205話『怒り、叫び、消える』
「我が……肉体に溜められし激情の海は――――遥か一万年を超える憎しみだ!!!!!」
「いちまっ――ぐっ!?」
イリスが驚愕に動きを止めた時、積み重なった泡のように膨れ上がったラウルの肉体から、複数の肉の槍が飛び出してきて彼女の体を穿つ。
まとったメイド服のそこかしこが破け、その下の装甲を歪ませられながらイリスは吹き飛ばされ、床に背を打ち付けた。
中枢にいながら動向を見守っていたハヤテも、言い放たれた数字に動揺を念話の声に表していた。
『一万年……!? 一万年も生きた不死だと!? オイオイ、いくらなんでも長生きすぎだろジイサン!』
このワンダフルワールドで幾人かの不死者と出会ったこともあったハヤテであるが、そこまでの年月を生きてきた者など見たことがなかった。
いかに不死とは言え"死のチャンス"が、大抵は千年か二千年かを生きればあることだからだ。
病気や怪我で死ぬことはなくとも、長く生き続ければいつか不死をも殺すような超常にかち合ったりする。長い人生のうちに大切な何かを見つけ、不死性を対価としてそれを救うこともあるだろう。あるいは恨みを買い続ければ、人々の営みの中から不死殺しの秘法秘術は生まれ出ることだってある。
不死身と呼ばれようと真に完全完璧な不死者など存在しない。数百から数千年の長い眼で見れば、無慈悲に流れ続ける時の歯車の中で、いつかは己の定めと向き合う日がきっと来る。それはワンダフルワールドの中だけの話ではなく、どんな世界でだってそういうものなのだし、その程度には世界は有情なはずなのだ。
にもかかわらず、その瞬間に出会うことなく一万年も生きるなど、よっぽど因縁に囚われず生きるのが上手いか、それとも飛び抜けて不運かだ。
『クソ、火力が足らねえ……コイツを殺し切るには準備不足だ!!』
どちらにせよここにいる不死者は正真正銘の怪物だ。一万年の長きに渡り存在し続け、己の存在を確固としたこの老僕を倒す術を、今のイリスたちは持たない。
『おいウポレ! 気絶したケヴィンを連れて逃げろ! 一旦京都まで引いて、他のやつにコイツのことを伝えろ! 百果樹は見捨てろ!』
「ウッホ……けれど、それではハヤテが……」
『バカヤロウ、気にしてる場合か、とっとと走れ!』
ハヤテの叱責を受けて起き上がろうとするウポレだが、その手脚は震えている。ラウルの魔力波で受けたダメージが色濃く残っている。
ラウルはボコボコと泡立つ己の肉体を見て口元を歪ますが、その身から溢れる魔力は決して衰えた様子がない。
「ぐぅ……先の攻撃で、肉体が暴走状態か……だが、好都合だ!!」
ラウルは我が身そのものを材料として肉と骨を操る魔術を駆使し、いくつもの触手を作り出して、前方へと勢いよく伸ばした。
乳白色の触手たちが目指す先は、一番奥で様子を見ていた少年、万葉靖治の身柄だ。
「僕を狙うか!?」
すぐに靖治は狙いを悟って銃を構えた。いつもなら彼を守ってくれるイリスは倒れており、アリサも先程の魔力波でふっ飛ばされた時に頭を打ち付けたらしく、朦朧として起き上がれずにいる。
一人で身を護らねばならなくなった彼は、慌てて後退しながらアサルトライフルを乱発した。いくつかの弾丸が奥にいるラウル本体へと届いて穴を作るが、当然それで止まる相手ではない。
近くにいたアリサが正気に戻った時には、すでに触手は靖治の体を捕えていた。
「せ、セイジ!?」
「この……ぐっ!?」
触手は鬱陶しく火を吹くライフルを叩き落とし、そのまま靖治の腕ごと体を締め上げた。乱暴な拘束のせいで肋骨からビキビキと音が響き、いつも穏やかな靖治の顔が痛みに歪む。
「死の因子……こやつさえ手に入れれば……!」
「この、待っ……!」
慌ててアリサが追いかけようとするが、その前に靖治はラウルの本体にまで引き寄せられてしまっていた。すぐさま取り返そうと魔人アグニを作り出すが、その炎を放つことを躊躇してしまう。
「クソッ……そいつを離しなさいよ!」
「ほう、なら何故その魔人を差し向けてこない? その残虐そうな火も仲間の死は厭うか!」
アリサはもどかしそうに唸り声を漏らす。まだ頭が揺れている彼女に能力の精密なコントロールは無理だ。アグニの火を無理に放てば、靖治まで焼き殺してしまう。
それを見て取った肉塊となったラウルは、これみよがしに靖治の体をかざしてきた。
卑劣な行動を取るラウルにアリサがギリリと歯噛みして、締め付けられていた靖治は咄嗟に叫んだ。
「アリサ! コイツに僕のことを殺す気はない、構わずやってくれ!!」
「ば……馬鹿言わないでよ!? もしものことがあったら……あたしがアンタの事どうでもいいと思ってるわけないでしょ!?」
例え靖治の言葉があってもアリサには出来なかった。
身動きが取れない魔人を見てラウルはニヤリと嘲笑うと、そのまま膨れ上がった体を這わせて奥へと逃げようとする。
そこに、起き上がったイリスが絶叫を迸らせて、発狂した弾丸のように飛び出した。
「靖治さんを……返せぇええええ!!」
歪みでギシギシと鳴るボディを駆動させ、全力になったイリスは開いた右手を前へと伸ばす。
しかしラウルは「くぉぉぉぉ……!」と気合を込めて泡膨れした体に魔力を伝達させると、暴走による増殖を続ける肉体を通路に這わせ、イリスの進行方向へと広げてきた。
ブクブクと膨れては弾ける肉の絨毯が、通路全体を飲み込みながら押し寄せる。そして弾けた肉から飛び出してきた黒い魔力の糸が、蜘蛛の巣のように互いに結びついて壁を作り、飛び込んできたイリスの体を絡め取った。
手を伸ばしたままの姿勢で動きを止められてしまったイリスは、糸と触れた部分からジュワアアアと音を沸かせて機体表面を溶かされる。ここまでに倒してきたゾンビ兵の肉体と同じ、高純度の呪いを含んだ魔力が、イリスの魂を蝕んできている。
「くぅぅぅぅ……!!!」
「イリス、無茶しないで!」
「聞けま……せん!!」
アリサの言葉が止めに入るが、イリスは脚のスラスターを展開させて全力噴射させた。
スラスターの推力と拘束とのあいだで全身が震え、硬い装甲が溶け続ける。引き絞られた魔力の糸は1mm進むごとにキリキリと鳴って細まり、そのぶん濃密になった魔力が体を強く締め付けた。
拮抗する圧力に次の瞬間にはバラバラになってしまいそうなのに、なおも前へ前へと向かおうとするイリスを見て、ラウルが嘲笑う。
「そんなにこの男が取り戻したいか? そうだろうなぁ、ロボットだものなぁ、それしかできないか。人形ならば主人のことは大事か!」
「それだけじゃ……それだけじゃないです……!!」
今までにない力が籠もった声が響き、靖治とアリサが驚いた顔をした。
大きく口を開いて必死の形相を浮かべたイリスは、少しでも前に進もうとしながら、強い感情で言葉を打ち震えさせている。
「生きるということは……それだけで素晴らしいことなのに……! 私なんか、生きたくて生きたくてしかたないくらいなのに……!!」
これまでイリスが見せたことのない、有無を言わさぬ前のめりの姿勢と言葉に、見つめていた靖治は息を呑む。
「イリスが……怒ってる…………」
きっと、彼女の心を言葉にするならそうなのだろう。
機械の彼女から沸き上がる激情に、イリスは白銀の体を震わせて、迷わずそれをラウルへとぶつけようと睨みつけている。
「毎日、たくさん、知ることがあって……色んな人と出会えて……一緒に喜んだり、時には憎まれたり、そんな日々が、それだけできっと貴重なものなのに……! みんな明日を願って、生きている今日なのに……!!」
イリスはまだ、生きるということがどんなものなのか、まだ核心を知れていない。だがそれでも、靖治と旅をし始めてからの短い日々は、彼女の心に色を付けるには十分すぎるほど麗しかった。
良い人にも会えた、悪い人にも会えた。感謝されることもあった、逆恨みされることもあった。だがそれでもイリスは、ここに来るまでに会えたすべての人との体験を、とても大切に胸にしまってきたのだ。
そのどれもが、例え苦いモノであっても、イリスの心を湧かせてきた、生きる燃料であり、魂を動かしてくれる実感であった。
だが目の前の男は、すべてを踏みにじっている。これからもこの男は命を貪り続けるし、イリスがこれまで会った人も、これから出会えるはずの人も、何もかもを闇に閉ざそうとしている。
イリスにはそれが許せなかった。だから彼女は声を上げたのだ。
「どうしてあなたは、私よりずっと長生きなのに……どうしてそんなに、人のことを大事にできないんですか!! 私より多くの人を知ってるはずなのに、どうして!!!」
「黙れ……黙れ……!!」
これまでもラウルの前に現れてきた正義を担ぐ者たちとはどこか違う、イリスの真っ直ぐな眼差しが癇に障ったか、ラウルの口元が苦く歪む。この無垢な怒りに対し、老いた不死者も強い怒りを打ち出そうとしていた。
熾烈さを滲み出させるラウルへと、イリスは正しいや間違いからでもなく、恨みからでもなく、何の正義にも依らない純粋な感情を爆発させる。
「あなたの、勝手な感情で……靖治さんや、たくさんの人を……! みんなの人生を……歪ませるような真似をするなァ!!!」
「黙れ! 人に造られた機械風情が、ワタシの前で人生など語るな!!」
怒鳴り声を返したラウルは膨張した肉体を切り離し、靖治を連れて奥へと身を翻す。
その直後、イリスやアリサたちがいた部分の通路がゴトリと音を立ててズレたかと思うと、輪切りにされた筒のようにずり落ち始めた。
『これは……区画ごとパージする気か!? お前ら戻れ、外に放り出されるぞ!!』
状況を読み取ったハヤテが警告するがその間にも通路は落ちていき、斜めになった床をアリサと、ケヴィンを抱えたウポレが駆け上がる。
しかしイリスが魔力の糸に捕まったまま通路ごと落ちて行くのを見て、アリサが魔人アグニを飛ばした。
「イリス、こっちに手を伸ばして! 行ってアグニ!!」
イリスはもがいて糸を引っ張ると、体を震わせながら振り返り、背後からやってくるアグニへと辛うじて左腕を伸ばした。
近づいたアグニは咄嗟に調整できる最低限の火力――それでも人間なら大火傷する熱量――でイリスの腕を鷲掴みにして落下を防ぐと、周りの糸を引きちぎって上へ引き上げた。
イリスがなんとか引き戻されてアリサたちの隣に足をつけた時には、ラウルは肉塊の体を引きずりながら、靖治と共に術式の深淵へと向かっているところだった。
連れ去られる靖治は触手に捕まったままイリスへと顔を向け、苦々しく顔を歪めている。
「ごめん、イリス……!」
「靖治さん!」
『待て、行くな! 落下した部分の空間がメッタメタに歪んでやがる。目に頼って飛び出しても、外に弾き出されるだけだぞ!』
ハヤテの忠告を受け、欠落を飛び越えようとしたイリスはすんでのところで踏み留まった。
踏みしめた床の下は災厄術式の外側へと通じていて、外の地面が見えていた。もしここから外に出てしまったら、戻ってくることは非常に困難だろう。
『こんだけ硬い術式は変化させるのは面倒でも、まるごと切り離せば楽に形を変えれる。あのじいさん、この程度の備えは当然だってか』
「くぅ……!!!」
段々と見えなくなるラウルの体を見ながら、イリスはわなわなと拳を震わせる。
悔しさをこらえた彼女は、目元を歪めながらも諦めずに前へ向かって叫んだ。
「靖治さん!! 絶対に助けに行きます!! 待っててください!! 靖治さぁーん!!!」




