腰掛け、そっと洋子の肩を抱いた。


その時、俊葵の頭の中にメルボルンの墓地で激しく慟哭する西崎の姿が浮かんでいた。


「そうでもないかも…」


「え、」「なに?」


「祖父さんは、オーストラリアと何か関係あるのかな?」


「さ、さぁ?無いはずよ。議員の仕事関係なら分からないけど、オーストラリアについては一葵がワーキングホリデーで行った以外には思い当たらないわ。」


「西崎さんはどうだろう?」


「西崎さんて、義兄さんの秘書の?ああ、一葵がナントカの写真を送ってたっていうあの人ね…」


その言い分だと、洋子は知らなさそうだ。俊葵ががっかりしかけると、


「いや、西崎さんも関係ないはずだ。」

糺が言い切った。

珍しい物言いに洋子も俊葵も注目する。


「西崎さんは英語が出来ない。一からキャリアを積むにしては年嵩としかさの一葵君を、わざわざ秘書にするのにはそういう理由があるんだと、お義兄さんは言っていたよ。」


「え、あ、そうなんだ。」


実は、俊葵は、一葵と朱子の結婚より、一葵の転職に納得できないものを感じていた。

政治家に近いジャーナリストも中には居るのだろうが、一葵の手掛けていた調査報道などは、むしろその反対で、そこが俊葵には全く理解できずにいた。

問い正そうにも、一葵は多忙を極めていて、その間に結婚をする、すぐに祐葵が生まれる。俊葵はその機会を逸していたのだ。

忸怩じくじたる思いを抱えていた父の180°違う転身の理由の一端が分かって俊葵はなんだか気が抜けてしまった。






























































































































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