55話『無限の道すがら』
イリスはただの機械から偶然自我を獲得した個体であり、靖治が目覚めるまでほとんど他人と関わりなく生きてきたため、表面的に笑顔を浮かべていても情緒が薄い。
だがそれでも、れっきとした"心"を持った存在であり、だからこそ戦いを通じて感じ取れるものがあり、激しい戦闘の中で目を見張っていた。
――ミールさんから、伝わってくる。熱い、なんて熱い想いの塊。
イリスは拳を振るい、地を蹴って、力と力を交わしながら、ミールとシュナイダーのコンビから、それを感じていた。
今までイリスと相対した敵は、イリスを見ながら、その後ろにあるものを追いかけていた。
ミズホスは戦艦を、アリサは依頼の達成と靖治を、だがミールは違う。
イリスが渾身の力で打ち合い、自慢のメイド服もボロボロに破け、その下の装甲までもが曲がり、傷つき、その度に一撃に込められた意思が胸に届く怒りの感情。
ミールは仲間の死を糧にし、怒りの感情を昂ぶらせて、全身全霊を持って剥き出しのエゴをぶつけてきている。
だがイリスはそれを、怖いとは思っても、嫌なことだとは感じなかった。ミールの内にある感情が単なる悪意だと唾棄すべきものではなかったからだ。
気を抜けば一撃で粉砕される闘志の応酬の中に殺意はない。ミールの胸中にはミズホスへの複雑な感情が入り乱れていたが、決してそれを憎悪で塗り固めてイリスを壊そうとするのでなく、自らが前に進むための原動力として怒りに変えて放っていたからだ。
心が力となってぶつかってくる感覚は、イリスにとって初めてのことだった。
ミールの眼を見て思う、彼の眼は靖治のようにキラキラしている。自分を見ている、過去に突き動かされ、未来へ向かいながらも、心の矛先は今この瞬間だけを貫こうとしている。
あの眼に応えたい、試したい、ぶつかりたい。
自分がどこまで行けるのか、それを知りたいと願いが生まれコアが熱く燃え上がり、拳を固める。
生きることの困難と、それに全力で相対する歓びを掴み取ったイリスの眼に、強い虹の光が瞬いた。
「うっ――わぁぁぁぁあああああ!!!」
迸りを声に込め、イリスの鋼の拳から来る連続突きがシュナイダーの頭部を打ちのめし、巨体を弾く。
相棒のフィードバックを受け、ミールは額の鱗を砕かれ血を流しながら睨みつけた。
「チッ、やるじゃねえか!」
「そうでしょうそうでしょう!」
自分の実力を受け止めてもらいながら、イリスは掴んだものが誇らしくてしかたないという様子で、フンスコと鼻息を吐き出した。
傷つきながらも満面の笑みを浮かべ、地に足を付けて臆すことなくシャンと立つ。
「何だか私、初めての気持ちです! 私が逃げないなら、ミールさんも逃げない。それが何だか、とてもワクワクしてます!」
「ケッ、抜かしやがれ唐変木が!」
悪態をつきながら、ミールも怒りの裏側で、ほんの少し同じ気持ちを味わっていた。
今この瞬間に、自分のウチにあるすべてを投じる歓び。試されながら、自分で己を試す感覚、それはまるで道が開けてくるように感じられた。
怒った顔に混じった笑みにもそれが現れていて、シュナイダーは急速に成長を遂げる相棒を乗せ嬉しそうに喉を鳴らし、イリスもまた胸を張って眼を輝かす。
「ならば行きます! トライシリンダーセット!」
イリスが右腕を掲げると、腕の外殻が開かれて内側から三本のシリンダーが展開された。
ガシャンと音を鳴らしながら現れたシリンダーに光が灯る。注入された素子が高鳴りを上げ、闇を照らす黄色の光を放ち始める。
その輝きを前にしてミールは息を呑み、シュナイダーが間合いを計って僅かに足を引いた。
「 これが私のとっておき、この輝きがミズホスを倒した私の拳です。ミールさん、それでもあなたは挑んできますか!?」
三つにシリンダーが共鳴し、光を増幅させていく前でミールが勇敢なる雄叫びを上げた。
「あたりめえだ。行くぜ、相棒!」
「グゥウアァアアウ!!!」
大気を響かせた二人の周囲に、わずかな青いオーラが現れて身を包む。お互いの内に巡る霊力が加速し、より強力に結びついて一心同体の力を発揮する。
霊力が生み出した突風に髪をさらわれながら、イリスは世界に立ち向かう怖さと面白さに、自らの意思で笑顔を浮かべた。
「エネルギーチャージ80-70-20!!鮮やかなるは私の拳、虹を超えて、私の証を刻んでみせます!」
更に光を増すイリスの右腕に照らされながら、ミールは最後に深く息を吸って前を睨む。
「シュナイダー、小細工はなしだ。俺らの全部をここに賭ける!」
「グァ!!」
お互いに今発揮できる最大のパワーを込めた瞬間、両者一斉に駆け出した。
風を押しのけて膨れ上がった闘気の中心で、思いっきり叫んだ二つの心がぶつかった。
「フォース、バンカァァアアアア!!!」
「ぶっ込むぜぇええええええええ!!!」
輝きたる拳と、全身をオーラで包んだ肉体が衝突し、暴風が吹き荒れ、見守っていた靖治とアリサも身体を揺さぶられる。
今を懸命に生きようとする命が叩き出した力は、刹那に満たない時間を拮抗し、嵐の中でそれぞれの想いが走馬灯のように過ぎった。
ミールはこの世界に来てからの10年間を、ミズホスに付き従い、苦渋をなめながらもその背中を追いかけた日々を思い出し気を高める。
対するイリスは三百年、しかし心に残る思い出はほんのわずか。ほとんど何も手に入れず機械的に生きてきた時間の薄さに、彼の怒りを踏み越えていくだけのモノがあるのかと挫けそうになる。
けど、今は、自分の奮闘を見つめてくれる人が背中にいる。それだけで、怯えを脱ぎ去るには十分すぎた。
「靖治さん! イリスは、ここに生きてます!!」
ミールの怒りに立ち向かうイリスが、右腕に再度エネルギーを込めて拳から打ち出した。
重なる負荷に右腕のシリンダーが爆発してイリスもダメージを受けたが、放った衝撃は見事に霊力のオーラを破った。光がシュナイダーの身体を突き抜けて、そのまま宙へと打ち上げる。
だが吹き飛ばされるその上から、銛をも捨てて飛び出してきたミールが、今一度自らの手で殴りかかってくた。
「くぉんの、イリスぅぅううううう!!!」
攻撃後の硬直でイリスの身体は動かない。硬い鱗で覆われた拳が空から真っ直ぐ飛んできて、目を見開くイリスの額を真正面から打ち抜いた。
熱き拳に押しやられ、イリスは背をのけぞって仰向けに倒れそうになる。
だが、そんな無様は晒せない。
「――ありがとう、ミールさん。あなたに会えて良かった」
イリスは顔に拳が突き刺さったまま、ローファーの靴で地面を踏みしめた。
自分が引き起こした怒りと相対し、これの前ではどんな哀れみも後悔も謝罪も、何も意味を成さないのだと思い知った。
なら自分に何ができるだろうかと、再度己へ問いかける。
きっと自分が彼を癒やすことは、何もできないだろう。
イリスが見つけた、自らが踏みにじった者へできることはたった一つ。
力と覚悟を示すこと。
「でもここで倒れるわけには参りません。私は、先に行きます!」
例え眼の前の人を傷つけてでも進む意思を固めたイリスは、後ろに引いていた左手を握りしめると、拳を顔で押し返して前に出る。
驚愕に目を見張るミールの顔面に、左の拳を全力で打ち込んだ。
この一撃を前にして、ミールは殴られた顔を歪めながら、自分がどれだけ怒ろうと、イリスを止めることはないのだと思い知らされた。
「あぁ……負けたな……ちくしょう……」
でもただ、ミズホスを倒した人が、こんなに強いやつで良かったと、そう心に思いながら飛ばされた。
宙を舞ったシュナイダーとミールが、力なく川に落ちて水柱を作った。
シュナイダーはすぐに川から這い上がってきたが、ミールは少しもたついて、必死な様子で川岸にしがみついてくる。
イリスは思わず駆け寄って、シリンダーをしまった右手を彼に伸ばした。
「ミールさ……」
「触るな! ちくしょう……お前の手は借りねー!」
その手を振り払って、意地でも自分の力でミールは川から上がってくる。
荒々しく肩で息をするミールは、草むらに仰向けで倒れ込むと、濡れた身体をぐったりとさせて呆然と青い空を眺め見た。
「はあはあ……強いな……ミズホスのやつがやられるわけだ……」
イリスの力を身に沁みて思い知ったミールへ、シュナイダーが顔を近づけて彼の健闘を讃える。
「グウウ……」
「シュナイダー……礼は言わねえぜ、お前が勝手についてきたんだ」
ぶっきらぼうな言葉に、シュナイダーは笑って返す。
「グル……」
「当たり前……? あぁ、そうか。もう、一心同体だもんな、俺ら……」
彼らもお互いを認め合い納得すると、ミールがそばに立っているイリスへと口を開いた。
「俺はな、ミズホスのやつが嫌いだった。ガサツでうるさくて、気に入らねえとすぐ怒りやがる。でもなぁ、自分で立って道を決められるアイツを、みんなを巻き込んでまで進めるようなアイツを、どっか憧れてた」
思い返すも嫌なヤツだったが、それでもミズホスは目標だったのだ。
過去を語るミールの言葉に、イリスは真剣な顔をして耳を傾けている。
「あぁ、ちくしょう……アイツは強かったなぁ……俺よりも、ずっと……」
生きてるあいだはやりたい放題やっていたミズホスを思い出し、ミールは少しだけ笑う。
それから見下ろしてくるイリスへと視線を向けた。
「ミズホスのやり方じゃ、どっかで誰かに倒されるってのはわかってた。その終わりがお前だったんだな」
力を振りかざせば、いずれより強き力に倒されるのが世の常だ。
それがたまたまイリスだった、本当はそれだけのことなのだと、ようやく納得できた。
「……なあ、お前はどこまで行くんだ?」
ミズホスを倒し、ミールを乗り越え、更に先へと進もうとするイリスへと問いかける。
「わかりません……私はただ、靖治さんのために活動を続けるだけ……」
イリスは自らの気持ちを確かめるように、握りしめた手を見つめる。その顔には少し憂いが残る、他を退けてまで歩くことに迷いがある。多分これは一生つきまとうし、忘れてはならないと自身が念じている。
「しかし、靖治さんと一緒なら、まだ見ぬ世界をすべて見れるような気がすると、私のコアはそう感じています」
それでも最後の締めくくりは確信と共にあって、強くきらめく虹色の視線がミールの目に映る。
その純粋な姿勢の面映さに、ミールは少し噴き出して、力なく呟いた。
「お前な……そういう時は、どこまでも行けるって言うんだよ」
気の抜けたミールのぼやきが、風に乗って丘へと吹き抜けていくのだった。
この戦いを見守っていた靖治とアリサも、この結末に安堵して肩を落としていた。
「……終わったね」
「一件落着ってか」
「おい、何涼しい顔してやがんだアリサ! オメエにも返す借りがある!」
「いっ?」
気を抜いていたアリサへと、ミールは怒号を飛ばしながら震える腕を地面について起き上がる。
さっきまでイリスへと向けていたのと同程度の怒りを込め、今度はアリサへと睨みつけた。
「あのクソ野郎共、考えなしばっかで仲間だって認めんのも癪だがそれでも同じ釜で飯食ったやつらだったんだ。死んで当然だが、お前ともやらねえとなぁ!!」
「いや、マジ? あたしはいいけど、あんたもうヘロヘロじゃん」
「男の勝負にそんなモン関係あるか!」
「あたし女なんですけど!?」
再び銛を手にシュナイダーへとまたがるミールの勇ましさに、アリサが驚いていると、靖治とイリスが両脇にくっついて彼女の腕を掴んできた。
「まあまあアリサ、ガツーンと行ってきなよ」
「アリサさん、ガツーンと!」
「ちょ、あんたら、押すなって!? 気合とかの前に、こういうのは間合いが肝心……」
「オラァ!!」
「うわぁ、来たぁ!?」
もう少しばかり、川辺に戦いの声が響くのだった。




