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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
三章【カルマ・オーバーラン!】
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49話『コアが軋む』

 ――――システム復旧、データ整理完了。


 瞳を閉じた暗闇の世界で、どうやら機能不全に陥っていたようだとイリスは気付いた。

 固まっていた手足に信号が流れ、ゆっくりと時間をかけて活動が再開されていく。


 どうしてこういう状況になっていたのか、起きたばかりの頭脳では判断できず、少しばかりの困惑が思考を遮る。

 自分はどこに、早く次の技術を探さないと――いや違う、もう自分は見つけたのだ。そしてついにあの人を目覚めさせ、今は――。


「――靖治さん!!」


 慌てて目を見開いたイリスが起き上がると、そこは眠る前と変わらぬ川辺の草むらだった。

 ひっついた草が服から外れる中で呆然としていると、隣から穏やかな声が胸の奥に届いてきた。


「気がついたかい、イリス」


 右隣に振り向くと、そこにはいつもの調子で穏やかな表情を浮かべる靖治が、夕日に照らされながらそこに座っていて、イリスは深い息をついて肩を落とした。


「靖治さん……」

「うん、僕だよ」


 何の変わりもない靖治の姿に胸を温められ、イリスの表情が安堵に歪む。


「靖治さん、大丈夫でしたか!? 私が落ちてるあいだ何か問題が起こったりは!?」

「落ち着いて、おかしなことはなかったよ。仕事のことも今日は一区切りついたということで終わり。アリサは爆弾がリミット近いから、一度ファミリーに戻ったよ、ミールさんはシュナイダーの世話」

「しゅな? ……あぁ、あのワニのことですね!」

「うん、そうそう。覚えてるみたいだね」


 寝ぼけた記憶を掘り起こして手を叩いたイリスに、靖治はゆっくりと話してくれた。


「イリスこそ大丈夫かい? いきなり倒れたからビックリしたよ。眠ってるんじゃないかってことで、そっとしてたけど」

「ハイ……予想以上にデータが混乱してたみたいで、気がついたら落ちてしまってました」

「そうかい、何ともないようで良かったよ」

「ハイ! おかげさまでバッチリです!」


 眠りに落ちていたイリスだが、データの整理が完了したため思考はハッキリとしていて、瞳は俄然キレイにキラキラとした虹色を浮かべていた。

 深い虹のさざなみに、靖治も口元に笑みを浮かべる。

 しかしイリスはというと一度は明るい表情を作ったものの、すぐに意気消沈した様子でしょんぼりと顔を伏せた。


「ごめんなさい、靖治さんをお護りするって決めたのに」

「僕は構わないさ、お互い支え合うものだよ。でもどうしてあんなに急に?」

「多分……靖治さんと出会って、急速に複雑な思考が増えたため、負荷が予測できなかったのが原因だと思います……」

「感情がどうとかって話かな?」

「……そんなところです」


 イリスは心底申し訳なさそうに、叱られている子供のような心細い声をしていた。

 ギュッとスカートを握りしめて、胸の内側を絞り出すように口を開く。


「靖治さんと出会ってから、今まで気に留めてなかった言葉が、頭に残るようになってきて」

「そっか」

「これが、俗にいう心を表しているのでしょうか?」

「多分、そうかもしれないね」


 イリスは、苦々しい顔をして吐き出した。


「……心って、大変ですね」

「そうかもね」


 機械と人間、そこにある差を超えてすべてを推し量ることは靖治にはできない。

 眉を曲げたイリスに、ただ優しい声をかけた。


「悩みがある?」

「ふぇっ!? ど、どうしてわかるのですか!?」


 靖治に問われて、イリスはあからさまに狼狽して声を大きくした。

 やがて推測をでっち上げ、愕然と見開いた眼を靖治へ向ける。


「ハッ……もしや、リキッドネスのようなサイコメトリーに目覚め!?」

「アハハ、面白いけど違う違う。イリスがいつもと違う表情をしてたからそう思っただけだよ」


 可愛げのあるイリスから目をそらし、靖治は空を見上げた。

 西の傾いた日が天と地を紅く染め上げ、夏の空気も過ごしやすい気温に変わってきている。風も良く吹いていて気持ちがいい。


「そう言えば川のこっち側はあんまり見て回ってなかったよな」


 風と共に草花が揺れ、耳に安らぎを感じる自然の音が届けられてくる。

 きっと夕暮れ時のこの世界を楽しめればとても気持ちがいいだろう。


「イリス、散歩がしたいんだ、付き合ってくれるかい?」


 イリスは少しキョトンとした顔をしていたが、言われるままに従った。


 川岸から土手を登り、街の東側に広がった農耕地を歩く。

 川から東は従来の日本の土地だ。大阪の平地を利用して空間結界内部に許す限り耕され、見渡す限りの畑が広がっている。

 それも様々な人種が集まる雑多なこの世界に合わせ、米を育てる水田に、麦の畑、トウモロコシなど様々。もちろん野菜も育ててるし、果樹園になってる場所もある。

 西日に照らされた青い葉っぱと黄色い稲が、この混沌とした世界にふさわしいコントラストを映し出していた。


「おぉー!広い! 広いねぇ! 建物もほとんどない」

「食料の自給は重要ですから、畑の面積を確保するために、ほとんどの人は橋の上に住居を置き、畑に通ってるんです」

「なーるほどなー。おかげでいい景色だ!」


 この広々とした世界は、病院ぐらしの長かった靖治にとって新鮮だ。

 見渡す限りに広がった景色に心を洗われ、深く息を吸い込む。

 存分に土と草の匂いを楽しんでから歩いてきた道を振り返ると、砂漠に沈む夕日が迎えてくれる。


「こんなにキレイな夕日、生まれて始めてみたよ」

「これが美しいものなのでしょうか?」

「イリスはそう思わない?」

「よくわかりません」

「そっか。まあ美しさというものは、無理に学ぶものじゃないよ」

「そうなのですか?」

「思うに、美しさとはあらゆる景色の石ころ一つにも内在していて、見る人の準備が整った時に気付くものさ。僕だけの持論だけどね」

「んー?」

「はははっ、見たいままに見ればいいってことだよ」


 イリスは景色についてさほど心に響かないらしい。彼女には、少なくとも現時点では、景色を美しいと感じるだけの整いがないのだ。

 だが靖治にはそれで良かった、ただ隣りにいてくれるだけで、なんとも心強くて、おかげで安心してこの素晴らしい自然を感じられる。

 だけど、イリスにはやはり少し元気がないように見える。


「ミールさんのこと、気になる?」

「……はい」


 尋ねてみるとイリスは神妙に頷き、今度は彼女の方から話し始めた。


「ミールさんと付き合いがあったという女性がいましたよね。靖治さんの頼みで、私が看取った」

「うん、そうだったね」

「先程、機能が一時停止する直前、その時のことを思い出していました」


 靖治がいた病院戦艦に襲ってきたミズホスの部下の一人に、イリスは致命傷を与え、そしてその人は死んだ。

 だがその最期に、靖治がイリスに頼んで死ぬ瞬間までそばにいてもらったのだ。靖治の感傷に、イリスが付き合ってくれた形だ。

 イリスはその時、死者に添えていた手を、今一度見つめた。


「あの時は、私のせいで死にゆく命に何の感慨もありませんでした」

「そっか。今は?」


 イリスは少し悩んでから答えた。


「……あまり、変わらないような気がします」


 暗い声で唱え、独り眉をひそめる。


「そのことが何より重いです」


 他人の死よりも、そのことに何も感じない自分を厭う。

 そう呟いたイリスの眼の前に、靖治の手が現れて手を重ねてきた。


「それもまたイリスだよ、それでも良いんだ」

「靖治さん……」


 だが抱え込んだ暗闇が拭えないのか、イリスは眼を合わせながら尚更眉間を歪めた。


「私は、靖治さんが死んだらと思うとコアが痛くなります、でもそこまでなんです。ミールさんも何か感じているのだろうと思考では理解できるのですが、共感としては未だ上手く掴めていない気がするのです。彼が何を感じているのか、何故私に何も言わないのか、それがわかりません……」

「ミールさんが言えないのも仕方ない。気持ちを伝えるというのは勇気がいることだよ、大きければ大きいほど、足踏みしてしまう人もいるんだと思うよ」


 ミールは明らかに身内を殺されて落ち込んでいる、平静を装う裏側では間違いなく激情を溜め込んでいるだろう。だがイリスには、まだ心が追いつかないことのようだ。


「……ミールさんの気持ちがわからないのは、やはり私が血が通わない機械だからでしょうか」


 イリスの言葉があまりにも純粋で優しいものだから、靖治は苦笑する。

 彼女もまた自分になりに他人のことを理解しようと必死に考えている。その心の姿勢は、それそのものが美しいとすら感じる。


「人間だってそんなもんだよ、僕だって他人の痛みなんてわかりやしないよ。共感なんて言葉、自分が一人で勝手に見た幻想に過ぎない」


 健気に頑張るイリスの姿に、靖治は人間の矮小さを口にした。

 するとイリスは苦しい胸に手を当てて、一層疑問を発する。


「なら何故、人は共に過ごすのですか? お互いのことがわからないのに?」

「確かにおかしな話かも知れないね」


 靖治は少しばかり耳が痛い、イリスはこんなにも周りのことを理解しようとしているのに、自分は彼女の気持ちのすべてを理解してあげられないのだから。

 純粋な彼女に対し、自分は汚いなとなんとなく思う。


「でも人間は、見えないものを追い求めたがる生き物だからさ。だからみんな他人にロマンを夢見て、諦めずに寄り添ったり、ぶつかったりするんだよきっと」


 だからイリスへのせめてもの慰めと、わずかな祈りを込めて夢を語った。

 しかし曖昧な返答に、イリスは拳を握りしめて震わせる。


「……私は、もっと確かな答えが欲しいです」

「うん」


 その気持ちは、少しだけわかった気がした。


「靖治さん、私はこれまでに何人も人を殺してきました」

「そうか」

「率先して殺してはいません、しかし状況的にしかたなく、相手の命を奪いました」

「そうなんだ」

「靖治さん、これは間違いだと思いますか?」


 イリスにはイリスの苦難があったのだろう、そこで殺めた命は仕方なかったことかもしれない。

 本当はそのことを伝えて慰めてあげたい、だが靖治はそうしなかった。


「それを決めるのは僕じゃない、君自身だよイリス」

「私が……」


 突き放され、しばし自分の手を確かめるように見つめたイリスは、不安で泣きそうな表情を浮かべ、瞳の虹を揺らめかせる。


「でも……でも私! 選択を誤ってしまったらどうなってしまうんでしょう!? そのせいで、私が壊れるだけなら良い……でも靖治さんにまで、被害が及ぶようであれば……!」

「僕は構わないよ」


 いきなり多くを知らしめられ、足元が覚束ない不確かさに戸惑うイリスへ、靖治は残酷なほど寛容だった。


「アリサの時と同じだ。アリサのナイフに刺されて死んでも良かったように、君の行動の結果が僕の命を奪ったとしても、僕はそれを認め受け入れるよ。それでいいさ」


 生きようという気概がありながら、一方で死すら認めてしまう、靖治が見せる矛盾した二面性に、イリスは表情を歪めて叫ぶように返した。


「私はよくないですっ!!!」

「アッハッハ! そりゃそうだ、ごめんね!」


 こんなにも必死に自分を守ってくれてる相手にこんなことを言うのは失礼極まりないなと、靖治は笑ってわだかまりを吹き飛ばす。


「イリス、他人は絶対の答えを教えてはくれないよ。君には君の自由があり、だからこそ自分で答えを見つけねばならない。不安も確信もみな平等に、選択して良いんだ」


 靖治は、イリスの心のあり方を規定するようなことはしなかった。彼女が惑おうと、より多くの選択肢を啓示し、イリスの心を掻き立てる。


「それって、大変じゃないですか……?」

「うん、僕は無責任に酷いことを言っている。嫌なら耳を塞いで聞かないでいてくれても構わない、それもまた自由だ」


 イリスは恨みがましそうな眼をして、上目遣いで靖治を睨みつけてきた。


「……私にできないことを言わないで下さい」

「そうか……うん、酷いことを言っちゃったか。ごめん」


 イリスは、ずっと靖治を追い求めてきたのだ、そんな靖治からいきなり距離を取る道を教えるのは辛いことだったようだ。


「だけどイリス、一つ忠告するなら、ミールさんが君にぶつかってきた時は、多分逃げてはならないと思う。きっとそれは追いかけてくる過去だ、腹を括ってぶつからなきゃいけない類のね」


 靖治は少しだけ、イリスの在り方を縛るようなことを口にした。もしミールが挑んできた時にそれを避ければ、後々イリスが不幸になると思ったからだ。

 しかしイリスは少し怖気づいたようで、しょんぼりと顔を伏せて小さいつぶやを漏らす。


「私は、もし彼が怒ってきたなら、どうすればいいのかわかりません……」

「大丈夫だイリス、君は前に進む力を持っているから、その時になればわかるはず。後ろには僕がいるし、アリサも君が困ったらきっと助けてくれる。君の足りない部分は、みんなで支えればいい。だから明日笑えることを信じてみて」


 そう言うと靖治はそっと距離を詰め、自然な気持ちでイリスの身体を抱きしめた。

 イリスは嫌がらなかった。しばらく靖治は優しく抱き締め、彼女の背中をポンポンと軽く叩いて元気づける。

 それから抱擁を解いて見つめ合うと、イリスはおずおずと靖治を見つめてきた。


「靖治さんは……信じてますか……?」

「――うん、もちろん!」


 そう言うと、ようやくイリスは控えめな笑みを浮かべてくれるのだった。

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