219話『大食らいのバケモノ』
尻尾を艷やかな金毛へと変じさせたハヤテは、強化された肉体により遊びに長けた子供のような巧みなステップを床に踏んで、ラウルが次々と繰り出してくる攻撃を避け続ける。
時には触腕の薙ぎ払い、時には肉の棘を撃ち出しての射撃が襲いかかる中、戦闘区域内に倒れたままになっていたイリスの姿を優れた嗅覚にて捉えてさりげなく近づくと、見向きもしないまま尾で払って靖治がいる方へとふっ飛ばした。
全身金属の重いボディが簡単に宙を舞ってから慣性とともに床に落下し、そのまま這いつくばってるメガネくんまで転がってゴールしたらしく「うげ!」という少年の声が聞こえてきた。
『今のわざとやったな、悪ガキなのは変わらんの』
「いいんだよ、助けてやってんだから」
後ろから聞こえてくる母親の声を受け流して、ハヤテは前に座すラウルに向かっておどけたジェスチャーをしながら愉快そうな口調で話しかけた。
「聞いたぜえジイサン。それもこれも、全部自分で死ぬためだけにおっ始めたんだって!?」
調子づいた声を響かせながら前へ走り出したハヤテは、跳躍とともに空中でグルリと前転して金色の尾を振りかぶる。それを見たラウルは何本もの触腕を寄せ集めて堅牢な形へと変化させた。
霊力を噴出して加速した黄金の鉄槌が肉の障壁に激突し、拡散する衝撃波が拡散した直後、触腕にヒビが走り、しかしすぐに再生する。
衝撃を受け止めたラウルは肉の盾を開くと、自らの手に魔力を帯びさせてから振るい、呪いの波動による直接攻撃を仕掛けた。
空間を侵食する黒い魔力波を毛先に感じ、ハヤテは身を捻って避けて背後に下がる。
距離を取ったハヤテの小憎たらしい顔を見て、ラウルが鼻息を鳴らした。
「フン、小僧。貴様もこれまで我が前に立ち塞がった者共と同じか? そんなことは許せないと、このワシを憎むか?」
「まさかだぜ。憎むだけだなんて、そんなもったいない。なあジイサンよお! オレぁあんたのこと、チコッとくらい尊敬してんだぜ! よーやったよあんたは!!」
ハヤテは指を振りながら「チッチッ」と軽快な舌打ちを鳴らす。ラウルのことを両手で指差して、パーティで踊る若者のような気安さで称賛の声を浴びせた。
「たかだが自分が死ぬためだけに死の奇跡を降ろそうなんて馬鹿げた発想!! 良いねぇ無茶苦茶で、それくらい馬鹿やってくれたほうが見てる方はおもしれえ!!」
『ちっとも面白くないわド阿呆!』
聞いていた彩衣の怒鳴り声が脳裏に木霊するがこれは無視。ハヤテは何事も気にせず、感じるままを語り続ける。
「50万人分の魂を喰うまでに大変だったんだろうなぁ。 さぞや色んなやつの目の敵にされたろう? 楽勝だった戦いもあっただろうさ、負けそうでギリギリで逃げて後から逆襲したりもしたか? いくら不死身つっても連戦連勝とはいくめえ、時には泥水すすって涙ぐましい努力あってここまで来たんだろう? いやはや、想像を巡らせちゃうね」
勝手に勘ぐってくりにラウルが眉をひそめて嫌悪感を漂わせると、車椅子を後方へと大きく跳ねさせて、肉樹の虚の内壁へと取り付いた。
壁から生えた犠牲者の苦悶顔を片輪で踏みながら車椅子と肉樹とを触手で接続させたラウルは、椅子から生やした八本の触腕の先端を人の口のような形に変化させてハヤテへと向けた。
歯茎をむき出しにした歯が粘液を引きながら獰猛に開かれる。ラウルは肉樹からドロドロに溶けた肉を吸い上げると、幾本もの肉の槍を触腕内部に生成し、機関銃のように吐き出させた。
「よっこいしょお!!」
降りかかる肉の雨を前にしてハヤテは後退するどころか自ら飛び上がって突っ込むと、避けられるものは紙一重で避け、無理なものは手の甲で弾いていなす。
外れた肉槍が床に突き立って歪な前衛芸術を作り上げてから、ハヤテはその一本の上につま先立ちで着地し、手の甲から血を滲ませながらも挑発めいた声を続けた。
「そこまで努力したのは、死にたいけど何も成せずに死んでいくのは嫌だから!? 自分が死ぬために世界ごと巻き込んで全部滅ぼしてしまおう!? この世を丸ごと自分の墓標にしたいだなんて、わがまま放題でいいねぇ!!」
どこまでも笑うハヤテは両腕を大きく開き、生臭い肉の臭いを全身で感じ取って声高らかに叫んでみせる。
「世の中色んなやつがいていい! お前みてえなやつがただの善人が埋められない隙間を満たして、新しい世界を創り出す!! 世界滅亡か! どうせいつかみんなおっ死ぬなら、お前が終わらせみるってのもおもしれえ!!」
何の臆面もなく言い切ってみせるハヤテに、死の奇跡を欲するラウルですらもこんな馬鹿がいることに信じられないとばかりに目を剥いていた。
そして破滅すら厭わない享楽人は、悪意を忍ばせた笑みを表して舌なめずり。
「そんでもって世界を飲み込むほどの憎しみを、更に飲み込んで喰らってやるのが、最高に愉しいんだなこれが」
これでも紅葉疾風には、子を愛する母親と多くの兄弟たちにより育まれた常識に近い倫理観を知っており、その上でここに立っている。
だが戦いの理由は悪行に対する義憤などではない。後々京都の家族にも危険が及ぶことを考えればここで倒したい気持ちもあったが、それが主ではなかった。
腹の底に渦巻くのは底なしの貪食さ。世界を滅ぼしかねない憎悪すらも飲み込んでみたい、やってやったぜと大笑いしたい、勝利の美酒をガッポリ飲んで助けた人々からの称賛に甘んじて、美味しいものの何もかもを味わいたい、あらゆるものを飲み込もうとする欲望の大穴。
それらラウルは見て取ると、苛立ちとともに吐き捨てた。
「下衆が、お前のようなやつは我が奇跡に立ち会う資格はない。その醜悪な舌ごとくびり殺してやる」
ラウルも今ばかりは憎悪でなく憤怒を持って顔をしかめると、触腕を撚り合わせて巨大な二つの拳を作り上げ、落下とともにハヤテへと殴りかかってきた。
振り下ろされる拳をハヤテがひょいとかわすと、間髪入れずにラウルは肉槍を触腕の拳に掴ませて力づくで振り回す。
床に突き刺さっていた肉槍の多くがへし折られ吹き飛ばされ、気に入らないものをねじ伏せる暴力の嵐を前にして、ハヤテは戦闘の余波が靖治たちに向かわないよう気を遣いつつも、おかしげに喉を震わせて身を躍らせた。
「クケケケケ! 醜悪ってんならテメェにゃ負けるぜジイサン!!」
『イヤホント、なんでこんなんに育っちゃったかなー……』
心配させてごめんなさいね。
腹痛かったので病院行ってきたりしました、整腸剤もらったよ!




