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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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ホリーホックホーリー㉟

息苦しい防音部屋を出ると、皆の声で廊下の先が賑やかだった。

西崎と俊葵は声のする和室に足を向けた。


「二人ともお疲れ様。」

「さあ、皆揃いましたね。」


洋子を先頭に、

瑠璃と太郎と真司がその後ろに並んで向こうを向いて座っており、

二人が入ってくるのを身体を捻るようにして見上げている。


「私達はどこへ居たらいいですか?」

西崎が問うと、

「どこでも。でも東を向いてて欲しいの。これから少し火を焚くから、私の傍じゃない方が安全かしらね。」

洋子が口早に言った。

そう言う洋子の前には、小さな金だらいが置かれている。


「最後に、はい。って声を掛けます。その時に一緒に繰り返して欲しい言葉がありますの。

『安らかに、平らかに、(ねむ)(たも)う、』

やることはそれだけ、じゃあ始めます。」


洋子は前を向き、

手を合わせて、お辞儀をした後、

自分の名前を呟き、お辞儀。

瑠璃の名前、太郎、俊葵、真司。最後に西崎の名を唱え、またお辞儀を一つした。


〜〜のか、み。〜〜かみ、〜〜のかみ・・・・・・・・・・


普段の話し声とは違う、洋子のアルトは耳に心地よく、始まると間も無く、瑠璃と太郎と真司は船を漕ぎ始めた。

西崎も、眠らないまでも、己の脳内にα波が放出されているのを感じていた。

単語の切れ目ごとに唱えられる、()()とは、なんの事だろうかと思っていると、ちょうど、西崎の郷里の神社に祀られている神様の名が唱えられたので、『ああ、()()は、()なのだな。きっと全国各地の神の名を唱えているのだな。』と思った。


洋子が焚く、線香でも護摩木でもないキリリとした香りの煙が部屋に充満している。

パサリ、

音からして葉っぱだろうか、を継ぎ足す音がすると同時に煙が濃くなり、洋子の声が心持ち高くなった。

クライマックスに近づいているのだろう。その頃には、瑠璃や太郎や真司もハッキリと目が覚めたらしく、ちゃんと前を向いている。


「安らかに、平らかに、眠り給う。安らかに、平らかに、眠り給う。安らかに、平らかに、眠り給う。皆さん、はい。」


洋子の掛け声があり、

全員で三回唱えると、儀式は終わった。



外に出ると、空は薄っすら明るくなっていた。

洋子が、フェリーの時間まで間があるから、良ければうちに来ないかと、瑠璃と太郎を誘うと、正直、これ以上この家の中に居たくなかったと、二人は嬉しそうに頷いた。


出来るだけ早く休ませたいと、瑠璃と洋子と太郎を先に連れて行ってもらう事にして、俊葵と真司は後に回った。


エンジンの音が遠ざかると、二人の足は自然と海の方へ向かった。


今朝は満ち潮らしい。浜に下りることを諦め、二人は岩場に座る。

「ほれ、」

ナップサックに手を突っ込んでいた、真司がミカンを放って寄越した。


「えー、もうミカンはいいよー、」

どうにか落とさずにキャッチした俊葵が文句を言うと、


「馬鹿たれ、ミカンが酸っぱいと言い捨ててこの島を離れるなんて許さん。」

真司が神妙な顔で言い返した。


「ん、じゃあ食べる…」

渋々皮を剥き、一房口に放り込むと、

「ん、あま…美味いなこれ、」

俊葵が目を見張った。


「だろ?って言っても、俺が作ったんじゃねぇけど、あの…理奈がな、研究してる新品種らしいんだ。」

真司が頸を掻いている。


「り、な?え、理奈って、一宮いちのみや理奈の事?一宮って、確か農業大学校行って、その後海外青年協力隊でどっか派遣されてたんだよな?」

「そ、」


一宮 理奈は、姫島小中学校の同窓生だ。真司の一つ上だから、俊葵の二学年上に当たるが、児童生徒が少ない姫島ではほとんど同級生みたいなものだ。


「で、なんでそんな貴重な新品種を真司が持ってんの?」

俊葵が真司の顔を覗き込む。


「うーんと、それが、向こうから急に連絡来て、あの事件の事ニュースで見て、真司が関わってるって誰かに聞いたらしくって、」

「え、」

「いや、詳しい事やなんかは、何も言ってねぇよ。」

真司が顔の前で両手をブンブンと振った。



確かに、あの突入の日、島で起きた出来事をきっかけにしたよもやま話が次の週のニュース画面を賑わせはした。

ただしその内容は、俊葵たち関係者が知っている事々物々ではなかったのだ。

センセーショナルに、取り上げられたのは、

県警本部の現職巡査部長が各週刊誌に送りつけたとされる手記だった。


台風が過ぎ去るのを待ち、県警による本格的な捜査が始まった。

まず着手されたのは、姫島駐在所勤務の警察官致傷事件だった。目撃証言により、犯人とみられる人物の身元はすぐに判明した。

高峰 由稀世。

その人物の名前はすぐに、ほとんど継続捜査扱いになっていた溺死死体発見案件へと結びついた。更にその関心は、熱心に捜査に取組んでいた担当刑事へと繋がる。

実はその担当刑事、田村 景清巡査部長とは、その数週間前から連絡が取れなくなっており、県警本部も行方を探していた。


そんな時、警察へ姫島群島の一つ、果島はてのしまにある、私立聖和高校のセーリング部顧問から、通報が寄せられた。

既に他の捜査を姫島で行なっていた捜査員は、その手を休めて果島へ向かった。そこで見たものを捜査員は一生忘れないだろう。

それは、最も強気で、最も態度が横柄で、最も高い検挙率を上げていた同僚の、変わり果てた姿だった。

田村 景清は、天井から首を吊った状態で発見された。


その艇庫には、鉄骨で組まれた、ボートを収納する三段の大きな棚があり、その上段のボートを出し入れするための電動のウィンチが一台あり、その機械自体には安全装置以外でのロックといった仕掛けはない。つまり、この艇庫に入ることさえできれば、このウィンチも自由に使うことが出来たという事だ。

当然それは、田村が自らに手を下すという、誤った用途の可能性をも否定しない。


警察は、その死因をすぐさま調べ始めた。それこそ姫島の捜査を一旦脇に置いて…

しかし、死後だいぶ経っていたと見られる田村の状態は悪く、他殺か自殺かの断定はできなかった。

次に警察は、この艇庫の鍵に、こじ開けられたような形跡が無かった事から、鍵を持つ人物を調べ始めた。そこで浮上したのは、高峰 由稀世。そして、この私立聖和高校の姉妹校のセーリング部OBで、顧問の大学時代の友人である伊野業いのごう 克哉かつや参議院議員である。


ちょうど時を同じくして、田村巡査部長が書き送ったとされる手記が掲載された雑誌が各出版社から一斉に発行されたのだった。



「本当に、田村さんが、稀世果を殺したと思うか?」

真司が聞いた。


俊葵は答えず、朝日に輝く凪いだ海をじっと見つめている。


「ごめん…もう思い出したくないよな。」

真司が言うと、


ふっ、

俊葵は小さく笑い、かぶりを振った。



田村の手記とされるその記事は、ショッキングな一文から始まっていた。


【高峰 稀世果を殺したのは私です。


私は、高峰 稀世果と交際していました。

しかし彼女は、ある男にいいように操られていた。

その男に言われるがまま、身体を売り、売春斡旋組織を作り、そこで得た金を渡していました。

私はずっとそれを知らなかった。警察官だというのに、

私に対して秘密を抱えている事に耐えられなくなったのでしょうか、彼女は私にその秘密を打ち明けました。と同時に別れを切り出してきた。私は、それがどんな大物でも構わない。誰なのか教えて欲しい。そして一緒に逃げようと言いました。

意を決した彼女はその名前を私に告げました。

私は愕然としました。

その人は、私が中学生の頃から世話になっている恩人だったのです。

伊野業 克哉参議院議員。

ショックでした。でも私の気持ちは変わりません。警察も辞める。だから逃げようと言いました。

彼女は、嬉しいと言って泣きながら、やっぱり無理だと叫びました。

伊野業さんを裏切ったら、どうなるか分からないのはあなたも同じじゃないの?とも言いました。

去っていく彼女の背中を呆然と見送っていた私は、発作的に彼女を突き落としました。

これが、私の言いたいことの全てです。】



プップ、

クラクションが短く鳴った。

西崎だ。

二人は岩場から立ち上がった。


「そういえば、高峰 由稀世の遺体はまだ見つかってないんすよね?」


シートベルトをカチャリと嵌め、助手席の真司は西崎に聞いた。

急な坂道に、エンジンが唸りを上げる。

波の反射の眩しさに目を細めながら同じ事を考えていた俊葵もルームミラー越しに西崎を見た。


「そうらしいです。この海域は、海流が複雑で、遺体が流されたとしても、どこに上がるかは中々読めないのだそうですが、それにしたって、こうも長い間発見されないというのは、」

と、西崎は言って溜め息を吐いた。


じっと窓の外を見ながら、俊葵の頭に浮かんでいたのは、二神の事務所で面会した田村の横柄で卑屈な表情だった。

あの顔のどこに、愛する人を手を掛けた者の苦しみが潜んでいたというのか、

田村は、伊野業議員のために、警察官としてはかなりの越権行為を行なっていたらしいが、むしろそれは彼を生き生きとさせていたように見えていた。

由稀世か、あるいはそれ以外の第三者に、田村は嵌められたのではないか。よって、手記も田村の手によるものではないだろう。

田村もまた被害者だった。

俊葵は、危うく、田村に犯人に仕立て上げられそうになった事も忘れ、その死を悼み、静かに目を閉じた。





























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