違う名前
「こんにちは〜、郵便局です。」
ドアが開くまでの間に汗を拭う。
「お疲れさま。これ持っていきな。」
顔見知りのおじさん・・・小学校時代の同級生のお父さん・・・が冷たい飲み物をくれた。
「ありがとうございます。」
これが午前中最後の荷物だ。
今日も暑い。水筒の中身を勢いよく空けると、自転車のペダルを踏み込んだ。
俊葵は、勤め先である郵便局に一旦戻って来た。
局長・・・この人もまた同級生の父親・・・は港に行っている。船便を受け取るためだが、その中に速達でもなければ、配達は明日でいい。事実上今日の仕事はおしまいだった。
「俊葵くーん。」
島唯一の中華料理店の店主・・・局長のお兄さん・・・が勝手にカウンターの中に入って来るなり、ラーメン鉢をドンと、俊葵の前に置いた。
うっ、
酷暑の中汗だくで帰ってきてからの湯気の出るラーメン鉢。恐る恐る中を覗く。
「今日はチャンポンだぞ!」
店主の目はキラキラと輝いている。
断るという選択肢は俊葵には与えられていない。
「う、美味そうっすねぇ、」
「だろう?」
俊葵は、小さな給湯室に麦茶のポットとグラスを取りに行き、店主にも麦茶を勧めた。
「おう、サンキュ、夏はやっぱり麦茶だよな。」
その一言に苦笑いし、俊葵は割り箸を割った。
中学校を卒業した後、俊葵は姫島に帰って来た。
主にはこの郵便局で配達のアルバイトをしながら、通信制の高校で学んでいる。この高校は他にも通学部、さらにその中に昼間部と定時制があり、成績さえ維持できれば、通信部から通学部への転部も可能というところに魅かれて、俊葵が自分で決めた。
チャンポンをほぼ食べ終わった頃、局長が戻って来た。
「おお、いいの食ってるねぇ、」
大汗を垂らしている俊葵を揶揄い気味に鉢の中を覗いてくる。
「お帰りなさい。局長、今日の速達は?」
「無ーし、」
「じゃあ、俺上がりますね。」
「あ、待て待て、俊葵。お前、中免取らない?」
「もう腹一杯っす、」
それを聞いた兄弟はよく似た声で笑った。
「食いもんじゃないよ。中免、中型免許だ。バイクのな。」
「はぁ…」
「配達楽になるぞ。教習所の費用半分経費、半分ポケットマネーで出してやらあ、」
「えー、なんか怖いっすね、」
俊樹が鼻白むと、
「こいつ必死なの。俊葵、真面目でよく働くからさ、辞められないように、ってさ、という俺も実は狙ってるんだけど。」
店主が、出来ないウインクをしようとして両目を瞑った。
一応叔母に相談してみると、取り敢えずの保留にして俊葵は帰途についた。
ーー葵が帰って来る前に、シャワーを浴びて洗濯機を回しておこう。今日の晩は、昨日の牛丼の残りを使い回してハヤシライスにして、とーー
頭を忙しく働かせながら、足りない食材を買い足すために、港通りの島に二件しかない食料品店の一つに向かった。
島をほとんど引き払うつもりで本島に移った俊葵が中三。葵が小六に進級してしばらく経った頃、戒田家に一本の電話が入った。
電話の主は、島の村長。正確には 周辺の島を六つ合わせて一つの村を形成しているのだが、役場は姫島に所在している。
どうも洋子が、葵が夜中に動き回る症状を抱えていた頃、島の小中学校に転校し直す相談をしていたらしいのだ。
来年、中学に進学する子供がもう一人いれば、中学のクラスを存続できるのだが、もう転校する意思はないのだろうか。というのが電話の内容だった。
この家のバルコニーで、血を吐くような告白をしてから葵は、夜中の動き回り行動を起こしていない。その少し前からも起こさなくなっていたが、その時と比べて全く危な気がない。というのが深見教授の評だった。
特に、バルコニーでの告白には、病院で行った退行催眠以上の効果があったのだろうと深見に絶賛された。
島の家で泊まる事にもゴーサインが出され、その上、村長の誘いに葵が乗り気になったため、中学校から葵は姫島に移ることになった。
島外の児童生徒を広く募るため、既に寄宿舎が設けられていたが、葵はこの家で暮らすべきだと思い、俊葵自身の進路も同時にここへ決めたのだった。




