愛される資格⑥
問答集も用意した。
実の、小学生の妹に、たかだか、病院に行くように言い聞かせるだけ。それだけで、俊葵はガッチガチに緊張している。
葵は、昨夜眠れているせいか、一時間ほどで自室から出てきた。
お茶を入れている矢野も、クッキーを皿に盛る洋子も言葉少なだ。
俊葵は早々に自分のカップの中身を飲み干してしまった。
葵はダイニンテーブルに頬杖をついて海を眺めながら、時々カップに口を付けている。
「葵。」
俊葵はおもむろに口を開いた。
「んー」
「こっち見て。」
葵は怠そうに身体の向きを変える。
「葵。月曜日には病院に行こうな。」
「何で?予約まで二週間あるよ。」
葵の口調まで気怠げで、こっちまで眠くなりそうだ。
「具合が良くなかったら、予約がなくても行っていいんだ。」
「葵、具合悪くなんかないよ。眠いだけだもん。」
「その眠いのが問題なんだよ。昼寝から起きたばっかでもう眠いって、夜寝れてない証拠だよ。」
「成長期は眠いって、叔母さまも言ってた。」
はっとした洋子は、それを誤魔化すように目を逸らした。
「確かに成長期さ。でも、掃除をしていて突然寝てしまうなんて事、普通ないだろ、」
「・・・」
「葵、」
俊葵は、そっぽを向いている葵に構わず話し続けた。
「お前が校舎の窓から落ちて、救急車で運ばれたって聞いて、俺がどう思ったか分かるか?」
葵が、しどけなくテーブルに寄りかかっていた身体を起こした。
「お前は、覚えていないみたいだけど、お前、夜中眠ったまま動き回ってる。だから睡眠時間が足りなくて昼間眠いんだ。」
「う、そ…」
葵の声が震えた。
「嘘じゃない!木曜の晩、眠ったまま椅子に上に立ち上がろうとしていたお前を、落ちる寸前に助けてくれたのは、矢野さんと洋子叔母さまだ。」
部屋を出て行きかけた洋子と矢野をくい止めるため、とうとう俊葵は口火を切った。
バツが悪そうに二人は浮かし掛けた腰を下ろした。
葵は項垂れ、
「南雲先生は何にも言ってなかったのに…」
と悔しさを滲ませる。
「そりゃそうさ。先生は見ていないからな。」
「・・・」
「俺だって見てない。物音を聞いただけさ。
叔母さまの家で、夜中にガタガタ振動が来るなって俺が気がついたのは、オーストラリアから帰った頃だ。
その頃、叔母さま達は、お前がいつも寝てばかりいるって心配してた。俺はそれを知らなくて、もっと早く俺と叔母さま達が話し合っていたら、お前に怪我をさせなかったのにって、」
ぐすっ、ぐす…
葵が鼻をすする音だけが聞こえる。
「葵、ほら、」
洋子が差し出したティッシュを無言で受け取って、葵は俊葵に目を向けた。
「葵が入院している時、南雲先生が様子を見ましょうと言っていたのは確かだ。それは、夜中に起き上がって動き回る行動は、子供には割とある事で、様子を見ている内に治る場合もあるからなんだそうだ。」
「じゃ、じゃあ、葵も…」
真っ赤な目にまだ涙を溜めて、葵が言い募る。
「ああ。だから、叔母さまは、子供の夜中の動き回りがどんな原因で起こるのか調べて、葵がベッドに入る時間を一定にしてやろうとか、カフェインが入っている飲み物を取らせないようにしようとか、お前の様子をノートに記録しながら見守っていてくれたんだ。けど、」
俊葵は微笑んだ。
「火曜の夜、お前の部屋から音がし始めた。水曜もそして木曜日…」
聞きながら、葵は唇を噛みしめている。
「島に戻れば良くなる。俺も叔母さま達も思っていた。この家はバルコニーの下はすぐに崖だ。このままお前の夜中の動き回りが大きくなれば、叔母さまと矢野さんの手には負えないし、」
「だから、見たことないカギがいっぱい付いて…」
俊葵は黙って頷いた。
「お前の夜中の行動が、様子を見ていれば治るものか、治療をするべきものなのか、それを診てもらおう。葵。」
俊葵は葵に聞こえないようにそっとため息をついた。
特別丁寧な口調を心がけた。さっき、手が痛くなるほど書きなぐった問答集の内容と随分違ってしまったけれど、もうこれ以上込められないほど心を込めたと思う。
葵は俯き、膝に上にポタポタ涙を落としている。
矢野がその側から手を伸ばし、葵の顔をそっと拭った。
「お、兄ちゃん…」
「ん?」
「お兄ちゃんも一緒に行ってくれる?」
葵が俯いたまま言うと、洋子が身動いだ。
俊葵は、洋子に向かってそっと横に首を振る。
「ああ、分かった。」
葵ががばっと顔を上げた。
「ほんと?」
こく、
俊葵が頷くと、葵の顔に笑顔が広がった。
洋子と矢野が目を合わせて頷き合い、葵の背中で手を握り合っていた。