32話『万葉靖治という人間』
人工筋肉によるハイパワーな脚力に加えスラスターで加速するイリス。魔人を出しながら優れた身体能力で走るアリサ。
辺りは放棄予定の区域なために他に人影もおらず、二人は無人の街中を走り抜けながら力を奮い合った。
「オラァ!!」
アリサの勇ましい掛け声を上げると、魔人が拳を振りかぶり、イリスの脳天を粉砕しようと殴りつけてくる。
この攻撃はイリスは、スラスターの噴射で横方向へ加速することで避ける。魔人の攻撃は外れ、代わりに足場を拳が穿った。
橋の街のほとんどの土台が魔力の充填を受けて強化されたものだが、魔人の拳の前にはあえなく粉砕されて、崩れた破片が煙を上げながら落ちていく。
熾火がくすぶる穴から瓦礫が川へ落ちる音を聞きながら、イリスは素早く反撃に転じて魔人の顔に殴り返した。
こちらはガツンと大きな音を立てて命中する。額を打たれた魔人はわずかにのけぞり、本体であるアリサもそのフィードバックを受け、額を押さえて身体をよろめかせた。
「チッ……アグニを殴るとは」
魔人アグニは見かけ上は形を持つものの、実際には非実体的なエネルギー体でしかも高熱だ。本来なら魔人の側から干渉しようと働きかけない限り、炎に手を突っ込むようなもので触れても無意味なはず。
それを平気で殴るイリスは、白い長手袋が焼け崩れていたものの、その下から現れた銀色の拳はいまだ万全。
調子を確かめるように握り直される機械の腕の表面には、青色の薄い光の膜のようなものが走っているのが肉眼で見えた。
「電磁バリアです! 影響力の強い異能力は、逆に物理的影響を受けやすい、弱点です!」
「ふん、それであたしを倒したつもりかぁ!?」
魔人が口を大きく開けると、口内から多数の炎弾を発射した。
だが砂漠での戦いに比べれば格段に威力が絞られている、火事の危険がある街中では本気の炎を扱う訳にはいかないらしい。
イリスがそれをバリアで覆った手で弾くと、飛び散った炎弾は家屋の壁に高熱で穴を開けたが、瞬時に炎が消え失せたため燃え広がりはしなかった。
小技での牽制を続けるアリサを前にして、イリスは高く跳び上がって勝負に出る。
右足の踵をアリサへと向け、足首のギミックを作動させる。
ニーソックスがパーツの割れ目に合わせて分かれ、表面走行が開かれる。内部から現れたのは質量保存をちょっと凌駕しているサイズの大型スラスターだ。
「ダイナマイトメイドキーック!」
スラスターが噴射炎を吐き出し、強力な推力を得て、猛烈な勢いでイリスの飛び蹴りが襲いかかる。
この頭上から強襲を魔人は腕で受け止める。流石に衝撃を前にして一瞬固まったが、すぐに力任せに払いのけた。
弾き飛ばされて地面に降り立つイリスを、アリサが見下すように鼻で笑い飛ばしす。
「ハッ、だっさい名前ね」
「あー!? なんですかダサいって! 靖治さんが一生懸命考えてくれた名前にー!!」
せっかく与えてもらった技名を馬鹿にされて、イリスは憤慨してスラスターで大きくなった足で地団駄踏み足元を陥没させる。
ここにきてようやく、戦いが始まってからイリスの心が揺れ動いた。
『ジェネレータ出力上昇 パラダイムアームズ使用可能』
脳内に文字が流れた、砂漠の時と同じだ。ステータスを確認し、イリスは構えを取る。
左手は立てて真っ直ぐ前に出し、右手の拳を握り込んで矢を引き絞るかのように右脇を締め、いつでも突撃できるように。
「靖治さんの付けてくれた素敵な名前を、愚弄にするならば全力でお相手します! パラダイムアームズ起動!」
宣言と共に、イリスの両肩から円形の閃光が走ると、その形に沿ってメイド服が切り取られ、下から空気供給ファンが現れた。
ファンにより渦を巻いて吸い込まれる空気に、わずかな光の粒子が混じり始める。
パラダイムアームズ:起動
心紋投影開始/成功
定着したシンボルを靴と仮定/着色開始
本機能を定義/マキナライブラリから遊具用ホバーブーツを抽出完了
フレーム設計完了/内部構造設計完了
マテリアルのブレンド完了/生成開始
「さあ! 今再び飛び立つ時――って、あれ?」
翼型のユニットが出てくると思っていたイリスだが、表示された文章は昨日といくらか違いがある。
おかしいと思って自分の脚を見下ろすと、彼女の足が光りに包まれ、膝から下を覆うズ太いブーツ型のユニットが形つくられていく。
光が収まった下から現れた紫色の太い足に、イリスは呆気にとられて思わず背中を振り向くが、当然ながらそこに翼はなく、困惑気味に足をばたつかせた。
「えっ、えっ!? なんで翼じゃないんですか? 何この重いの!?」
「ふーん、それがあんたの秘密兵器ってわけだ」
「いや、違います! ちょ、ちょっと待って……!」
「ハッ、なんでもいいわ。くたばれトンチキロボット!!」
イリスは両手を振って静止を訴えたところで止まるわけがなかった。
魔人が浮かび上がりアリサの頭上から炎を熱線のように吐き出す。一条の火の柱が、電磁バリアでは弾けないほど高密度で襲いかかった。
「ひ、ひゃぁ~!?」
慌てたイリスが無我夢中で足のユニットを作動させると、彼女の身体が僅かに浮き上がった。
100kgを超える彼女の身体が高速で地面を滑り出し、熱線はさっきまで目標がいた場所に焦げ穴を作るだけで終わる。
ホバー走行を始めたイリスはアリサとぶつかりそうになり、そこに魔人が割り込んできて、慌てて体を捻り方向を変えた。
滑りながらしゃがんだイリスの頭上を、魔人の拳が通り抜ける。髪に結んだ黄色いリボンを熱風が揺らすのを感じながら、アリサの斜め後方に抜け出たイリスは困惑しっぱなしだった。
「なんで!? 飛行ユニットが出るんじゃ……ハッ!? もしかしてパラダイムアームズって……出てくる装備、ランダムですかぁー!? 何それスゴイ不便です!!」
不満を爆発させながらも、イリスはホバーでスピンしたりしてでたらめな軌道を描きながら、暴走気味に街を駆け抜ける。
不規則な動きで距離を離していくイリスに、アリサも急いで走り出した。
「ちぃ、すばしっこい!」
瞬間的な速度はスラスターを利用したさっきまでのほうが上だが、減速せずに滑りまわるイリスもこれはこれで捉えにくい。
街を出ていかれたらどこへ行くかわからないと、街中で勝負を仕掛けたアリサだったが、流石に無茶だったかもと内心で吐露する。
しかしここは退避区域だ、避難もほぼ完了しているようでさっきから人も見ないし、もう少し大きな攻勢に出ても良いかもしれない。
「面倒ね、まとめて薙ぎ払うか!」
アリサが石造りの足を踏みしめて両腕を開くと、彼女の頭上で魔人が大きく胸を張り、口内に炎熱を溜め込み始めた。
空気の高鳴りと共に収縮していく力を肩越しに振り返ったイリスは、逃げながら泡を食った表情を浮かべる。
「あわわわわわ……」
「やっちゃいなさい、アグニ!」
火を放とうとした瞬間、開かれっぱなしの家屋の奥に、何か動くものを見つけたアリサが思わず息を止めた。
10歳にも満たない子供だ。汚れた身なりからして、厳罰を覚悟してでも退避区域に逃げ込んできた浮浪者か。
一人だけでない、数人の子供が騒ぎを聞きつけて、家から顔を出してきていた。
「なにー? どうしたの?」
「ケンカ?」
「みんな危ないよ、中に入って!」
子供たちを引き戻そうとする一番年上の少年でも、まだアリサより背が低かった。
アリザは驚いて目を見開き、魔人は即座に口を閉じて溜め込んだエネルギーをかき消す。
戦場にわずかな静寂が走り、間隙にイリスは次の行動を打って出た。
「そっちがその気なら!」
イリスは建物の隙間に空洞を見つけると、そこに身体を飛び込ませた。
足場のあいだから下に落ちていく銀髪に、アリサは驚いてその場に立ちすくむ。
「落ちた!? 下は川……」
落下したイリスはホバーブーツを水面に向けると、川の上をわずかに浮遊して高速で滑り始めた。眼球の機能を切り替え、橋の裏側からサーモグラフィーで地上を観測する。
巨大な熱量が立っている場所に狙いをつけると、真下に来たところで大きく膝を曲げ、ホバーの出力と太もものスラスターを最大出力で稼働させる。
屈伸運動と共に水面をたゆませて、砲丸のごとく飛び上がり、橋の裏側から拳で突き上げて、一瞬で足場を粉砕した。
石の橋が下から砕かれて、アリサはたたらを踏んで後ろに下がる。瓦礫と共にすぐ目の前に現れたイリスが、その重たいホバーブーツを空中で振りかぶった。
「やばっ……!」
魔人でのガードも間に合わない。咄嗟に手枷の着いた腕で身体をかばい、振り抜かれたブーツを受け止める。
重たい蹴りが命中し、アリサは骨を軋ませながら後ろに吹っ飛んで地面を転がり、集中が途切れて魔人の姿が燃え尽きるように掻き消えた。
普通の人間なら腕が砕ける一撃だ。しかし彼女の身体は常人よりも頑丈なのと、手枷が盾になったおかげで五体満足で生きながらえていた。
「ぐぅっ……この!」
うつ伏せで倒れたアリサが、呻きながら起き上がる。
そこにイリスが拳を構えて、真っ直ぐ突っ切ってくる。
「これでトドメです!」
「なんのぉおー!!」
地面にうずくまったままのアリサは、再び能力を発揮する。彼女の上に燃え上がった炎が固まっていき、あっという間にいかつい上半身だけの魔人を象り手を握る。
お互いに一歩も引かない拳が、真正面からぶつかろうと距離を縮め――。
「待ったー! そこまで!」
激突の直前に、走ってきた靖治があいだに入り込んできた。
「うぇ!? 靖治さん!?」
「なっ……!?」
このまま拳を振り抜けば靖治が死ぬ。アリサがそれを察知すると同時に、魔人の拳がビタリと止まる。
イリスも身体ごと靖治とぶつかりそうになっていたが、慌てて身体ごとスピンしてその場にスピードを殺すと、ホバーを停止させ驚いた顔で叫んだ。
「な、何をするんですか靖治さん!?」
「ハア、ハア……ま、待って待って……いちど話しを……うぷ、吐きそう……」
「わわ、靖治さん!?」
重たい荷物を背負って全力疾走は、ずっと病院住まいだった靖治には相当にキツかったようだ。
ナノマシンの効果で多少は回復能力も高いはずだが、それでも押さえきれずヨロヨロとイリスに縋り付く。
「ふう、ふう……一度話し合おう。イリス、ここは僕に任せて」
イリスに支えられた靖治は格好つかない汗だくの顔で、ドキドキする胸を押さえて呼吸と姿勢を整える。
そんな靖治を前にして、アリサは立ち上がると、距離を取りながら唾を散らすように言った。
「あ、あんたアグニの前に飛び出すなんて死にたいの!?」
「死なないよ」
「どうして!?」
慌てふためくアリサへと、靖治は胸を張って真摯に声を上げた。
「君が優しい人だと信じられるから」
一心に唱えられれば、アリサは愕然として身体を縛られ、魔人も揺らめいて消え去ってしまった。
震える口で恐れるように言葉を紡ぐ。
「ば……バカか……あんたは……あたしはそんなんじゃ……」
「アリサは僕を助けてくれたし、さっきもあの子達を庇って攻撃を止めたよね。戦場で、自分よりも誰かのことを気にした。君はそういうことができる人だ」
靖治が目を向けた先には、家の入口から怯えた様子でこちらを覗き込んできている子供たちがいる。
「別に、そんな……どうだっていいわよ! 関係ないやつが死のうと!」
アリサは絞り出した言葉を吐き捨て、荒々しく肩で息をした。
睨みつけてくる彼女に、靖治は表情を変えずイリスへと振り向いて手の平をかざした。
「イリス、ナイフ持ってたよね、貸してくれるかな」
「は、はい?」
イリスは戸惑いながらも、スカートの下から取り出したサバイバルナイフを、靖治の手の上に乗せる。
靖治はナイフを回して刃を自分へと向けると、アリサの右手を両手で挟み込み、その中にナイフの柄を握らせた。
「イリスを殺すなら僕をまず殺してくれ」
「なっ……!?」
アリサは思わず腰が引けたが、靖治の手は驚くほど強く握られ、彼女を逃さなかった。
靖治の後ろではイリスも大きく目を見開いて驚き、切羽づまった顔で靖治の肩を叩く。
「靖治さん! 何言ってるんですか!?」
「静かにしてくれイリス、今はアリサと話してる」
見向きもされずにそう言われ、幼きイリスは何も理解できないまま、言葉を失って手を下げるしかなかった。
靖治はナイフの刃を自らの首元に突きつけさせ一歩にじり寄る。真っ直ぐ見つめながら近づく靖治に、アリサは小さく悲鳴を上げてこわばった表情を作る。
「ひっ……!?」
「イリスがいなければ、僕はこの世界で生きていけない。彼女が死ねば結果的に僕も死ぬ、なら僕から殺してくれ」
「き、気が狂ってる……!」
「当たり前さ、気狂いでなきゃ誰も生きられないよ。みんな自分を狂わせる何かを求めながら生きてるんだ、僕にとってはそれが今ここで君だ」
「わ、わけわかんないわよ!!」
死を前にして、靖治の眼はとても穏やかで、それこそがどうしようもなく歪で、アリサには恐ろしかった。
長い間、生と死のボーダーを辿って生きてきた靖治にとって、死はとても間近で、親しい隣人のように心の側にある。
だからいつもやるように、死を見つめる時と同じ眼で、アリサのことを見つめていた。
(どうしてこいつはこんな眼をしていられる!? あたしのことを、刺せない女だって舐めてるのか!?)
まるで日常を送るような眼で刃を受け入れようとしている靖治を、アリサは理解できずに考えが交錯するばかりだった。
(この……舐めやがって……刺してやる……刺してやる……! 殺してやる! 殺してビビらせて……)
眼前を睨みつけ、アリサの手に力がこもる、ナイフが進み、先端が柔らかな皮膚を突き破って肉に食い込んだ。
血が流れる。少しずつ、少しずつ、刃が進み、ずくりと肉を裂く感触がアリサの手にも返ってきた。
だが靖治は首を貫かれつつあるというのに、眉一つ動かさず、まるで怯えの見えない表情にアリサが逆に戦慄することとなる。
刃から鍔へ、滴った血が地面に零れ、ポタリと染みを作る音に心臓を鷲掴みにされているような気がした。
「死んでいいっての!? あたしなんかに!?」
「ただで死ぬのは面白くないけど、アリサの心に残って死ぬなら悪くないかな」
楽しげに、にっと笑って見つめる靖治に、アリサは必死に喉を絞り上げた。
「む、無理よ……あたし、契約したんだから……う、裏切れない……! あたしはそのメイド女を殺す!」
「やめようよアリサ」
靖治の声は一度としてブレない。揺るがず立つ靖治の背中を、イリスがどうしたらいいかわからず、困惑したまま遠く眺めている。
より強く、アリサの手を握りしめた靖治は、繰り返しアリサの心に真正面から訴えかけた。
「一人が寂しいなら僕がいる、一緒に行こうよ」
それは爽やかな風のようでいて、悪魔の囁きよりも甘く、理解からもっとも遠い場所でありながら、確かに心に寄り添うためのものだった。
・一行後書き
ついに本性を表した靖治くん、これが主人公の貫禄だ。頭イかれてる感じに書けて満足です。




