88話『昼下がりにうら若き乙女が二人』
やたらと声を大きくして慌てふためいたイリスに靖治が拉致され、アリサとナハトがTN社の中に残ることになった。
閑散とした食事場のテーブルで、背筋を立てて座ったナハトの正面に、アリサが机に肘を置いていささか不躾な視線を向かい側へぶつけていた。
「で、あなたは出かけたりはしないのですか」
ナハトが白い翼を軽く揺らしながら澄まし顔で問うと、アリサは鼻で音を鳴らして相手を睨みつけた。
「ハン、言っとくけどね。あたしはまだあんたのことを信用したわけじゃあねぇのよ」
「ほう……」
ナハトは小さく唱えながら一瞬目を鋭くさせ、すぐに表情を戻す。
本心を隠したおキレイな顔を見ながら、アリサは油断せずに牽制するような言葉を吐いた。
「ちょっと目を離した隙に荷物でも盗んでいかれたら厄介なんでね」
「そこまで信用がありませんとは。ですがそのような不埒な考えはないので、ご安心して下さって構わないと申し上げておきましょう」
「どうだか」
表面上は冷静なナハトに対し、あくまでアリサは威圧的な姿勢を崩さないまま、手首に嵌められた手枷をテーブルに置いてゴトリと音を立てた。
奥のカウンターでは店主が硬い顔をしてグラスを丁寧に拭いている。ナハトの晒された背筋にも視線を惹かれないとは大した堅物振りだろう。
他に客もおらず、邪魔が入らないまま、二人のあいだでは険悪な空気が増すばかりだ。
今度はナハトの方から口を開く。
「警戒するのならお好きになさって下さいませ。その程度で、わたくしの刃に陰りが出ることはありませんから」
「そりゃあいい。後ろから刺されないことを期待してるわ」
「ですが疑うはこちらも同じこと……」
ナハトがチラリと視線を下へ向けた。
アリサの手首に嵌められた大きな黒鉄の手枷をわずかに見やる。
「その大仰な枷。そちらこそ疚しいことがおありでは?」
「ありね、アリアリだね。だからこそあのボンクラ雇い主とポンコツメイドほど甘くないのよ」
アリサは自らの悪辣さを見せつけるかのように手枷を持ち上げると、華奢な指を親指から中指まで三本立てて示した。
青い瞳を鋭く開き、指の隙間からギラギラとした鈍い眼差しを送りつけながら重々しく口を開く。
「あたしが気に入らないやつの特徴は三つある。一つ目は酒を飲んで怒鳴るやつ、二つ目はガキがいるのに煙を吸うやつ。三つ目は『自分は清廉潔白な善人でございます』みたいなツラしたやつよ、そんなやつほど裏で何やってるかわからないし、追い詰められたら途端に小賢しい真似をして、回りに自分の失態の責任を押し付けてくる」
「……三つ目はセイジさんも含まれませんそれ?」
「あいつがそんな真っ白なやつかよ。あんにゃろう、必要なら平気で人のこと追い詰めてくる腹黒よ。あいつに善人ヅラ求めるってんならとっとと出ていくことをオススメするわ」
ナハトは大きく息を吐いてアリサの敵意に呆れながらも、しっかりと言葉は意味に耳を澄ませていた。
態度は良くないが、アリサの言う通りのところもある。いきなり転がってきた流浪者、信用を得るにはまだ足りないのは当たり前で、むしろパーティのそんな人物が一人や二人はいたほうがナハトとしても安心できる。
そしてナハトは自分の立ち位置について迷いがある。まだ靖治のことを表面上しか知らないであるし、彼に妙な期待をかぶせてはお互いに損をするだけなのは、その通りだろう。靖治との接し方についても探らなければいけない。
だがまぁ、まずは目の前のことかと、ナハトは呼吸を落ち着けてゆっくりと口を開いた。
「一つ目、わたくしは酒に慣れる訓練はしましたが、どちらかと言えばお茶のほうが好きです。二つ目、煙草に抵抗はありませんがわたくしは好みません。三つ目」
指折り数えた後、ナハトは最後の答えを言う前に手を膝の上において視線を伏せた。
眉間を歪め、晒された背中にある十字のアザをうずくのを感じて切なそうに言葉を紡ぐ。
「……ご自由に想像して下さってどうぞ。あなたの懸念どおり、ロクな女ではありませんから」
垣間見える苦痛苦悩に、アリサは眉をひん曲げながら頬杖をついて、気に入らなさそうに舌打ちを鳴らした。
「チッ、辛気臭いツラね」
「えぇ、まったく」
「……自虐的なやつキライなんだけど」
「それはまぁ、なんというか、申し訳ありませんがご愁傷様でございます」
「だー、もう! せっかくキレイなツラしてんだから、もうちょっとマシな顔してなさいよ!」
「そういう上辺だけはお嫌いなのでは?」
「それはそれ! これはこれ!」
「あなたも面倒くさい人ですわね……」
目を吊り上げたアリサに手枷でテーブルをダンと叩きながら吠えられて、ナハトはそれまで大人しそうにしていた顔を緩め、ようやくおかしそうに含み笑いをこぼした。
目元を和らげるナハトに、アリサが気恥ずかしそうに顔をそらすと、ちょうどそこに店主がお盆を持ってやってきた。
二人が座っていたテーブルに店主は無言で温かい湯呑を二つ並べて、アリサとナハトは呆気にとられて湯気を見つめる。
「ナニコレ?」
「おごりの茶だ。ちょっと前まではオーサカのゴタゴタでこの村も行き来が多かったが、最近は波が引いて暇なんだ」
「はぁ……ありがとうございます」
すぐにカウンターへ引っ込んでいく店主の背に、ナハトが気のない声で一応のお礼を言いながら、湯呑の中を覗き込んだ。
そこには淡い緑色を湛えた水面が、光を反射させて揺らめいている。
「紅くない……」
「緑茶でしょ。この辺の流行りらしいわ」
アリサが膝を組んでふんぞり返りながら、片方の湯呑を手に取って一口すするが、すぐさま表情を歪めた。
「ニガっ。ちょっとぉー、店主さん砂糖ないのぉー!?」
「緑茶に砂糖なんて邪道だ。茶菓子ならあるぞ、金は取るが」
「いらないわよ、菓子なんて高い……」
店主の融通の効かなさに辟易するアリサの前で、ナハトが初めての緑茶をまじまじと観察して、試しに口に含んでみる。
熱い緑色の液体が小さく開かれた唇から奥へ入り込み、透き通った苦味を口の中で転がすと、ナハトは驚いて見開いた目を輝かせた。
「ほわぁぁぁぁ……!!」
我を忘れ感嘆のため息を吐いたナハトは、エメラルドのような至宝の飲み物との邂逅に。
キラキラとこれまでにない光を浮かべて法悦に浸るナハトを、アリサが怪訝な顔で見つめている。
やがてナハトはその視線に気付くと、わずかに頬を赤らめて咳払いを一つした。
「ん、ゴホン! まぁその、悪くないですね」
「気に入ったの?」
「いえそんなことは……まぁ、これはこれで味わい深いですね」
ナハトが口ごもりながらも結局は頷くのに、アリサは口の端をわずかに深める。
「天使が茶を好きだなんてねぇ」
「半天使ですから、お恥ずかしながら俗っぽさから抜け出せず」
「ふーん。まっ、いいんじゃない。迷惑かけてこなけりゃなんでもいいわ」
アリサは苦い茶をチビチビすすりながら、そっけない態度を装っていたが、言葉は決して冷たくはなかった。
粗暴な彼女の中に見えてくる心遣いに、ナハトは少しだけ肩の力を抜く。
「……そういえば、以前ならず者に捕まっていた時に、助けて下さいましたね」
それはナハトがオーサカブリッジシティでミズホスの部下たちに捕まっていた時の話だ。トカゲ人間たちに不満のはけ口として殴られ、蹴られ、顔が腫れ上がって原型がわからないほど痛めつけられていたところ、そこにアリサが割って入ってナハトを助けたことがあった。
「その節はありがとうございました」
うやうやしく頭を下げるナハトに対し、しかしてアリサはあからさまに片眉を吊り上げて覚えがない顔をすると、茶を片手にツンとそっぽを向いた。
「あぁーん? 知らないわねぇ。顔中デコボコだらけのブッサイクな女なら見た覚えあるけどぉー」
「だ、誰がブサイクですか! 一言多いですよ!?」
「だからあんたなんて知らないって、別人でしょ別人。イヤならもうフラフラすんじゃねえわよ」
アリサは手をひらひら振ってそっけない態度で感謝の言葉をかわす。
そんなアリサをナハトは不満げに睨んでいたが、この人はこういう人なんだと諦めて首を横に振った。
「まったく、もう少し素直になさったらどうなのです」
「あんたに言われたくはないね」
夏の昼下がり、お腹の奥は満たされていて、お互いに悪態をつきながら肩を下げる。
店主は相変わらず黙々としていて店は静かだ。存外に出した言葉ほど心に波は立たない。
「あと、あんたさ、ウチでやってくつもりなら冒険者カード先に出しときなさいよ。まあ魔力で出来てるらしくって再発行はいくらでも効くけど、持っといたほうが名刺になっていい」
「冒険者カー……?」
「あんた知らないわけ? ったくしょうがないわね、こっち来なさい」
「教えてくれるのですか? お優しいことで」
「見て覚えろ、あたしからは何も言わねー」
二人は酸っぱい言葉を並べ立てながらも、徐々に仲間の存在を受け止めていくのだった。
二日ほど連載ぶっちしちゃって誠に申し訳ありません。
リアルの方の都合で、これからしばらく今までと同じ執筆が難しくなりそうで、当分のあいだは投稿のペースを二日に一話の隔日連載に変えようと思います。
ご理解の程お願い申し上げます。それではまた明後日~。




