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沈丁花の咲く家  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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神様の飛び石⑦

カチッ、

シュ、シュッ、

わずかなドアの掛け金と衣擦れの音。


俊葵はすでに目を覚ましていた。

早朝5:30

充てがわれた部屋のドアを抜け、目の前のメインのドアが閉まってからピッタリ1分後にドアを開ける。

すでに廊下に姿は無い。エレベーターの表示は下へ下へと動いている。

俊葵はもう一台のエレベーターに乗り込んだ。

アパートメント型ホテルとは思えないゴージャスなロビーを横切りながら、フロント係の若い娘に手を挙げる。

娘ははしゃぎ気味の声で、「G’morning!」と返してくる。

ロビーにも姿は無い。

しかし、行った方向は分かっている。

昨日それをあのフロント係の娘が教えてくれた。

エントランスの前は大きな川が真っ直ぐ流れている、そのため河岸の一本道は見通しが良く、下手に後をつければすぐに気がつかれてしまうはずだ。

軽くストレッチをして時計を見る。1分半経った。もういいだろう。

俊葵は、タン!と地面を蹴ると軽快に走り出した。


南半球の11月だというのに、早朝のメルボルンは凍えるような寒さだ。

白い息を弾ませ走っていると、目線の左先に橋を渡っている西崎の姿が見えてきた。

「おっと、少し早く走り過ぎたな。」

俊葵はペースを落とし、川を眺める振りをしながら同じように橋を渡っていく。


メルボルンに滞在して今日で四日。

早朝出かけていく西崎に気が付いたのは昨日のことだ。

昨日はエントランスを出る前に西崎を見失ってしまった。

首を傾げながら部屋に戻ろうとしていると、フロント係の白人の娘が声をかけてきたのだ。

世間話をしていると、井上との仲を聞いてきて、俊葵は慌てた。身長こそ伸び盛りだが、大人びた表情で話す俊葵は、中学校でも、老けてるだのおっさんだのとよく揶揄われるのだ。

フロント係として適正に欠ける彼女を、あーあ、と思いつつも、だからこそ答えるだろうと俊葵は聞いてみたのだった。

「あの人、昨日もこの時間に出掛けた?」


西崎は、アーミーグリーンのモッズコートにブラックジーンズという出で立ち。決して高くはない身長をフルに生かし大股でサッサと歩いていく。

身長はわずかに西崎に届かないまでも、足の長さでは劣らない俊葵もこれでは置いていかれてしまうと、歩みをランニングに切り替えた。

橋を渡り終え、少し坂を下る。中心部だけしか知らないが、メルボルンは公園の中に街があるという表現がぴったりな都市だ。

坂を下り切るとホテルのある岸より、古い大きな建物が多くなる。

ーーあれが確か博物館だっけ?図書館?市庁舎?まあいいやーー


昨日葵は井上と動物園に行ったそうだ。

帰りにショッピングモールに寄ると言っていたので、俊葵のこのランニングウエアーもそこで買ってきてもらったものだ。

ズレドボに入る前、滞在したのがメルボルンだったと言っても、一葵達は泊まっていたホテルを既にチェックアウトしていたし、この街に滞在する目的は、マスコミの過熱報道をやり過ごすというただ一点で、葵にストレスを感じさせないように、という井上の気遣いはとてもありがたかった。


葵と別行動だった昨日、俊葵は一葵達の荷物の発送作業を手伝っていた。葬儀等の説明を聞きつつ、幸一と西崎と一日中一緒だった。

その朝、西崎の謎の行動を目撃してから、俊葵は西崎を観察していた。朝食に現れた西崎の目が充血し腫れていたのを見ていて、それもこの行動に訳があると関連付けていた。


衣装を用意してまで西崎を尾行する正当な理由を、俊葵は持っていない。

しかし、ただの祖父の秘書だと思っていた男が、子供にはほとんど本音を見せなかった父親の、古い友人だとすれば、彼を知ることが父を知る事に繋がると考えるのは、幼稚に過ぎるだろうか。


西崎は5分程歩いた後、既に店開きをしている花屋で足を止めた。ブリキのバケツの花を指差し、身振り手振りでお金を払って花束を受け取る。西崎が英語は話せないと言っていたのはどうやら本当らしい。それなら一体どこに行くのか・・・

やがて白い漆喰が所々剥がれた壁が続き、教会の尖塔の形をした門が現れた。西崎は迷いなくそこをくぐっていった。

俊葵は一旦そこを通り越して、ちらりと中を覗く。


『…cemetery』


俊葵はその門の内側に行くかどうか迷った。西崎の早朝散歩の目的地はここで間違いないだろう。ここで帰るか…しかし、ここが墓地だと分かれば、どの墓に参っているのか知りたくはならないか?

うーん、えいーっ!

と、俊葵もまた門を潜った。


漆喰の壁の内側、門の両脇は人の住まいのようだった。そこを抜けると小さな花壇と10メートルほどの高さの木が20本以上、並木道を作っている。並木の間に見えるのは門を構えた大きな石の構造物で、それらは、テレビで見たことのある、歴史上の人物の墓によく似ていた。


並木道が途切れる辺りまで行くと芝生が広がっていた。いや、正確には、芝生の上に低い様々な形の石が一方方向に向かって並んでいる。

初めて見たが、これが欧米式の墓だということはすぐに分かった。

所々でタンポポやヒナギクに似た花が揺れている。そんな牧歌的な風景に、俊葵はふらりと足を踏み入れそうになった。


パサっ、

石にセロファンが当たる音がした。

300㎡、いや、もっと有るだろうか、の敷地の右の隅に、アーミーグリーンが膝をついている後ろ姿が見える。

俊葵は慌てて並木の所にまで戻り、幹に体を隠した。


ーー危っぶなぁ〜ーー


幹の陰からそっと顔を出して様子を窺う。15メートル程は距離が離れているため、暮石の文字も見ることはできない。

膝をついた西崎は、暮石をじっと見つめているようだ。ここでもし西崎が振り向いたらと、怖くなり、踵を返そうとした、その時、


ウッ、ウッ、ウウウッ、


急に変わった風向きに乗って、鳴咽が聞こえてきた。


「えっ!」

見回しても、西崎と俊葵以外誰もいない。


アーミーグリーンの動きと声はだんだん大きくなり、

とうとう地面の上に突っ伏してしまった。

拳で芝生の地面を打つ音が聞こえる。


アーでもない、

ウォーでもない。

絶望に満たされたその声を表現する語彙ごいを俊葵は放棄した。

釣られ流れた涙を拭うこともできず、俊葵はその場を立ち去った。



次の日、俊葵一行はメルボルンを、オーストラリアを後にした。

マスコミの攻勢は一時より落ち着いたもののまだ続いているそうだが、葬儀をこれ以上は待たないと、朱子の両親に言われては、姿を隠してばかりもいられないのだった。


空港で、葵と井上はまるで今生の別れのように泣き崩れていた。

連絡先を交換し、帰国の際にはお互いを訪ね会おうと約束をして、俊葵と葵は井上に手を振った。


まだ夕暮れの時間だった。雲ひとつない空を離陸した飛行機は、海の上を旋回し、ユーカリのブルーグリーンの上を飛ぶ。やがて赤茶けた大地が目に飛び込んできた。

本来の色ではないだろう。夕陽を受け溶鉱炉の中で燃えるコークスや鉄鉱石のように燃えるその色は、見てはならないもののように赤い。


「オーストラリア大陸は、地球上で最も古い大陸なのをご存知ですか?」

頭上から声がした。

まだベルトサインも消えていない。西崎にしては珍しい行動だ。


「古期造山帯なんだよね?」

俊葵も請け合った。


西崎は頷き、空いている俊葵の隣の席に座り込んだ。


「44億年前の地層が見つかったそうです。地球で一番古い。」


しばらく二人で窓の外を眺めた。

夕陽が暗闇を連れてきて、その地球で一番古い土地もやがて見えなくなった。


「神がこの地球上で活動するために最初に固めた土。そんな風に言う人もいるそうです。」


俊葵は目を丸くして西崎を見上げた。


「私がそんな話をするのは変ですか?」

西崎はそう言って口の端を上げた。


俊葵は静かにかぶりを振り、遠くに一本線だけになった夕陽を見やった。


「じゃあ、オーストラリアは、神様が作った飛び石なんだね…」


返事が聞こえないのを訝しく思い、西崎を見ると、西崎は目を見張って俊葵を見つめていた。


「ああ、やっぱり俊葵さんは、一葵さんそっくりですね。」

そう言って笑顔を浮かべる。


西崎の笑顔を初めて見たと思った。本当に本当に綺麗な笑顔だった。


こんにちは。新井 燃え香です。

今回の話の中にメルボルン市内の描写が出てきますが、ホテルや墓地、河岸などは、複数の施設の総合したイメージなので、実在するものではありません。

飛行機の飛行ルート等についても、実際のものとは異なるかもしれません。お話を構成する要素として、新井の偏ったセンスによるチョイスなので、どうか笑って見守って下さい。


今日も楽しんでいただけたら嬉しいです。


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