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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
八章【SHINING SURVIVORS -死の霧を超えろ- 】
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222話『命の行く先』

 ――――心の奥底で、暗い夢の中で。


 風が吹いている。雨が降っている。水は冷たいはずで、でも今はそれを感じ取る機能すら失われている。

 這い上がれない、彼を護るための手はない。進めない、仲間たちと歩むための脚もない。


 ザアザアと降りかかる雨が人工皮膚を叩き、銀の髪の隙間に吸い込まれていく。霞んでいく虹の瞳は雨雫を滴らせながら、まばたき一つ許されないままただ目の前のゴミの山を見つめている。

 悪夢の中、これが夢だとすらわからないままイリスは、首だけの状態でゴミ山の上に野晒しにされ続けていた。


(誰か……助けてください……誰か…………)


 固まった顔で鎮座したまま、心の中で彼女は唱えていた。

 この孤独な世界は時が過ぎるのが早くて、もう気が遠くなるくらいの時間をここにいる気がする。

 朝が来て、夜が過ぎ、陽気が去り、日差しに熱され、紅葉が散り、白銀が世界を覆って、尚も動けずにここにいる。


 けれどどれだけ待っても彼女は救われなかった。

 声を上げることもできず、誰かのことを想ってもそれが伝わることもない。

 雨露に飲まれ、想いが消えていく。


(靖治さん……アリサさん……ナハトさん…………早く助けて……助け…………いや、私が、みんなを殺してしまっていた……?)


 なんだか、とても嫌な光景を見せられた気がして瞳の奥が熱くなる。

 薄ぼんやりとしか思い出せなくて実感がないけれど、みんなの姿を機械の手が潰してしまう場面が思い浮かぶ、まるで教え込もうとしてくるように。


(みんな、みんないない……私一人だ……)


 曖昧な夢の世界で操られて起きた出来事はどれもハッキリと覚えていられないが、それでも漠然と過ぎて行く時間の中で繰り返し繰り返し想起させられて、そうであることにされていく。

 ジワジワと胸の奥底に釘押し込まれるように、たびたび思考に強制挿入される仲間たちを殺してしまう自分のイメージが、少しずつ心を壊していく。


(私が……命令されてみんなを殺した……私がロボットだから……? 違う、そんなことない! 私は自由な心を持っていて……でも、私が大切な仲間を…………仲間? 仲間って……?)


 櫛の歯が欠けるように、自己を構成する欠片が失われていく。

 虚無の狭間で、自分が何者なのかわからなくなっていく。

 まるで誘われるかのように。


(私には、命があると言ってくれた……そんな人がいた気がするけど……あれ? 誰でしたっけ……? そもそも、私は誰……? …………イリス? イリスって?)


 いりす、その不明確な言葉に彼女は疑問を浮かべた。

 目の前に降り注ぐ雨の一滴のように、何の意味もない言葉のように聞こえてしまう。


(イ、リ、ス…………この無意味な羅列は何? ……いや、違う。私はイリスです、イリスなんです)


 思考の途中で、はたと気付いて零れかけた言葉を掴み上げる。

 そうだイリスだ、イリスなのだと。これだけは忘れてはいけないと繰り返す。


(そうだ。イリスは私で、イリスは生きてる……イリスは心があって命がある……はず、なんです…………でも、でもどうやったら生きてると言えるの? こんな、何もできない、物みたいな私が…………?)


 わからない、何もかもがわからない。涙が零れそうなくらいに言いたい言葉なのに、どうやったら生きていられるのかわからない。

 どうやれば、生きていることになる? どうやれば自己を証明できる?


 どうやれば、命を獲得できる?


「死ねば良いのだ」


 不吉な老人の声が届いてきた。

 いつのまにか目の前に一人の老人が雨風を塞ぐように立っていて、おぞましい眼でこちらを見下ろしていたのだ。

 イリスはただ言われるがまま、押し付けられるがままに、それら心無い言葉を聞かせられる。


(死ねば…………?)


 それは重く頭の後ろ側に圧し掛かってくるような苦しさがあって、とても嫌で、冷たくて。

 だがこの孤独の中ではこれすらも光明のように感じたのだ。


(あぁ、そうか。死ぬってことは生きることの裏返しだから。死ぬことができれば、それは生きてた命だってことの証明になるから……)


 目的も、手段も、過程も、気持ちすらもすべてバラバラでまとまらず、一つの思考だけが貫くように先鋭化していく。


(死ぬことが出来たなら、私は生きていたことになる)


 イリスはただ生きてみたいと願っていた、始まりに感じた感情のパトスを本物であると信じたかった、新しい命を持った一人として大地を歩きたかった。

 最後にもたらされたこの蜘蛛の糸を、イリスは必死に掴もうとしてしまう。


「唱えるがよい。死を賛美せよ、死を信奉せよ、お前を救うための死を、この哀れな不死を救うための死を。死への賛美歌をともに響かせようではないか」


 老人の言葉を聞いているとどうしたことか、これまで動かなかった首だけの体に力がこもり始めた。

 口が動く、今なら何かを言える、意識を表せる、そのことに希望を感じて必死になる。

 唇だけが強く震える。イリスは全霊を懸けて言葉を紡ごうとした。


「わた、しを…………こ、ろ…………」


 その言葉の途中、目の前の風景に砂嵐が混じったかのように大きく乱れ、イリスは驚愕に口を止めた。

 驚いていたのは老人も同じだ、おぞましい眼をした男は輪郭のブレる雲を見上げて、厳しい顔を怪訝に歪ませる。


「これは、何だ……我が魔力が遮断される……? 拙いな、送り込んだ分身が……消え…………」


 男の姿がノイズに飲まれて遠ざかっていくのを感じた、イリスの心を蝕む毒虫が力づくて引き剥がされていく。

 だがそのことに対して、イリスが想ったのは喜びなどではなかった。


(消える……!? 待って、行かないで! 私を一人にしないで!!)


 ようやく見つけた頼るものを見つけたのに、ようやくこの不出来な自分がすがるものを見つけたのに、最後の希望が何処かへ消え去っていく。

 イリスは凄まじい孤独感と虚無感を感じて必死に手を伸ばそうとしたが、生首だけの体は動かない。

 嘆きを置いてきぼりにしてノイズは加速し、目の前の老人は忽然と消え去り、周囲の風景をもが崩壊を始めた。


 暗雲も、ゴミの山も、すべてが砂嵐に飲まれて虚空へ消えていき、何もない空間にイリスの存在は放り出された。

 残された頭部が砕け、その下から剥き出しの魂が現れる。

 輪郭のないボヤケた存在に、自他の境界がない状態で暗闇を行く。


 解放などされてはいない、むしろより最悪な方向へ。

 さきほどの老人などよりも、もっともっと強い何かに引っ張られ、イリスは虚空の闇を堕ちていく。

 何故だかとても寂しかった。


(私はどこへ行くの……? どこへも行けないの……?)


 下を見るとはるか先に光があったが、イリスの存在は逆方向へと引っ張られる。

 あの光に辿り着けはしないという確信があった、元の場所には戻れないとそう思った。


 イリスは自分が落ちていく方向を見て、胸の底で自分の魂が叫ぶのを感じた。


 ポッカリと空いた大穴があった。触れてはならぬ深淵があった。命を光を飲み込むものがあった。

 それを眼にしたイリスは、親に会えた迷子のように顔を綻ばせた。


(あぁ……そうか……これが……これが…………)


 熱いようで冷たい。鉄みたいに硬いようでいて、日に干した毛布のように柔らかい。




 これが『死』なんだと、堕ちていくイリスは漠然と理解した。




 ――――――――――――――――


 ――――――――


 ――――




「イリス! イリス! しっかりしてくれ、イリス!!」


 現実の世界で、靖治が眼孔の痛みに耐えながら、必死に名前を呼んで彼女の体を揺さぶっていた。

 月読の手助けを受け、イリスを基点に結界を張って災厄術式との接続を切ったはずだ、それなのにイリスは起き上がろうとしない。


 暗闇の中、イリスの体を手でまさぐって胸の辺りを押さえる。体の奥にある人の心臓を模した鼓動がトクントクンと響いてきて、しかしそれが急劇に弱まっていっている。

 鼓動の強さも速度も、そして奥から感じる仄かな熱も、すべてが零に向かっていくのを感じ取って嫌な予感ばかりを覚える。


「イリス!!! 月読ちゃん、どうなってるんだ!?」



――わ、わからないの。おじいさんとの繋がりは切れたはずなのに……!――



 魂だけの月読が、泣き出しそうな声で答えた。

 どうにもならない焦燥感の中、靖治はイリスを起こそうとするが、どうすればいいのかわからない。

 すると背後から、忌まわしい老人の声が響いてきた。


「あぁ、もったいないことをする男だ。赤子のへその緒を切るような真似をしてくれるとはな」


 それをなんとか耳に捉えた靖治が顔を振り向かせる。姿が見えようはずもないが、車椅子がギシギシとなって近寄ってくるのがわかった。

 ラウルがすぐそばまで来ている、ハヤテはやられたのだろうか。

 切迫した状況だが、そのラウルが落ち着き払った声でいるのが、何よりも靖治の胸をざわつかせる。


「確かに、以前であれば災厄術式との繋がりを断ち切れば、それで目覚めることはできただろう。だが、今のヴォイジャー・フォー・デッドは死の霧として完成しているのだ。万葉靖治、お前から解析した死の因子によってな」

「何を、言ってるんだ……」


 言葉の意味が上手く受け止められない。痛みと疲労で頭が朦朧としているのもあるが、それだけじゃない。

 受け入れたくないと叫ぶ心が、ラウルの話を読み解くのを拒絶している。

 だが、今までずっと辛い現実を受け入れ続けた靖治は、段々と心を落ち着かせて耳を傾けてしまう。


「霧に触れただけで、強力な死の概念が魂に染み入る。例え繋がりが消えそうと、死の呼び声は残響し続けて消えることはない。我が災厄術式と接続させるのは延命処置によって生かすためであるのに、それをお前が切ってしまった」


 元々、ラウルが数多くの命を取り込み続けるのは、彼らに死を求める声を集めるためだ。そのために、取り込んだ人々を『死にたい』と思う極限にまで追い詰めながらも、決して命の手綱を離さずに引き留め続ける。

 だがその命綱が切れてしまったらどうなるのか。


「万葉靖治よ、お前がその機械の子を死へと誘ったのだ」


 告げられた言葉を胸に受け止め、靖治は動かないイリスの隣で愕然と顔を俯けた。


「僕がイリスを……殺した……?」

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