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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
八章【SHINING SURVIVORS -死の霧を超えろ- 】
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220話『虹の道はどこまでも』

 ハヤテが戦いを続ける一方、部屋の隅に腹這いになっていた靖治は転がってきたイリスにのしかかられて、血で汚れた顔を苦しそうに歪めさせた。


「ぐっ……クソー、アイツわざとやったな……」


 眠ったままのイリスを届けてくれたのはありがたいが、直接ぶつけることはないだろうに。

 靖治は覆いかぶさったイリスの体を手で探ると、肩に垂れてきていたイリスの頭を横から押さえ、自分の上から退かすべく思いっきり手で押した。


「ふん、ぬっ……!」


 重たいイリスを力いっぱい押し退けると、重たい金属のボディが落ちてゴトリと床を震わせるのが伝わってきたが、音は耳鳴りに邪魔されてかすかにしか聞こえなかった、思ったより意識が混濁しているらしい。

 イリスに対して乱暴な扱いに内心謝りながら、靖治は立ち上がろうとした。


 片膝を突いた姿勢から腰を持ち上げる、だが膝が伸び切る前にふらついて急いで踏ん張った。

 幸いにも転びはしなかったが、朦朧とする意識、失った視界、受けたダメージは甚大で、頭はクラクラして吐きそうだ。


「くっ……はっ……!!」


 両膝を手で押さえ込んで背を丸めたまま、靖治は倒れないようにバランスを取るだけですさまじい労力を要した。息が荒くなり、閉じない口の端から粘っこい唾液が床に滴り落ちるが、そんなことを気にする余裕など残されていない。

 油断すれば次の瞬間には気を失ってしまいそうな靖治のことを、魂だけの存在である月読が光球のような体をチカチカと光らせて心配そうに問いかけてきた。


――大丈夫、お兄ちゃん?――


「あぁ……それよりどうすればいい。僕に何が出来る?」


 今は自分の苦しさよりもイリスをどう助けるかだ、そのための指示を月読から仰がねばならない。

 幸いにも月読の声は心に響くかのようで、人と話すよりずっと鮮明に聞くことが出来た。単純な音を介した会話であれば、眼孔の奥に燃ゆるズキズキとした激痛に飲まれて聞き取るのも難儀したことだろう。

 月読は鋭敏な動きで靖治の周りを浮遊して、彼の耳元へと体を近づけて光の声で囁きかける。


――さっきも言ったけど、私は不死身のおじいちゃんに隠れながら力を蓄えた。取り込まれた人たちの力をちょっと拝借して、この蜘蛛のおばけの奥深くに……そこに近い場所に連れて行かなきゃいけない――


 今は亡き少女が一拍置いて、結論を述べる。


――ロボちゃんの体を運んで欲しいの。お兄ちゃんが今いる場所から後ろ側にある一番奥まで――


「っ。運ぶのか、イリスを……」


 一瞬言葉をつまらせた靖治は、緊張を含んだ声で自らを疑うかのように言った。


 体のほとんどを金属パーツで埋め尽くしているイリスは、同じ体格の人間と比べてずっと重い。

 自己改造により初期の頃から軽量化しつつある彼女だが、それでも重量は80kgは下らない。

 それを視力を失った状態で、自分の力だけで運ばねばならない。他の冒険者なら簡単かもしれないが、今の靖治にしてみればそれだけでも困難な問題だ。

 先の見えない暗闇の中、イリスを連れて道を切り拓く勇気を靖治は問われていた。


――方向は、私がナビゲーションするよ。お兄ちゃん、できる?――


 少し不安が混じった声で、月読の魂の声が響いた。彼女からしても靖治がこれをこなせるのか心配なのだろう、そもそも眼球をむしり取られた直後にまだ頑張ろうと奮い立つことなど普通ならできはしないのだ。

 そして一番難しさを感じているのが靖治自身だ。今まで靖治も無茶をやってきたことはあったが、それは頼れる仲間がそばにいてくれたから、何かあってもみんなが助けてくれると信じていたから困難にも飛び込んでいけた。

 今は天羽月読がいてくれるが、彼女は魂だけの存在で物理的な干渉はできない。孤独感は薄れるが、一人で困難に立ち向かうことに変わりない。


 顔の奥が痛む、頭がフラフラする、何もかもが億劫に感じられて休みたい気持ちでいっぱいだ。

 だが靖治は、それらを超える強い意志を持って言葉をひねり出す。


「……やってやる、僕だって鍛えてるんだ」


 だから大丈夫だと、自らを元気づけるかのように口にした。


 行動に移ろうとする靖治だが、イリスを担ぐのはまず無理だろう。筋力的に難しいし、暗闇の中でバランスを崩せばすぐに転んでしまう。

 ならばと靖治は手探りでイリスを仰向けに寝転がせると、両脇の下から手を差し込み、中腰の姿勢でイリスの胸周りだけを持ち上げた。このまま引きずっていくなら多少は楽かもしれない。

 だがグッタリと手脚を垂らしたイリスを少し持ち上げただけでも重さが足と腰に圧しかかってきて、靖治は呻きを漏らしそうになるのをグッと飲み込む。


「よ、し……! このまま……!」


 負けないように言葉を紡いで、靖治は転ばないように注意を払いながら、床を踏みしめてイリスを引っ張った。

 イリスの重たい体が床をこすってわずかに動くのが、暗闇の中でも奇跡的に感じ取れた。

 手応えを感じた靖治は強張った顔に僅かな笑みを混じらせる、一歩でも動かせたなら後はコレを繰り返せばいいのだから。

 大丈夫だ、やれる、そうなんども胸の内で唱える。


「月読ちゃん、方向は……!?」


――お兄ちゃんから見てもう少し左。迂回しないと、オオカミさんの戦いに巻き込まれちゃう――


 目的地である虚の一番奥を北側とすれば、靖治とイリスがいるのは南東の隅っこ辺りだ。中央部で戦いを続けるハヤテとラウルを避けるためには、外周部に沿って遠回りするしかない。

 目が見えない靖治は自分の立ち位置についてすら掴めていない。自分がどこにいるかわからない不安の中で、靖治は月読のナビゲートにすべて任せてイリスを引っ張ることだけを意識する。


「フン……!!」


 靖治は足腰に力を込めてイリスを引きずった。目的地まで一秒でも早く、けれどミスを犯さないよう、綱渡りのように慎重に踏ん張る。

 歩き始めはスムーズに行けた。速度を落とさないようにペースを整えて一歩一歩を着実に背後へと進んでいく。


 戦っているラウルからもこちらの状況は目に映っているだろう。靖治は邪魔される可能性を考えたが、彼奴の性格からそれは少ないと感じた。

 道中でナハトも言っていたが、ラウルは他人を見下している。不死身の肉体を笠に着て相手を嘲笑い、過小評価する、眼球をも奪われた無能力者の靖治ならなおさらだろう。

 ハヤテがラウルの気を引いている限りは、必死になってこちらに向かってくることはないように思えた。


――うん、いい角度。そのままもう少し……そこで少し右に向きをずらして。少しだけだよ――


「はぁ……はぁ……」


 息が切れてくる。月読の指示にうなずく余裕もないまま従う。

 やはり人を運ぶのは大変だ、だがそれ以上に何かが靖治の呼吸を乱している。


 やけに心が落ち着かない、焦った体がペースを狂わそうとするを必死に押さえる。

 胸中に沸き立とうとする不安や恐怖、焦りや悲しみ、怒り、生き残るためにそれら無駄と断じて排し、心を静かにして呼吸を整える、これまで靖治がずっとやってきたことだ。


 だが今回はどうにも心が静まってくれなかった。

 ずっと気が落ち着かない、焦燥と不安の中であがき続ける感覚。小さな頃以来で懐かしいなと思う反面、これに煩っているだけでもどかしい。

 状況が悪いから焦るのは当然ではある、けれどもどうしてここまで気持ちがかき乱されるのかと靖治は少しばかり不思議がった。


――右……右へ……そのまま真っ直ぐ。角度を変えすぎたから、しばらく真っ直ぐ……――


 月読の声に心を傾け、ぼんやりとした思考を引き戻す。

 関係ないことを考えたせいで少し急ぎすぎた、靖治は静かにペースを戻す。

 転ばないように気を付けながら、イリスの体を引きずってズリズリと、ズリズリと。


 肌に汗が浮き出てくる、神経を使うぶん体力の消耗が激しくなっている。

 ふと額から汗が垂れたかと思うと、そのまま瞼の下に潜り込んでえぐり取られた傷口に激痛が走った。


「ぐぎっ! く…………!」


 まるで染みた汗が針になって脳の内側を突き刺してきたかのようで、靖治は眉を曲げ、それでも必死にイリスの体を落とさぬように抱えた。

 歯を食いしばって足腰に力を入れる、中腰の体勢で動いているのでかなり負担が掛かっている。

 だが肉体的な消耗は普通の人よりはマシなはずだ、何故ならイリスのナノマシンがあるからだ。微細な分子機械が体内で働き、常に疲労を減らしてくれる。


 イリスが想いを込めて作ったナノマシンは、これまでずっと靖治を助けてくれ続けていた。

 だから、恩返ししなくては。


「イリス……イリス…………!」


 突き動かす体の奥から声が溢れた。息をするのも辛くて余裕がないはずなのに、呼ばずにはいられなかった。

 1000年も眠っていた自分のことを、氷漬けの揺りかごから助け出してくれたイリス。

 いつも未来を夢見ているイリス。

 眩しい笑顔のイリス。


 靖治は期待せずにいられない、イリスは自らの明るい態度はメンタルケアの一環だと言うが、それ以上にそれが彼女の魂の性質であるのかもしれないと。

 純粋で、悪意に負けず、いつも前向きでいられる心を持っているのだと。

 どこまでも自分の意志で道を拓いて生きられることを。

 幸せになれることを。


 イリスが靖治にとって特異な理由が一つある。それは『靖治の存在なくしてはイリスの誕生はありえなかった』ということだ。

 凍った靖治の安らかな寝顔を見た時に、イリスはプログラムにある0と1の狭間から、自分の意志で歩むだけの自我を得た、彼女は生まれた。

 だが靖治は、これまでの人生において何も生み出してこれなかった男なのだ。少なくとも彼自身はそう思っている。


 建設的なことは何も出来なかった。ただ静かに笑って苦しさをやり過ごすだけで精一杯だった。

 明日の景色を夢見た端からそれを諦めて、無情な今を生きることに徹した。

 そんな無色の人生の傍らにイリスが生まれいでてきて、笑いかけてくれたのだ。


 時に彼女の苦言を無視して無茶をして、時に彼女を困らせていたけれど、そこまで靖治が自分が望んだままに動けたのもまたイリスという光があったからだ。

 彼女の存在そのものが、靖治の胸を叩き、血潮を熱して、動かしてくれていたのだ。


「イリ……ス…………!!」


 イリスに出会えただけで、靖治は嬉しかった。


 だからイリスには、幸せになって欲しいのだ。




――着いた! そこの壁にぶつかるくらいまで近づいて!――


 月読の声が靖治の意識を現実に集中させた。そのもう数秒後に、靖治の腰が壁にぶつかった。

 靖治は息を切らせながらゆっくりとイリスの体を床に寝かすと、自分は壁に寄りかかって息を整える。

 そのままへたり込んでしまいそうなのをこらえながら、月読に急いで尋ねる。


「ハァハァ、それで、次は……!?」


――そこにお兄ちゃんが刺された管があるでしょ?――


 それを言われて、さっきラウルが死の因子の解析のために、靖治の脊髄に刺した触手があったことを思い出す。

 手で壁を探ると、その時の触手が出しっぱなしで垂れているのを掴むことが出来た。先端の棘もそのままのようだ。


「あったよ、これをどうすれば……」


――そこから私が溜め込んだ力を出して、お兄ちゃんの体に注入することができる。注射みたいに……でもそのためには刺さないと……――


 月読が言葉の残酷さに言い淀むが、靖治は薄く笑うと間髪入れずに自分の左腕に触手の棘を突き刺した。

 硬質な棘が皮膚を貫通して肉の中に潜り込む。傷口から血が溢れ落ち、靖治は痛みに膝を突いてしまうが顔だけは上を向けた。


「っつぅー……それで、次は!?」


――お、お兄ちゃんの体を通して、そこからロボちゃんに力を渡すわ。そうしたらロボちゃんを基点に私が力を循環させて、結界みたいにできるはずなの。そのために、他の人の知識を覗いた感じ……えーと、魂的に繋がりやすい部分があるみたいで……言葉を発するところからが良さそうっていうか……――


「それって」


――多分だけど、その……チューが一番早いと思うの!――


 幼さを表して声を甲高くする月読に、靖治は苦笑いしてイリスの顔を手で探った。

 頬を撫で、ふっくらとした唇を指先でなぞり、可愛いイリスの口の位置を確認する。


 靖治は、本当はこんなことはしたくない。イリスにはいずれ自分を置いてさらに先へ進んで、彼女だけの人生を歩んでいける可能性がある。可愛がることはあっても、イリスの持ち物を奪うような真似はできるだけしたくない。

 ファーストキスが機械に意味があるものになるかはわからなかったが、可能性があるなら大事にしてあげたかった。


 輝かしい彼女の未来に自分が不要になるかもしれないなら、靖治はその時まで静かに待とうと思っていた。

 それでも、イリスのために必要なことであればどんな罪深いことでもやってやるし、いつかイリスの恨まれる時が来ても良い。


 靖治は眠り続けるイリスの上から言葉を落とす。


「怖い夢を見ているかい、イリス? 死にたいと思う気持ちなんて、本当は知らなくて良いものだ、それを知ってしまうこと自体が悲しいことだ」


 今頃イリスは一万年の憎悪に苦しめられ、死にたいと思うほどにまで心を削られていることだろう。

 そんな彼女の気持ちを考えると胸が痛い。


「でも君は、それを知ってでも前に行けるだけの力があるはずだ。僕は短い間だけど、それを何度も見てきたよ」


 1000年後の世界に目覚めて一ヶ月あまり、短い日々でも驚くほど多くの出来事があった。

 この中で、イリスは新しい出来事と直面するたびに大きな躍動を見せて心を響かせた、幾度となく素晴らしい輝きを見せてくれた。

 その輝きの行き先を靖治は誰よりも信じている、イリスならどこまでだって進み続けるのだと。


「僕のことなんてどうでもいい、けど、君はまだたくさんの世界を見に行けるはずだ、だから……!」


 靖治は唇を落とし、彼の体を通して煌めく力がイリスへと注がれた。

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