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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
八章【SHINING SURVIVORS -死の霧を超えろ- 】
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207話『一万年のクレバス』

 靖治を触手で締め上げて連れ去ったラウルは、暴走を続ける肉体をナメクジのように這わせて迷宮のような災厄術式の最奥へと向かっていた。

 ボコボコと波打ち、膨れ、弾け、収縮と膨張を繰り返す体に、ラウルは皺の多い顔を苦しそうに歪めて、肉体から溢れる不死性を持った魔力を抑え込む。


「ぐ……うっ……ふぅ…………堪えるな、これは……っ。体の中で爆弾が飛び跳ねてるようだ……ガハハ、不死殺しとは恐ろしいな……」


 声は痛みに震え苦痛を孕みながらも、ラウルはどこか愉快そうに口の端を吊り上げる。


「だが、悪くはない……! こ、この苦しさも、何も感じないよりはよほどいい……若い時分に、無茶をしてテキーラを一気飲みしたことを思い出すな……っ。あの時はよく死ななかったものだ、あぁ懐かしいな……」


 ラウルの自分語りを耳に挟みながら、触手に捕まっている靖治は自分の体を見下ろしていた。

 何の能力もない彼であるが、それでも自分の置かれた状況を解析し、何か打つ手はないかと思考を巡らせている。


(アサルトライフルは失ったけど、ハンドガンは取り上げてこない。不死なら拳銃弾程度は気にしないってことか、適当に撃っても無駄だな。折れたっぽい肋骨はもう痛みはなし、運動に支障はなさそうだけど……今はできるのは、話しかけてコイツの気を反らすくらいか。せめてハヤテのやつが援護でも寄越してくれれば抵抗のチャンスがあるかもしれないんだけどな……)


 腕ごと触手に締め付けられた靖治だが、そこからでも腰の拳銃は掴める、無理な態勢になるが撃つことも出来そうだ。だがそんなものが不死者に対して何の効果があろうか。

 靖治自身にここから優勢をこじ開けるようなパワーは持っていない、周りのチャンスを利用することだけが常に彼にできる精一杯だ。

 何か状況を変えるきっかけがないかと靖治が通路を注意深く見渡していると、その視線の動きにラウルが気付いて口を挟んできた。


「中枢から術式のハッキングをしている馬鹿者から、援護を期待しても無駄だぞ。戦いの中でなければ、制御を取り返すことも出来る」

「……そうかい。けっこうなやり手だね、あんたも」

「フッ、そうでもないさ」


 どうやらイリスたちが来てくれない限りは、積極的に動く余地はないらしい。できることは無駄口を叩くことくらいだが、いつもは冷静で中庸な立ち位置をキープしている靖治でも、ラウルが相手ではつい言葉の端に現れる敵愾心を抑えきれない。

 対するラウルは、深手を負いながらも機嫌が良さそうだ。靖治にはわずかに気を許している雰囲気が感じ取れる。


「中枢へ……あの肉樹へと急がねば……やつらが追いかけてきておる。手慰めに作ったゾンビどもが足止めになってくれればいいが……」

「やっぱり、暇だからで作ったのか、あんなものを」


 ナハトの予想は大当たりというわけだ。死者を冒涜するラウルに対し、靖治は虜囚の身でありながら、怯えることなく睨みつけた。


「教えろ。何のためにあんたは死の奇跡なんて求める?」


 まっすぐ見つめる靖治と目を合わせて、ラウルはわずかにため息をついて視線を下げた。

 そして老いた不死は、ブクブクに膨れる体を見下ろしながら口を開く。


「醜い体とは思わぬか……? このような倫理から外れた体で、しかも不死など」

「……別に、この世界じゃ普通だろ。ちょっとくらい死なないなんて探せばいくらでもいるだろ」

「アッハッハッハッハ!!! 流石は死の因子、器の大きいことだ」


 靖治の言葉に気持ちのいい笑い声を上げたラウルだが、それも束の間のこと。一転して老骨は憤怒を表情に浮かばせて、目元をキツく締め付けてどこかを睨みながら言い放つ。


「だがワシは気に入らぬ。心底気に入らぬ、この体のせいでワシは長きに渡り苦しんできただ」

「……もしかして死ねないだけじゃなかったのか? 他に何かあったんじゃ……」

「フフッ、察しが良いな。聡い子だ」


 少しだけ柔らかく微笑んだラウルは、眉をしかめ、憂いを浮かべた。


「一万年前、ワシはホームレスになった。事業に失敗した息子夫婦を援助するために私財を投げ打ち、ワシは街の公園に転がり込んだ。だが、政府の研究機関が実験材料を探していたのだ。社会からいなくなっても影響が少なく、かつ魔術の才能がある人間をな」


 靖治はこの術式の内部に侵入してすぐに探索したエリアを思い出し、口をつぐむ。

 ラウルは過去の出来事を思い返し、一つ言葉を並べるたびに凄絶な怒りを彫りの深い面に燃え上がらせていく。


「ホームレスで、しかも老人のワシは格好のモルモットだった! 黒服のやつらはワシを拉致し、誰の眼も届かない研究所の奥深くに繋ぎ、徹底的な処置を施した!! 肉体を変質させ、数え切れぬ薬剤を投与し、臓物を切り刻み、脳をかき混ぜ、精神を弄び、あらゆるデータを搾り取った!! 数え切れぬ苦痛の果に、完成したのがこの体だ!!」


 怒りの感情がラウルの体を暴発させ、膨れる体のそこかしこから、泡ぶくれが弾けて彼が湛え続けた魔力が噴き出して霧のように暗闇を漂わせる。

 だがラウルは心の冷静な部分で触手を操作し、魔力波から靖治を庇うと、徐々に荒れ狂う怒気を鎮めていった。


「実験は成功。かくして、ワシは誰に頼んだわけでもなく、完璧な不死者へと肉体を改良され、悠久の時を約束されたわけだ。ハハッ、笑えるだろう?」

「そりゃあ……災難だったね」


 靖治はおべっかを使ったわけでもなく、本心から出た労りの言葉だった。ラウルが語った話は、本当は言葉だけでは言い表せない怒りの波濤がまだまだ溜め込まれているのだろう。

 膨張する肉体の奥底に秘めた溢れんばかりの炎には、靖治も一瞬飲まれかけたほどだ。


「……だがそれが、真の地獄の始まりだった」


 しかし、ラウルの困難はそれだけに終わらなかった。


「奴らは、このワタシを地下深くへと封印したのだ……!」


 今までの比ではない感情が、ラウルの昏き瞳を漆黒に燃え上がらせた。

 怒りとは似ていて違う、猛る激情の奥底には哀愁が漂っている。


「体裁が悪かったのだ、いくらホームレスだからといって人として生きる権利がある。それを実験体に利用し不死に変えた責任を、誰も取りたくなかったのだ……故にワタシは何重もの魔術的防壁を内側に向けられ、都市の直下100キロメートルに埋設された冷たい鉄筋とコンクリートの闇の中に封じられた。季節が巡る一万もの年月をだ……!!」


 ラウルの語る声には悲しさがあった、切なさがあった。ただひたすらに無力感に打ちのめされ続けていたのに、誰も助けてくれない寂しさがあった。


「暗闇の中、孤独なワタシは終わりなき発狂を繰り返した。永遠に続くかと思うほど時間、ワタシは独りで苦しみ続けた! いっそ気が狂って廃人にでもなれば楽だったのに、永き時に負けぬよう強化された精神は、孤独と暗闇にも耐え、正気のまま永劫が如き暗闇に心を蝕まれた!! 正気のまま死にたい死にたいと独りで叫び続けた!! わかるかこの苦しみが!? この悲しさが!?」


 激しく語る内にラウルの瞳からは止めることなき涙が溢れ始め、老人は体から生えた枯れ木のような手を震わせながら持ち上げ、目元を覆ってなおも声を絞り出す。


「誰も……誰も助けてはくれなんだ……死にたかった、けれども死ねなかった……ただワタシは冷たくて寂しい闇の中で、せめて死なせて欲しいという、最後に残った願いすら踏み躙られ続け。死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて、気が狂いそうなほど死にたくてもまだ死ねず。死への渇望を泣きながら叫び続けたのだ……」


 靖治は息を呑んでラウルの涙を見つめていた。この話は靖治にとっても心底恐怖心を煽るものだった。

 自身も病魔に冒され幼少から苦しみ続けてきた靖治だが、それに耐え続けられたのはひとえに『死の優しさを信じている』からだ。例え苦しくて現世からはぐれて落ちる時が来ても、その先の死が優しいものだと考えているから平気でいられる。

 だがいずれ来る死を奪われて、永遠の暗闇に繋ぎ止められるなど、靖治には聞くだけで恐怖心を煽られるもので、目の前の老人は身をもってそれを体験したと言うのだ。


「永きに渡り封印された影響で、首から下は感覚もなく自分の意志では指一本すら動かせん。魔術により肉と骨を操作し、操り人形のように手繰るのが精一杯だ……もはやワタシの願いは、あの寂しい暗闇の中で求めた死の救いしかない……」


 ラウルは溢れ出る怒りと哀しみを目元から拭うと、深すぎる暗黒の憎悪を瞳に宿し、胸の奥には漆黒の野望を渦巻かせて前を睨みつける。


「ワシは死の崇拝者。一億の死の賛美歌を天と地に満たして未曾有の門を開き、降り立つ死の奇跡に一万年来の望みを得る、それがワタシの目的だよ」


 ラウルの意志は悲壮にまみれたものであった。そのことに靖治は気圧されながらも、それでも聞くべきことを尋ねた。


「来歴を聞けば可哀想なことだね。だけどつまりあんた、復讐か?」

「……そんなもんじゃないさ。そんなもんじゃな」


 そう答えて前を目指す老人の横顔は、酷く寂しいものだった。

 暗い話だ、これを崩すことは誰にも出来ないかも知れないと靖治は感じる。

 だがそれでもこの男の凶行をそのままにしておくわけにはいかない。ラウルを野放しにすれば、あるのは死に溢れた不幸だけだ。


「あんたの話に同情するところはある。けどもう一度言うが、あんたの望みは……」

「すまんが、あまりおしゃべりをする余裕はなさそうだ、一つ試させてもらうぞ」


 ラウルは話を遮って触手を伸ばすと、先端をヘッドプロテクター状に変異させて靖治の顔にかぶせてきた。


「うわっ!? またこれか――――」


 眼鏡ごと顔の上半分を覆われた靖治の網膜と鼓膜に、ラウルの魔術が叩き込まれる。

 一瞬、光に包まれて体を飛ばされるような錯覚のあと、靖治が立っていたのは白い空間だった。

 簡素な幻覚の中で、三つの人影が足元から組み上げられていく。ラウルが新たに組み上げた魔術により現れたのは、お馴染みの三人であった。


「イリス、アリサ、ナハト……ハハ、今度はキミらか」


 渇いた笑いをする靖治のことを、イリスとアリサとナハトは、みな一様に冷たい眼で見つめてきていた。

 そして幻の世界に立たされている靖治へと、イリスが唐突に腹を殴り飛ばしてきた。


「ぐっ!!」


 ご丁寧に機械の硬さを再現した鉄拳が突き刺さり、現実のような苦しさに靖治は体を曲げ、更にその横っ面をアリサが殴り抜ける。

 白い地面に倒れ込んだ靖治は、頭をナハトに踏みつけられ、仲間の幻覚に罵倒を吐き捨てられた。


「醜いですね」

「汚いヤツ」

「偽善者」


 イリスの失望が、アリサの拒絶が、ナハトの軽蔑が、靖治の耳朶に突き刺さる。


「迷惑よ、あんたみたいな死にたがりに振り回されて、利用されて」

「破廉恥な男。自分の力がないからと女性に頼って情けのない。この世界にあなたのような軟弱者が生きる場所などどこにもないのです。謝罪など不要です、早々に居なくなればよろしい」


 悪意を込めて言い捨てたナハトが横腹を蹴ってきて、靖治は「ぐえっ!」と蛙が潰れるような悲鳴を上げる。

 咳き込んで苦しむ靖治であったが、イリスがしゃがみこんできたかと思うと、髪の毛を引っ掴んで頭を持ち上げさせた。


「靖治さん、あなたがいないから、私は自由にならない。よくも、私の始まりに現れて、私の人生を縛り続けてくれましたね。あなたのようなクズに、途方も無い時間を掛けさせて」


 虹色の瞳を不自然なまでにギラつかせたイリスの顔は、眉のあいだをこれ以上ないほど締め付けて大口で叫び散らす。


「あなたのために生きるなんてうんざりなんです! どうしたって、あなた一人のために喜んだり悲しんだりしなきゃいけない!! あなたの人生に、私を巻き込むな!!」


 アリサの顔が言う、怒りを込めて、心を突き放して。


「あたしのことを脅すような真似して連れ去って、さぞいい気分でしょうね。お前は自分だけ幸せならそれでいいんだ」


 ナハトの顔が言う、哀れみを込めて、愚かだと見下して。


「あなたはわたくしを救ったとでもお思いですか? 莫迦な。わたくしは確かに死にかけていた、でも今生きていられるのは、あなたの手柄などではない」


 繰り返し、骨にまで染み入るような言葉が投げかけられる。言葉は呪いとも言うべき魔力を含み、対象である万葉靖治の深層意識へと強制的に介入し、無防備な心を痛めつけようとしてくる。

 普通なら、例え幻覚とわかっていてもその辛さに涙を流し、やがては死を求めるほどにまで心が疲弊するものだ。今までラウルは散々そうやって人の嘆きを集めてきた。


 だが靖治は苦しむどころか、笑ってみせたのだ。


「くっ……ははは、そりゃそうだろう」


 靖治の笑い顔を、イリスたちは真顔のまま眉一つ動かさずに見つめてきている。

 生真面目な幻たちに、靖治は自らを冷笑しながら見上げていた。


「アリサもナハトも、強い人だ。僕が出会わなくたって元気にやれてるだろうさ。っていうか僕は、みんなの優しさにつけ込んで楽してるだけだ。こんな風にボコられたって仕方がないね」


 彼女たちの言葉は自分の声だと、靖治にはわかっていた。この場で罵られた言葉のすべては、靖治が心の奥底で想っていたものだ。

 そしてそれらをすべて包み込んで笑った靖治は、イリスに優しい微笑みを投げかけて、慈愛の眼で見つめた。


「それにイリス。キミは僕を憎んだっていい、恨んだっていい。キミは自由で、そしてとても素敵だ」


 靖治の言葉に一片の迷いもない、澄み渡った水辺のような信頼があった。イリス、アリサ、ナハト、三人が携えた『強さ』を信じ、彼女たちなら自分の力で幸せになれると信じ、それらを特別なことでなく当たり前のように確信していた。


「僕を殺したいなら殺せばいい、そしてキミの人生を始めてくれて構わない。イリスの幸せを、僕はいつだって願っているよ。そのための礎になれるなら大歓迎だ」


 だが靖治がなんと言おうがここにいる三人は幻覚に過ぎない。イリスは関心を寄せず、靖治の鼻っ面に機械の膝を叩き込んできた。

 鼻をへし折られ、流れ出る血の匂いに頭をかき回される靖治へと、外側からラウルの声が響いてくる。


『どうした? 抵抗しないか?』

「ぐっ……姉さんと違って彼女たちは今を生きてるからね……なら、幻影が相手でも手を出したくはない。彼女たちのことは大切にする……」


 靖治には靖治なりの考えがあって引き金を引いた。幻の姉を撃ち抜けたのは、彼女が1000年も前の人間で今生きているはずがないという事実と、あの姉なら文句は言わないだろうという身内の特別な信頼があったからだ。

 苦しみながらも我慢しようとする靖治の右手を炎が燃やし、左手を欠けた刃が貫いた。


「ぐあああっ!!」

『なるほど、独自の哲学か。しかし死んだ人間で駄目なら生きている女でと思ったが、精神が中々疲弊せんな。魂の抵抗値は痛みで多少は下がってきているが、これではヴォイジャー・フォー・デッドを受け入れるほどには到底足りん。やはり幻覚でお前を追い詰めるのは無理なようだ』


 靖治が脂汗をかきながら悶え苦しんでいると、意識が遠のくような感覚があって、一瞬頭がクラリとした後、顔から離れていく肉のプロテクターが見えた。

 薄気味悪い肉の通路の中で微妙な悪臭を嗅ぎながら、触手に揺られる靖治は。


「ハァ……ハァ……現実か……」

「夢を介して取り込むのが無理なら仕方あるまい。乱暴な方法であるが、直接、我が術式と繋げる」


 幻痛にグッタリとうなだれる靖治が見たのは、徐々に近づいていく大樹の虚のような空間であった。

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