208話『デストルドーシンドローム』
災厄術式内部を走るイリスは、アリサを抱えながら襲いかかってくる子蜘蛛とゾンビ兵の群れのあいだを必死に飛び回っていた。
「クソ、コイツら鬱陶しい!! イリス! 相手はアグニに任せて走りなさいよ!」
「ハイ、わかってます!!」
イリスもアリサもまともに戦いはしない、飛びかかってくる敵だけを選んでアグニで殴り飛ばし、こじ開けた隙間を機動力のあるイリスが駆け抜ける。
先程から明らかに敵の動きが変わってきている。イリスたちの進行を止める意図を持って立ち塞がってきていた、間違いなくラウルが手勢を操作して邪魔してきているのだ。
早く中枢に連れ去られた靖治を助け出さなければならない。果たしてラウルが何をする気かわからないが、彼の目的に靖治を巻き込ませるものか。イリスとアリサは共にそう考えながら、最深部へと目指していた。
「ハヤテさん! 靖治さんの様子はどうですか!?」
『あー、なんかゴソゴソしてやがる。ヤバそうな雰囲気だぜ』
ナビゲート役を引き受けてくれたハヤテが、中枢から念話を飛ばしてくる。
肉樹の中に潜んでいるハヤテだが、ラウルはその存在を今は無視し、別の何かを優先しているようだった。
一度ハヤテは肉樹の虚内部に、探査の意識を集中させる。
災厄術式の肉の中から車椅子を取り出して再び腰を下ろしたラウルは、靖治を肉樹の内壁に引きずってきて、肉樹から伸びた触手を手に持って狙いを定めていた。
「ヴォイジャー・フォー・デッドとの接続のため、脊髄に針を打ち込む。少し痛いが耐えろよ」
「気軽に言って…………ぐぅぅぅあああああ……!!!」
目を剥いた靖治の悲鳴をハヤテは鼻くそほじり気分で聞き流しながらも、それなりに警戒度を高めてイリスたちのいるところへ意識を移した。
『あのジジイのやることにちょっと興味が湧いてきたが、これ以上野放しはマズいな。とっととやっつけた方が良さそうだ。あっ、そこ右な』
「了解です!」
敵が群れていた三叉の通路を、イリスは指示通りに駆け抜けた。
もうそこから先は敵がいなかった、多少の傾斜やカーブはあったが何の障害のない一本道の通路を、イリスはアリサを抱えて突っ切る
『もうすぐこの術式の中枢だ。前もって言っとくが、ビックリすんなよ――――』
警告を聞きながら、イリスは最後にあった鉄扉を蹴破って飛び込み、床を靴底でひっかきながら着地した。
中枢であるだけあって直径50メートルはありそうな広い空間だ、敷き詰められた石畳の奥に襟元から触手に繋がれて膝をつく靖治と、車椅子に背負って黒い外套を着込んだラウルの姿があった。
靖治を見つけられたのは僥倖だ、だがその他にあった異様なモノがイリスから喜びを奪い、愕然と立ちすくませた。
「ここは……!?」
円筒状に形つくられた肉樹、災厄術式の中枢、貪られた犠牲者たちが生きたまま集められた場所。空へと伸びた虚の内側には、無数の人々や動物からモンスターまで、あらゆる知性を持つ生命体が顔を浮かび上がらせていた。
――――あぁぁぁぁ、殺して、殺してよぉぉぉ ――――駄目、やめて。酷いことしないで、死なせて――
――殺し……殺してくれ……こんな、酷すぎる―――― ――イタイイタイイタイイタイ殺してぇぇぇぇ――――
そこら中から響いてくる悲観、悲鳴、そして救済としての死を求める懇願の声。すべてが悲痛な表情で絶望を浮かべ、耐えなき苦しみに心を串刺しにされていた。
それを見て虹の瞳を震わせるイリスから降りたアリサも、肉樹を内側から見上げて信じがたいおぞましさに声を震わせる。
「な、何よこれ……こいつら、まさか生きてるの……!?」
事前の情報で生きたまま吸収されることは知っていたが、この末路を見せつけられて、怒りよりも先に恐ろしいとまで感じてしまう。
普通の人間なら例え能力を与えられたってここまでのことはやれない、その倫理と良識を破壊して邁進しようとするラウルの憎悪の深さには、このワンダフルワールドで様々と者と戦ってきたイリスとアリサでも、今までにない吐き気を覚えざるを得なかった。
「そう、我がヴォイジャー・フォー・デッドの中枢へようこそ。これこそが死の奇跡の呼び水となるもの、取り込んだ50万の命による死の賛美歌だ」
奥に居座るラウルが、車椅子を転がして振り返る。歪みきった心で明日を睨む老人は、この光景の中でさも愉しそうに笑みを浮かべる。
「クハハハハハハ、素晴らしいコーラスだろう? この歌を高め続け、いずれは世界全土に響くような最高のオーケストラを創り上げようではないか」
ラウルは誇らしげであり、そしてまだまだ貪欲の気配を見せていた。本気でこの男は、すべての生命を己の災厄の道連れにしようと目論んでいる。
非道を往く老い過ぎた不死者を前にして、イリスはわなわなと拳を震わせる。
「なんで……なんでこんな……ここの人達だって、みんな毎日生きていたのに……!!」
うつむけた顔で怒りを噛み締め、憤りを胸に湧かせる機械少女の姿を、奥にいる靖治が背中に激痛を感じながら見ていた。
「イリ、ス……無茶はするな、逃げ…………」
心配を口にする靖治だったが、それを聞いてもイリスの火が鎮まることはなく、むしろ燃え上がってくるのは激しい闘志だけだ。
顔を上げて眼を鋭く引き絞ったイリスは、握った拳を振り上げて走り出した。
「どうして、あなたはこんなことができるんですか!? ラウル・クルーガーさ――」
だが、その歩みの途中で膝がカクンと折れ、イリスの体は力なく床の上に突っ伏してしまった。
突然視界いっぱいに広がった石畳を前にして、混乱したイリスは目をしばたかせる。
「あ、あれ……!?」
「イリス!?」
倒れてしまってイリスに、アリサが慌てて駆け寄ろうとしたものの、彼女までもが立つ力を失ってへたり込んでしまい、朦朧としだす頭を押さえる。
「な、何よこれ。頭が、霞む……?」
魔人アグニを作り出そうとしても、心に力が入らない感覚があった。
謎の現象の中、イリスは腕を支えに立ち上がろうと身を起こしたところで、足元に無色の霧のようなものが漂っていることに気付いた。臭気もなく、そして湿り気もない、しかし空間に滲むかのように浮かんでいる。
(何だろう、霧のようなものが見える…………これは未知の術? 能力? 撤退すべき!? いやでも……そこに靖治さんがいる以上、退くのはありえない!!)
決意を秘め、覚悟を決めたイリスが吠えながら腕に、足に、自分のすべてに力を込める。
「こ、のぉぉぉぉぉぉぉ!!! こんなところでぇぇええ!!!」
アリサだけでなく機械のイリスにも通じることからして、これは魂に通用する呪いの一種と見た。ならば想いを臨界まで高め、呪詛への抵抗力を上げれば立ち向かえるはずだ。
歯を食いしばって体を押し上げ、右腕からはバカリと音を立ててシリンダーを展開させ、紅い稲光を込めて行く。
「私の胸よ、命を叫べ! 靖治さんを絶対に、取り返せぇぇえええ!!」
胸の奥からコアの鼓動を響かせ、イリスは気合と共に震える腕で体を起き上がらせると、片膝を突いた体勢から脚のスラスターの全開噴射でスピードを爆発させた。
爆音のような音をかき鳴らして体ごと砲弾に変えて飛び出し、紅い電光をまとって振りかぶった右腕を、情動のままにラウル目掛けて打ち下ろす。
「うわぁあああああああ!!!」
渾身の力での強襲が、座ったままこちらを見つめていたラウルの顔面へと突き刺さろうとした。だが拳が触れた瞬間、どうしたことかラウルの姿は霞のように消え去ってしまい、何の感触もなくイリスの体は標的をすり抜けてしまった。
目を丸くしたイリスは、瞳の虹色を同様に揺らしながら着地して、慌てて視線を振り回した。
「えっ……!? これは、靖治さん!? どこへ!?」
気が付けばイリスは霧の漂う空間に立っていて、ラウルばかりか靖治もアリサも、自分以外の誰の姿もいなかった。
代わりに機体の調子は何の問題もないほどに戻っていた。調子を確かめながら立ち上がったイリスは、先の見えない霧の中で一人孤独に周囲を見渡していた。
「ここは……ここは一体どこなんですか!? どうして誰も――――」
「――誰、も…………どうして…………」
ラウルを前にしながら、床に倒れ伏したイリスがぼそぼそと言葉をこぼす。
彼女の体は、最初から飛び出してなどいなかった。立ち上がったところから意識を失ったイリスは、一歩も動かないまま倒れ込み夢幻の狭間を漂っている。
その後ろにはアリサもまた、だらりと体を投げ出して床の上に倒れ込み、苦しそうな寝顔を浮かべていた。
薄い霧が漂う中で眠りこけた二人を見ながら、靖治が脊髄から触手を引き抜かれて開放された。
「ぐっ……イリス……アリサも……!?」
「グクク、お前のお陰で我がヴォイジャー・フォー・デッドは完成に至ったぞ」
満足そうに喉を鳴らしたラウルが、皺だらけの手で靖治の頭を褒め称えるように叩く。
今の靖治の周囲には、今までにない異様な空気が漂っていた。肌にへばり付く霧から感じ取れる感触は、異質でありながらも靖治にとっては馴染み深い『あるモノ』を想起させてくる。
「靖治少年と接続したヴォイジャー・フォー・デッドは、彼の持つ死の因子を完璧に解析した。これが我の望んだ死の霧の真髄だ――」
同様に、離れた区画で戦いを続けていたナハトとハングドマンの体にも不調が起こっていた。
取りこぼした亡失剣ネームロスが土を模した地面に突き刺さり、ナハトは自由を奪われる屈辱にうめきを漏らしながら、片翼を垂らして地に這いつくばる。
ナハトたちの周囲にも、中枢と同じく薄い霧が漂っていた。
「ぐぅ……っ! 力が入らな……この感触は……」
「ほう、なるほどな。ラウル、これがキミの目指していたものか」
ナハトが起き上がろうと抵抗するのを眺めながら、ハングドマンも力を失い、木をもたれ掛かってズリズリと腰を下ろす。
だが自らも術中に陥りながらも、ハングドマンは晴れ晴れとした顔をして友の達成を喜んで笑っていた。
「フフ、やったな…………おめで、とう……」
静かに祝いながらハングドマンが瞳を閉じていく。
ナハトもまたうつ伏せで地面に倒れ込み、普段の睡眠とは違って魔力で形作った鎧と衣服まで分解されてしまう。
「マズい……今までの呪いとは次元が…………一体、どういう…………」
霞がかる頭で必死に策を探りながらも、ショーツと左腕に巻いた呪符だけの姿となった半天使は、背中の十字を晒しながら意識を剥ぎ取られた。
これらの動向は、いまだ肉樹の中に潜んでいたハヤテにも伝わっていた。術式を一部乗っ取ったのも最初だけで、もう殆どの権限をラウルに取り返されていたが、残された能力をフル活用し状況の把握に努めようとしたが、入ってくるのが絶望的な情報ばかりだ。
『オイオイオイオイ、やべぇぜ。ウポレのやつも寝ちまった! こりゃあ、外でもか!?』
術式内部に居残っていたウポレもいつの間にか寝てしまい、隣のケヴィンも起き上がる様子がない。他に術式内部に突入した生き残りでは道化師兄弟の片割れがいたが、この者も気を失っていた。
それだけではなく、蜘蛛型魔獣の眼から入る外部の光景でも異常が発生していた。
「――キュォォォォォォォォォォン…………!!!」
住処を追われ怒り猛っていた双頭竜アンフィスバエナが、か細い悲鳴を上げながら空中から堕ちて大地に細長い巨体を投げ出す。
竜の体が大地を響かせる傍らでは、巨大化して奮戦していたガネーシャ神が体を横たわらせようとしていた。
「ぐっ……ぬふん……こ、これは…………」
本体が倒れてしまえば、影響は百果樹の結界内に存在する分体にも影響する。
ガネーシャ神の分体の一つは百果樹のロビーで音頭を取って方々に支持を出していたが、突如倒れかの神に周囲で走り回っていた商人たちは慌てふためき、そばに控えていた付き人のド・レイが猫耳を剃り立たせて悲鳴を上げた。
「ご主人!? どうしたのご主人!! しっかりして! ねえガネーシャ様ってば!!」
「ド・レイ……」
ガネーシャ神は意識が薄れいく中、声を絞り出してド・レイの泣き出しそうな顔を見上げる。
「ま、街の、結界術士を集めて、護りを固め……ワシはもう駄目……」
「ご主人!!」
「もはや時間稼ぎくらいしか…………」
百果樹の内部が無事であるのは、ガネーシャ神による三重の結界のお陰だ。これを突破されればどうなるか、最悪の予想がついていた。
だがここで多少の時間を生き長らえてどうなるというのか、やがては結界も崩壊して街は悪意に飲み込まれる。
「ここまでか……」
「ご主人ー!!!」
諦観と無念に包まれながら、ガネーシャ神もまた意識の底に沈んでいった。
すべてが頭を垂れて這いつくばる世界の中、中心に座すラウルは念願のおもちゃを得た子供の如く心を最高に沸き立たせ、凶悪な笑みで頬を引きつらせる。
「遂に我が『|絶対なる死地への流離人』は頂点に達した!! もはや戦いなどというまどろっこしい手段を取る必要すらない!! 近づけばそれだけで、死の因子がデストルドーを活発化させて我が憎悪の檻に精神を封じ込める!! 人も、機械も、魔獣も、命の有無すら関係なく、死は万物に訪れる終末であるのだからな!!」
漏れ出す霧は『死の因子』を模したヴォイジャー・フォー・デッドの魔力。それが肌に振れるだけで細胞の一つ一つが死を感じ取って活動を静止し、その隙にラウルの一万年の憎悪が入り込んでいく。そこから先は延命処置により生かしたまま、無限の悪夢の中で心をいたぶり続ければいい。
今までは捉えて視覚と聴覚から幻覚を仕掛ける必要があったが、今はもう霧に触れるだけで同様の効果が達成できてしまうのだ。
「後はもう、放っておくだけで異形となりて我がもとに集うだろう。歩くだけで死の霧をばら撒く、真なる災厄の完成だ!! グハハハハハハハハハハ!!!」
ラウルの傲慢な高笑いが世界に君臨し、生きとし生けるものを邪悪な意思で染め上げようとしていた。




