30話『裏切りの歴史』
あたしはワンダフルワールドの生まれじゃない。別の世界の、無駄が多い街のゴミ溜めみたいなスラムで生まれた。
物心ついたときから父親はいなかった。あたしの母親はよく悪い男に引っかかって、散々金を貢がされた挙げ句、子供が出来たら捨てられる、そんな惨めな女だったんだ。
母親の顔はろくに思い出せない、確かだったのはいつも酒と煙草の臭いがしてて、何かあるとすぐ喚き散らしてたことだ。
「あんたらのせいで! あたしは捨てられたんだ!!」
記憶の中の母親は、顔の部分が真っ黒なのに、声はいやに明確に頭に残っている。
煙の臭いを嗅ぐと、その時の汚い声と、あたしの代わりにお兄ちゃんが殴られていた場面を思い出す。
お兄ちゃんはあたしを庇ってくれた、唯一頼りになる人だった。父親は違うけど確かな家族だと思ってたし。いつもあたしを守ってくれて、あたしに勇気を与えてくれた。
母親とかいうクソ女が死んだのはあたしが五つの時、また子供ができたからって男に捨てられて、それでショックで首を吊ったってんだからあの女らしい。
お兄ちゃんと二人、路地裏でのたれ死にそうになっていると、一人暮らしのおじさんに拾われた。能力を出して警戒するあたしたちに「お腹が空いているならうちに来なさい」と言って家に案内した。
男なんてどいつも信用出来ないけど、まああのおじさんは割りかし優しかったと思う。
暖炉のついた部屋で食べた薄味のスープの温かさは、今も覚えている。
おじさんはどう見ても悪い子なあたしたちの頭を撫でて「もう心配しなく良いからね」と言ってくれた。
文字を教えてくれて、料理を教えてくれて、これから生きるために必要なものを揃えてくれた。
お兄ちゃんは最初は気を張ってて「もし裏切ったりしたらすぐにぶち殺して財産も全部奪ってやる」って言ってたけど、ずっとおじさんが優しかったから、段々と警戒しなくなっていった。あたしも、お兄ちゃんが気を許すに連れ、おじさんに懐くようになった。
暖かい家、温かいご飯。誰にも殴られたり怒鳴られたりしないし、何も心配もしなくていい、家の中は小さな楽園みたいだ。
あたしもおじさんの子供になろうと頑張った。
家のこともたくさんしたし、本を読めるように文字の勉強だってちゃんとした。
読める字が増えるたびにおじさんに報告して、よく頑張ったねって頭を撫でてもらうのが大好きだった。
おじさんとお兄ちゃんとあたし、三人でいた時間が、今までで一番幸福な時間だった。
おじさんが死んだのはその三年後、マフィアの抗争のとばっちりで、銃弾を胸に受けた。
寒い冬の日。買い物に行ったっきり帰ってこなくて、あたしが一人で探しに行ったら、あたしたちへのプレゼントを持ったまま血を流して冷たくなっていた。
ずっとあたしたちを守るって言ってくれてたのに、あの人も結局、約束を守ることは出来なかった。
あたしたちは生まれたときから奇妙な能力を使えた、魔法とは何か違う力。あたしは火で、お兄ちゃんは氷。
おじさんが死んでから、あたしたちはこの能力に頼って生きることにした。
マフィアの使いっ走りになって、必死にファミリーのために尽くした。子供の見た目を利用してヤクを渡したり、異能力があるから護衛なんかもよくやった。
あたしはまだ良かったけど、お兄ちゃんは大変だったらしい。気に入らないやつがいるから殺してこいなんていつものことで、たった一人で鉄砲玉やらされてた。
だけどお兄ちゃんは強かった。用心棒の魔法使いだろうと、銃弾の雨だろうと、全てを氷づかせて、砕いて、最強だった。
あたしも戦うと言ったんだけど、お兄ちゃんは「お前はそんなことしなくていいんだ」って言って譲らなかったし、実際あたしなんかの助けがなくなって、お兄ちゃんは上手くやっていた。
最初はうちの頭も「良い拾い物をした」って嬉しそうだったけど、あんまりにもお兄ちゃんが強いから、そのうち怖くなったらしい。
食い物に毒を混ぜたんだ。動けないお兄ちゃんに、あいつらは銃を突きつけて、引き金が引こうとしたところで、裏切りを知ったあたしが割って入った。
銃口があたしに向いて、火薬の音が耳をつんざいた。
その日、あたしが初めて人を殺した。
ファミリーを壊滅させて、あたしたちは別の街でギャングを初めた。
あたしたちは自信を持っていた、大人のマフィアだってあたしたちには敵わなかったんだ。
ストリートチルドレンをまとめ上げ、子供だけの組織を作って、大人たちに対抗した。
向かう所敵なし、歯向かうチンピラは片っ端から潰してやった!
誰にだって容赦はしない、あたしらを舐めるやつがいたらマフィアの事務所に直接顔を出して、たっぷりお礼をしてやった。
この世は強いやつのものだ、力さえあれば誰だって逆らえやしないんだ。あたしたちの強さに憧れて、仲間もたくさんできた。
あたしとお兄ちゃんはのし上がったんだ!
でもある日、雨が降った嫌な日のことだ。ホームに帰ると火の手が上がっていて、子供たちの悲鳴が聞こえた。
国お抱えの魔法使いと軍隊が取り囲んでいて、獲物を見る気持ち悪い視線をぶつけてきた。
あたしたちはやりすぎたんだ。
一対一ならあたしたちは誰にだって負けやしない、でも徒党を組まれて作戦を練られて、ジリジリと攻められれば消耗は避けられない。
そしてとうとう限界が来て、逃げるしかなくなった時、足がもつれて転んだあたしを、お兄ちゃんは振り返っただけで、止まったりしなかった。
雨の中、冷たさが指先に染みて、手を伸ばした先でお兄ちゃんの背中が離れていった光景を、あたしは忘れない。
ずっとずっと忘れない。
あたしはもう、誰も信じたりなんかしない。
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翌日、アリサは朝早くから宿屋から抜け出した。
夜が明ける瞬間の静かな街を独りで歩く。
隣には誰もいない、当然だ。誰も必要ない、その通りだ。
そう胸に締め、独り歩く。
足を止める。細い路地の暗がりから、見覚えのあるトカゲ人間たちが顔を見せていた。
彼らはみな物言わぬも威圧感を放っている。殺気立った気配で未明の静寂を重くして、手に持った金を差し出してきていた。
アリサはニヤリと笑った。
・一行後書き。
愛されないって悲しいこと。




