89話『カウンターガーディアン』
何かを誤魔化そうとするイリスに連れてこられた靖治は、まくしたてる彼女の隣でのほほんとした顔で散歩を楽しむことにした。
暑い日差しの下で汗を掻きながら、木々に囲まれた村の中を一歩一歩に心を任せて歩いてみる。
「いやー! 今日はいい天気ですねー!」
「だねー」
焦りっぱなしのイリスが声を大きくしているので、靖治は間延びした声を返す。
するとイリスは隠し事を追及されずにホッとした様子で胸をなでおろしており、その横顔を眺めながら靖治はイリスの気が晴れてよかったと思った。
「そういえば、どうして空が晴れてるといい天気なんですか?」
「んー、晴れなら洗濯物とかすぐ乾くけど、逆に雨だと干せないし外に出歩きにくいからじゃないかな」
「確かに、雨が降っていると難しい問題が多くなりますね。この前も雨の中に襲撃を受けましたし……」
「でも僕は雨の日も好きだよ。雨音に耳を澄ませてみるのも楽しみだな」
「そういう見方もあるんですか……靖治さんって色々知ってるんですね!」
「そうでもないさ、僕が知ってるのは世界のほんの一部だよ」
改めて散歩を楽しむ。
歩きながらこの村を観察してみると建物はどれも木造りばかり、オーサカブリッジシティはコンクリートなどの建物を含め多種多様な建築物が雑多に寄り添っていたが、小さな村になると事情が違うらしくどれも同じ様式であるが、どれも二階建て以上になっていて小さな面積を可能な限り利用しているのは同じようだ。
住人らしき人はまばらだが意外と商店が多い。しかしどこの店も人の入りが悪く、少し中を覗いてみるとどの店も従業員が暇そうにしていた。
「けっこう店が多いけど、あんまり活気はないね」
「ここは本来、オーサカと行き来する人が多くて活発な場所でしたよ。今は何だか通行が少ないようですが」
「へぇー、そうだったんだ」
大きな街であるオーサカに一番近い村であるため、通行人との商売が盛んなのだが、今はちょうど人の流れが少ないタイミングだったのだ。
そうとも知らず、靖治とイリスは人の少ない静かな村でのんびりと歩いていく。
「靖治さん、散歩は楽しいですか?」
「うん、楽しいよ」
急がずに歩き、自然や人の営みを感じるというのも中々に心地いい。こうやってのんびり歩くのだって、かつての靖治では許されなかった自由だ。
靖治は病気が治ってよかったと思うし、治療してくれたイリスには感謝を覚える。
「イリスはどうかな? 楽しい?」
「私ですか? うーん……わかりません!」
「そっかー」
どうやらイリスにはまだそう言った情緒は覚えてないらしい。いつか身につくのか、それとも彼女には縁がないものなのか。
どちらにせよ、それがイリスだろうと靖治はのんびり考えていると、イリスが言葉を続けた。
「でも、靖治さんの隣りにいると、胸の奥が軽くなる感じがします」
そう言ってくれたイリスの顔はとても安らかで、靖治は「そっか」と短く返しながら少し笑みを深める。
「こういう村で暮らすってのも悪くないかもなー。イリスはどう思う?」
「いえ、私は反対です。こういった小さな集落は、何かの拍子に潰れてしまう可能性も高いです! 近くにドデカイ異存在でも転移してきて、防衛に来た守護者の尻尾に吹き飛ばされでもしたら一発で更地です!」
「守護者……あのドラゴンっぽいの」
前に一度だけ見た、あの山のように巨大な灰色の竜。旧大阪湾砂漠に異世界から落っこちてきた戦艦の数倍の大きさはあったワームを、東の空からやってきて排除した力。
その威容を思い起こしていると、急にどこからか地鳴りのような音が響いてきて耳朶を揺らした。
「おや、ちょうど出たみたいですね」
イリスに言われて靖治が空を仰いでみると、あの日と同じように東の空の果てに翼を広げた物体が見えたかと思うと、それはあっという間に近づいてきて、靖治たちの上空に差し掛かって陽の光を遮った。
キロメートル単位の巌のような巨体を見紛うハズがない。
「あれは……!」
大きく突き出た顎から尾先までの距離、ゆうに2km。それが更に巨大な翼を広げ、莫迦げたことにそんな巨大質量でありながら空を飛んでいる。
触るだけでこちらが傷ついてしそうなほど硬そうなゴツゴツした甲殻、天をも覆う翼、飛行するだけで地を揺るがすほど物々しさ。
守護者と呼ばれる巨大なドラゴンが、眼下を見向きもせずにどこかを睨みつけながら、靖治たちがいる村の上空にやってきて、通過するまで秒とかからなかった。マッハ程度は確実に超えているだろう。
ただ飛び去っていくだけで、地上では突風が吹き荒れて木の葉が舞い砂埃が吹きすさぶ。靖治は風から顔を背けながらドラゴンの飛んでいく姿を視線で追いかけたが、それはすぐに山を超えて姿を消してしまい、後に残ったのはかき混ぜられた大気が上げるごうごうという唸り声だけだった。
「またどこぞで危険な存在でも転移してきたみたいですね」
「相も変わらずでっかいなぁ……! ねぇイリス、そういえばアレってなんなのさ! あの日以来、とんと姿を見せなかったけれど」
威圧感に通り抜けられただけで靖治は心臓がバクバクとなるのを感じていた。病気の発作に備えて普段から興奮しないように訓練してきたのに、あの存在感はそれを軽く突き抜けて腹の底に叩きつけてくる。
「守護者について……ですか。アレについては表面上のことしかわかっていませんが、それでも話すならばこの世界の歴史に食い込むことになりますが、よろしいですか?」
「うん、頼むよ!」
興奮気味に言うと、イリスは「では僭越ながら……」と前置きをして始めた。
「まずおよそ1000年前の21世紀ごろ、つまりは靖治さんがコールドスリープに就いた10年後に突如次元光が発生するようになり、異世界存在が転移してくることになりました。
地上のあちこちは甚大な被害を受け、更には衛生通信が次元の壁に阻まれ情報インフラは完全壊滅。人類は一夜にして数十%の割合で死亡し、ここで旧人類文明は一度崩壊します」
「うん、そういう話だったよね」
目覚めた直後に病院戦艦の中でイリスから見せてもらった写真では、荒廃した日本の町並みが映されていた。
常識外の力でへし折られたタワー、建物に残った禍々しい爪痕、アスファルトの地面に残ったおびただしい血痕。ああなっては文明が崩壊するのも致し方ないだろう。
「特に初期の次元光による被害は相当酷かったようです、第一波が全世界同時に発生した多重転移であったこともそうですが、それにより転移してきた中には人知を超えた力を持った破壊神、世界をも改竄できる創造神、人の身でそれらをも屠る修羅、他を寄せ付けない概念的な事象生物など。つまりは私やアリサさんでも太刀打ち出来ないような存在のオンパレードだったわけです」
「やばい連中が軒並み揃ってるね」
「その中には残った人達をまとめて秩序を作ろうとした者もいたそうですが、そういった神々の階級はみんな我が強かったみたいで、世界を統べるのは我こそはふさわしいー! と衝突しだして、ワンダフルワールドは異世界の神々の陣取りゲームに巻き込まれてしまったんですね」
「すっごい迷惑」
「後から『神話戦争』と呼ばれるようになった争いは、およそ200年ほど続き、地上は完膚無きまで神々の足に踏み潰されたわけです。その風向きを変えたのが"守護者"です」
いよいよ名前が出たが、ということはあのドラゴンは800年も以前からこのワンダフルワールドに存在しているということだ。
「あの大きなドラゴンが状況を変えたんだ」
「実際のところ、守護者の詳細は不明です。アレ自身は一切のコミュニケーションを取りませんし、意思疎通を試みようとした人もいましたがどれも失敗、感応系の能力者などが調べようとしても情報は何も読み取れず、すべての干渉を跳ね除けたそうです。
アレについてわかっているのは優れた魔法技術とナノマシンテクノロジーを含む科学技術による両方を保有していること、自身の肉体を即座に改造して戦えること、どこにいても敵の存在に気付くこと、そして、とても強い」
イリスの言葉の端に緊張が混じっている。語りながら、その存在に畏怖を覚えて顔をこわばらせていた。
「あの強さは別格です。現在までおいてアレはあらゆる神、魔人、修羅、その他全てに勝ち続けていますし、他が次元の壁に阻まれて進出できない宇宙にすら空間を突き破って行き来している。守護者こそが、このワンダフルワールドの基盤と言ってもいい存在なのです。
あの竜は突然ワンダフルワールドに現れ、力を持ちすぎたすべての存在を、善悪関係なく葬り始めたそうです。強すぎる神々の階級をバッタバッタと薙ぎ倒し、すべて討滅されたことにより戦争が終わり、ようやく世界が復興できる土台が完成したのです。
以後もアレは富士山の麓で樹海に身を寝かせ、ワンダフルワールドを荒らす存在が現れれば即座に飛んでいきます。その様子から、いつからか誰ともなく囁くようになった呼び名が『守護者』というわけです」
つまり守護者はその名で呼ばれる通り、この世界の安寧を担うための要と言っていい存在なのだ。
「守護者かぁ……いやぁ、カッコいいなぁ。正体はなんなんだろ?」
「通常の生物の規範から著しくかけ離れた存在であることは確かですね。飲まず喰わずでどうやってあの巨体を維持できているのか、まったくもって不思議です。噂では神をも食らって進化した竜だとか、滅びた異世界文明が残した最終兵器だとか言われていますが、正体は誰も知りません」
「謎のドラゴンか……それでも、みんなの生活を護ってくれてるんだね」
「結果的にはそうですね」
しかしイリスは渋い顔をする。
「ただまぁ、守護者は足元にいる人間について頓着しないようでして、近くに人がいても気にせず戦うので、巻き込まれて村が吹っ飛ぶくらいは普通にありえますから、関わらないほうが身のためです。環境保全のテラフォーミングナノマシンと思わしき霧を吹き出しているので、一応は地球を守る気はありそうですが……」
「結構謎が多いんだね」
「由来も動機も目的も何もかも不鮮明ですからね。この世界の住人は危険を排除してくれる守護者をありがたがると同時に、とばっちりを食らわないことを日々祈って生活しているわけです」
ワンダフルワールドを危険な異世界存在から守るカウンターガーディアンの機構として単独で完結しながら、その他の一切を拒絶するかのごとく君臨する絶対王者。
靖治も興味は惹かれるが、イリスの言う通り余人の手には余る存在なのだろう。
「よってこのような小さな村は、靖治さんが住むには不適格です! 靖治さんがヨボヨボのおじいさんになって眠るようにお亡くなりになるまで面倒を見ることが私の使命ですから! もっと大きな街で、靖治さんには安全に老後まで暮らしていただきます!」
「あはは、よろしく頼むね」
張り切ったかわいいイリスにお礼を言いながら、靖治は散歩に戻った。
少しすると、村の入口のところに馬を飼育するための厩舎が見えてきた。村に入る時に見た記憶では、建物の後ろには小さいが牧場が広がっていたはずだ。
「おっ、あれって馬の預かり場所だよね」
「ですね。寄ってきます?」
「うん、ガンクロスさんに用事もあるしね」
二人が建物の裏をひょっこり覗いてみると、牧場の柵の前で馬と触れ合うガンクロスとメメヒトの姿があった。




