29話『みんなが寝静まった夜』
その宿に泊まったのはその四人+おまけのメイドロボが一人だけだった。
夜に照明が消され、指先ほどの大きさの赤い魔人だけがほのかに部屋を照らす中、四つのベッドでそれぞれ客人が横になっていた。
エアコンもなにもない簡素な宿だ、ピアスの男は布団の上でダルそうに手を振り回して小言を呟き、帽子の男が注意する。
「あちーあちー」
「おい静かにしねえか」
「だってあちいって。おぉいアリサちゃん、その魔人消してくんねーかな?」
「うっさいわよ。このサイズならロウソクとほとんど変わんないんだから、室温に影響なんてないわよ。黙って寝てろ」
「うぅー……ちくしょう、もっといい宿に行きゃよかったなぁ~」
うるさい男を無視して、みんな眠りに就こうとする。
靖治はシャツとパンツだけの身軽な格好になり、薄い毛布をかぶってイリスと向かい合いながら横になっていた。
イリスはメイド服のまま、ベッドの端で壁にピッタリと背をくっつけて寝転がり、虹の瞳にまばたきすらさせず、靖治のことを見つめている。
病院戦艦で彼女に抱きついた時は大きく慌てられたが、こうやって並んで寝転がる程度ならなんともないようだ。
目の前のイリスに、靖治は小さな声で話しかけた。
「イリス、大丈夫? 暑かったり苦しかったりしない?」
「気体温度、駆動への負荷、共に問題ありません。靖治さんこそ、問題はないですか?」
イリスもまた、囁くような静かな声で返してくれた。とても可愛らしい声色で、何だか聞いてるだけでこそばゆいが、悪い気はしない。
「んー、暑いけど、これくらいなら別にいいかな」
「発汗による脱水症状には気を付けて下さい。私でも極力モニターしてますが、本人の注意が重要です」
「わかったよ、ありがとう」
「私はこのまま朝まで見守らせていただきますので、どうぞごゆっくりお休みください」
「疲れたら寝てもいいよ?」
「心配ご無用です、お気になさらず」
暗い部屋でコソコソと言葉を交わす。
こうしてイリスの眼を改めて覗き込んでみると、やはり彼女の瞳はとても綺麗だ。
暗闇の中でイリスの眼には、不思議なほどハッキリと虹彩の煌めきが見える、魔人の光に照らされているだけではない、瞳自体がわずかに発光しているのだ。
ゆらゆらと浜辺に満ちる波のように、眼の輝きは波長を変え色彩を移ろわせ、複雑な紋様を描くかのように鮮やかに映えている。
ずっと見つめていると、それは高い青空のようにも、果てなき草原のようにも、あるいは活気盛んな火山のようにも思えた。
変わり続ける色合いに引き込まれ、弾かれて、また引き込まれ、弾かれて、その繰り返しに心がたゆたう。
いつまで見ていても飽きない輝きに靖治が魅入っていると、イリスがポツリと口を開いた。
「こうして見つめていると、以前のことを思い出します」
そう言われ、靖治はほんの少し驚いた。
考えてみれば、靖治はイリスと出会ってまだ二日目なのだ。今日の夜明け前に一度、彼女の身の上話を聞いたりもしたが、まだ自分たちはお互いのことをよくわかってはいない。
「……前って?」
「東京から戦艦を奪取して脱出してから、あなたが目覚めるまでのあいだです。戦艦を海洋と平地に沿って移動させ、それを拠点に各地の探索をしていました。靖治さんの安全を重視して、頻繁に戦艦に戻って、あなたの様子を見ていたんですよ」
「……頑張ってくれたんだね」
「当然です、それが私が自我を獲得した理由であり、根源ですから」
東京を連れ出された靖治が、コールドスリープで眠っているあいだの、二百年間の話だ。
イリスの言い方は、他の生き方を知らなかったようにも聞こえるし、多分そうなのかもしれない。
「戦艦に戻った時、一番に気にかかったのが、あなたが死んでいないかどうかでした。襲撃に遭い装置を壊されてないか、不具合が発生して冬眠が不完全に解除されてないか。帰るたびに、直接靖治さんの様子を伺いに行ったんです。そして、靖治さんの顔を見ると、思考が軽くなり感じがあり、何故かその場から動けなくなりました」
イリスの声に、わずかに力がこもった。
瞳は過去に向けられ、彼女は宝物のように抱え込んできた記憶を赤裸々に語る。
「ずっとあなたの顔を見ていたかった。ガラス越しに顔を見つめて、どんな人なのだろうってずっと予想を繰り返してきました」
靖治はなんとなく、イリスが硬い床の上で膝を抱えながら、眠っている自分を見つめている姿を思い浮かべた。
「どんな声なのか、どんな表情をするのか、どんな食べ物が好きで、どんな癖を持っていて、どんな風に走るのか。あなたに近付きたくて、過去の映画やアニメなどを確認しましたが、あんまり人間の精神活動はよくわからなかったですね」
「メイドもその時知ったんだ?」
「はい、いくつかの作品で、主人とともにある姿を見て……こう……上手く言えませんがビビッと来たんですっ」
「……うん、そうなんだね」
感情表現に慣れていないイリスに、靖治は深くうなずいた。
ロボットである彼女が、存在理由である奉仕対象に、どれほどの想いを向けてきてくれたのかは計り知れない。だがそのうちの幾ばくかだけでも、今この瞬間に伝わって来ている、そんな幻想を感じた。
「何故、自分の装束にこのメイド服を選んだのか、今は言葉や思考以上に理解できる気がします。ずっと私は……あなたと生きたかったのかもしれません」
イリスは眼を開けたままゆっくりと頭を近づけてきた。
靖治が待っていてあげると、彼女は眼と眼を合わせたまま、額をコツンと合わせて、息が届くほどの距離から囁きかけてくる。
「空っぽの機械だった、私に心を入れてくれた、あなたと」
まるで自分が救われたかのように語るイリスだが、それで救われたのは靖治の方だって同じだ。
「……ありがとう。イリスこそ、僕を見つけてくれて」
いくつか謎も残るが、今は別にいいやと靖治は思った。
それよりも、この可愛いメイドを夢見たロボットと近づいていたい。
「実際に僕を知ってどうだった?」
「予想よりずっと笑う人で、驚きましたよ。突拍子がなくて無茶ばっかり」
「ははは、ごめんね」
靖治が笑うと、イリスも満足げに口元で笑ってくれた。
そうして二人の世界に浸っていたが、突如外界から割り込みを掛けられた。
「おーい、そろそろ黙ってくれぇーうるせぇー」
「お前が言うのかよ……」
先客だった男たちだ。彼らの言う通り、いい加減静かにしないと迷惑だろう。
「もう寝るね、おやすみイリス」
「えぇ……おやすみなさい、靖治さん」
イリスも壁際に戻り、見張りの体勢に入った。
頼もしい彼女に見守られながら、靖治は目を閉じて静かにまどろみの川を下っていく。
二人の話を、向かいのベッドで寝ていたアリサは、背を向けながら聞いていた。
それからしばらくしてみんなが寝静まった頃、アリサは肘を突いて上半身を起き上がらせ、靖治たちの方を見た。
そこには護衛を続けるイリスが眼を開いていて、移りゆく色彩がアリサと眼を合わせた。
互いに何も言わない。
ただアリサは寄り添い合う二人の姿に、顔をしかめて眠り直すのだった。
・一行後書き
作者もイリスに見守られながら寝たい。




