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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
24/102

違う名前④

洋子は、橋本家との間にわだかまりを抱え、直接電話をすることを躊躇している俊葵の心理を理解してくれた。

すぐさま、祖母の啓子に連絡を取り、折り返しをくれる。

葵がこの週末を幸一や啓子と過ごすというのは本当という事だった。


俊葵は改札を通らず、駅舎を出た。

急いで島に帰る意味がなくなったからだ。

再び洋子に連絡を入れ、今夜泊めてくれるように頼んで、さてどうしようかと思った。

50万人が暮らす地方の県庁所在地。そこそこの繁華街を有するこの街に、俊葵の行きたい所はほとんどない。

直接戒田邸に行くかと歩を進めると、ジーンズのポケットで何かがカサリと言った。

手を突っ込む。それはあの奇妙な画家に押し付けられた名刺だった。


水色の背景に、あかんべーをしたような戯けた表情のコッカスパニエル。

右下に鈴木 太郎と書いてある。

ーーふぅ〜んーー

【波間旅館】

ーー旅館?ーー


これを受け取った時、俊葵は電車の時間が気になって、よく見ていなかった。


『僕、水曜日と金曜日はここにいるんだ。気が向いたら来てみて。』

確かに画家はそう言っていた。

ーーでもなんで名刺に旅館の名前?本業が旅館経営?でもそれなら、週二日だけそこに居るのもおかしいし、ーー

興味というより疑問がどんどん湧いてくる。

俊葵は、名刺に記された住所に向かって歩き始めた。


ーー波間旅館、あ、あった!ーー


木枠の引き戸にめられた、モール模様と呼ばれるストライプの薄い磨りガラスに、金文字でHAMAと書いてある。

呼び鈴は最新式のモニター付きで、俊葵は戸惑う気持ちもありつつ、ここまで来たのだ。とボタンを押した。


「はぁーい。」

オヤジそのものの声で、このテンション。うっと怯んだ俊葵だったが、もう姿は向こうに見えているのだし、と名乗るべく口を開きかけた。

すると、

「あ、さっきの少年。すぐ開けるよ。待ってて、」

と言うや通話はすぐに途切れ、薄い扉の向こうからスリッパで走るバタバタという音や、古い引き戸を開けるギシギシという音がしたかと思うと、ひょっこりとさっきの画家が顔を出した。


「うわぁー、本当に来てくれたんだね。嬉しいよ。さ、入ってはいって、」

俊葵が入れるように、入り口をもう少し開こうと両手を掛けたが、扉はこれ以上なかなか開かない。

見兼ねた俊葵が、スニーカーの側面で、戸道と接する辺りを軽く蹴りながら押すと、戸はスッと開いた。

「へぇーすごい。」

「俺ん家も建具は木なもんで、慣れてんです。」

俊葵は、話しながら玄関の上を見上げた。木造二階建てのこの建物は、外から見ては分からないが、玄関のこの部分だけ吹き抜けになっている。天井からはレトロなガス灯を模したライトが下がり、天窓からは、午後の日差しが降り注いでいる。正直言って暑い。


「ささ、上がって、ここエアコン効きにくいけど中は涼しいからね。あ、スリッパもどうぞ。」


鈴木によると、この旅館が商売を畳んで三十年経ったそうだ。

パタパタ奥に進んでいく鈴木の後を追いながら、ルームナンバーのプレートを眺めたり、部屋の中を・・・建具は全て開いている・・・覗き見た。

竹製の団扇うちわ立てや黒光りする衣紋掛け。保温ポットを入れる丸い穴の空いた鎌倉彫りのティーワゴン。鈴木の解説が無ければ、俊葵には使い道さえ分からない物のオンパレードで、好奇心は膨れ上がる一方だ。

そんな俊葵に鈴木は嫌な顔一つせず丁寧に説明してくれた。


「ルームナンバー、花の名前で統一されてるんすね。」

葵の間と書かれた部屋の前で足を止め、俊葵は呟いた。


「そうなんだよ。波間の家はね、母の実家なんだけど、元々は姫島で墓参りで使うシキミの栽培と販売で財を成した家なんだ…」


姫島と聞いて俊葵の頬が一瞬ピクっと引きつる。


「それでね、僕の曾祖父さんが次男の祖父ちゃんが所帯を持つ時に生業として持たせたのがこの波間旅館なんだ。

祖母ちゃんはね、風流なところのある人でね。シキミは花がないから、旅館の中だけでも花を咲かせたいと言ってね、それでこうなった。」


幼い頃は鈴木もこの旅館に住んでいたそうだ。

いつも人が溢れていて、プライベートはほとんど無く、自分だけの部屋が欲しいとか、家族旅行がしたいだとか、不満が多い少年時代だったと言う。


ファミリービジネス…

もし、橋本の家のファミリービジネスが旅館だったら、俊葵もたまには一人になりたいと思ったのだろうか…俊葵は祖父や祖母と暮らしていたのだろうか…一葵は今も生きていたのだろうか…


市内にも巨大資本のホテルが建つようになり、宿泊客も減っていった。旅館を畳んだ矢先、母親も病に倒れ呆気なく亡くなった。と、鈴木は淡々と語った。

妻と仕事を同時に亡くした鈴木の父親は、これまた実家の家業の喫茶店を継ぐ事にし、その後を弟が継いだんだ。と、話を結んだ。


「君は、幸一さんのところのお孫さんだろう?」


物思いに沈みかけた俊葵に、鈴木が聞いた。


「あ、」

ーーそうか、この人は姫島の関係者だ。父さんの葬式に来ていたんだーー

俊葵の境界アラームが起動を開始する。


それを察したのか、鈴木が胸の前で手を大きく振った。

「あ、誤解しないで。代わりに何か君から聞き出すつもりで僕の身の上話をしたんじゃないんだ。僕は君がどこの誰か知ってるのに、君が僕を知らなかったらフェアじゃないと思っただけだよ。」


「あ、俺、そんな顔してましたか、すみません。」


また、鈴木は手を振った。

「身構えて当然だよ。週刊誌でもあんなに書き立てられてさ、弟の店で君を見かけて、元気そうで良かったと思って、おまけに僕の絵を見てくれてたから嬉しくなっちゃって、つい絡んじゃった。」

そう言って鈴木は舌を出した。


ふっ、

俊葵が笑うと、鈴木も柔和な笑顔を見せた。


鈴木に通された部屋は、元の家族の部屋だったのか、今まで通ってきたどの部屋よりも広く、突き当たりにはトイレや台所も専用で作り付けられている。

畳があった事をうかがわせる、5cmほど床が低くなったかつての居間には、2号から大きいものでは50号位のさまざまな大きさのキャンバスが立て掛けられていた。

そのキャンバスに描かれている全てが犬で、ダルメシアンやヨークシャーテリア、コーギーなどの洋犬が黄色やクリーム色ピンクなどの明るい背景に一匹だけと徹底している。


「全部犬なんすね。」


グラスを持って戻ってきた鈴木にそう言うと、俊葵はまたキャンバスに視線を這わせた。


「そ、画材は油絵の具だったり、水彩絵の具だったりシルクスクリーンだったりするけど、頭に浮かぶのは犬だけなんだ。」


「ふぅーん。」


鈴木はすぐそばの冷蔵庫からオレンジジュースと緑茶のボトルを取り出し、どっち?とジェスチャーで聞いてきた。俊葵が緑茶を指差すと、二つのグラスにそれを注ぐ。


「なんでかって聞かないの?」


グラスを受け取りながら、俊葵は、いつぞやも同じことを大叔父に言われたなと思った。

「絵のことはよく知らないし、そういうもんかなって、」


「旅館の中のことは熱心に見て回って質問して、大体、君がここに来たのだって、名刺に旅館と書いてあるから見てみたくなったんだろう?それほどに君は好奇心にあふれている。なのに、どうして犬の絵ばかり描くのかというような心象に関わるところには注意深く触れて来ない。」

笑うと一本の筋のようになる鈴木の細い目が全て見透かしたぞと、爛々としている。


俊葵は思わず目を逸らした。


「僕はね、七歳まで全く話さない子だったんだ。」


急に変わった話しに面食らい俊葵は鈴木の顔を見つめた。


「でも、記憶が始まっているのはもっと前だから、僕の中にも感情はあったということだ。ただ言葉が出なかったというだけでね。親が言うには、コミュニケーションは取れていた。食べたい物は指差すし、嫌な時は泣いたそうだ。でもそれでは細かい要求を周りに伝えることはできないよね?」


俊葵はコクリと頷いた。


「父親が、どこかの国の同じような子供の話を聞いてきて、僕におもちゃのピアノを与えた。だけど全然興味なし、ふふ、三歳位だっただろうか、旅館のお客さんで、画材のセールスをしている人が来てね。僕に24色のクレヨンをくれた。僕は嬉しくて嬉しくてね。それまでそんなもの見た事なかったんだ。

僕の家では、落書きをされたら困るって、ずっと子供にお絵描きの道具を与えないのが家風、ってそれは大袈裟かな。でも、僕の叔父も叔母も家に一切画材の類は入れるなと言われていたんだって。

僕は、一晩で一箱全てを使い切るみたいに絵を描いたそうだよ。それは七歳まで続いた。その間意思を伝える手段は絵だけだったんだ。」

「・・・・」

「ふふ、何が言いたいんだって顔してるね。」


図星だけれど俊葵は首を振った。


「何が言いたいかって言うと、そのクレヨン以前の僕の状態が今の君の状態なんじゃないかなって、」

「え?」

「ふふ、君はね、人を思いやる気持ちに溢れてる。その一方で好奇心を優先するところがある。でもそれは、その好奇心を伸ばしてくれた人を深く思慕してるからで、自分の欲求を最優先しているのとは違う。」


「あ、」

咄嗟に浮かんだのは一葵の顔だった。

確かに自分の目で見た事耳で聞いた事をまず信じろと俊葵に教えたのは一葵だ。


「さっき、弟の店で、僕の絵に素直な言葉で意見してくれたよね。」


「あ、はい…」

俊葵は、あの決まり悪い経験を思い出して顔を赤らめた。


「本当にありがたいんだよ。僕の絵、これでも売れてるんだけどね、売れるとね、誰も意見してくれなくなるって欠点があってね。だからホント、嬉しいんだよ。

で、今言いたいのはそこでは無くて、君、あの時、何も言ったつもりなかったんだよね?今も赤くなってるって事は、自分の正直な気持ちをどこかで恥じているって事だと思うんだ。」


俊葵は首を捻った。

「本音と建て前、そういうことですか?」


「あ、そう言うと分かりやすいのかな。つまりね。言うつもりのない本音が漏れ出るって事は、建て前を取り繕うのももはや末期症状だって事だよ。」


「・・・・」


鈴木の言っている言葉の意味が分からないのではない。

ごく当たり前の社会生活を送るためのルールだと思ってきた事を俊葵の性格の欠点のように指摘されていることが解せない。


あー、

鈴木は手を額に当ててくうを見上げた。

「また、僕の話をしてもいいかな?」

俊葵の目を覗き込む。


ーー乗りかかった船だ。ーー

俊葵はコクリ頷いた。


「僕は、美大に行った。知ってるかな?美大ってお金がかかるんだ。その頃にはこの旅館も傾きかけていた。学費は出してやると言われてたから、生活費は自分で稼いだ。仕事は色々やったけど、一番効率が良かったのが、着ぐるみショーだった。」


「着ぐるみ?戦隊ヒーローとか?」


「そう、でも僕の場合、入ったのはヒーローじゃなくてヒロインの方でね。この体格だから、ちょうど良かったんだ。」


ーー確かにーー

160cmあるかないかの鈴木を眺め、俊葵は頷いた。


「日頃から女の子を観察して所作も工夫してね。ショーの後はサイン会とか撮影会でね。女の子キャラの前にはあまり人は来ないんだけどね。それでもやって来る子がね、こう、なんて言うの、ぼーっと顔を赤らめて、恥じらうというか、中身こんな男なのにね。ふふ。

それからは、お金のためにやってたその仕事が楽しくなった。着ぐるみを着てたら普段できないような体の動きもできるようになって、」


コクコク。


「それでね、ある日気がついたんだ。僕はねもう既に僕という着ぐるみを着てるんだなって、僕という役を演じてるんだってね。」


俊葵の視線は鈴木を離れ、側にある水屋のガラス扉の自分の姿を映していた。

日に焼けても赤くなるだけの肌。

細く腰のない栗梅色の髪。

鳶色の瞳。

ーーこれはただの着ぐるみーー


「建て前を大事にしてきた事を否定しようっていうんじゃないんだ。実際それだけで一生を終える人もいる。でも君はそんな人種には見えないんだよね。」


俊葵は、知らず大きく息を吐いていた。

長く大きなため息を、


鈴木はなんとも言えない笑顔を浮かべた。


「写真をおやんなさい。と言ったのは当てずっぽうじゃないんだよね。」


「あ、」

ーーそもそも、その素っ頓狂な話の続きをしてやるという事だったんだっけ、ーー


「ふふ、君はね、独自の視点と広い視野とを兼ね備えた、瑞々しい感性を持っていて、好奇心旺盛で、おまけに人の気持ちに中々踏み込めないときている…」


そこで片目を閉じてみせる。


「独自の視点、広い視野、好奇心とくればジャーナリストだけど、ジャーナリストは気がついたら懐に飛び込んでましたっていう人じゃないとね。」


ーーそうだった。父さんはそういう人だった…ーー


「そうじゃない君には、僕の絵に当たるものが要る。」


「写真…カメラ…」


「そう!」



































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