204話『不死身の怪物』
用意されたのは二つの装備。
イリスは真っ先に、床に突き刺さった機械的な棒状の武器を手にとった。
輝くような白い柄は人の手に握る上で丁度よい太さと長さ、絶妙に考えられた重量バランスは持ち上げると驚くほど手に馴染み、先端に取り付けられた真っ直ぐな刃が美しい。
全体を金属で包んだ歪みのない真っ直ぐな槍だ。ただの槍ではない、人々の夜が善きものであるようにと奮迅する人達が、幾多の困難を超え、技術と想いを結集して作り上げた科学の槍だった。
無垢な槍を見つめてイリスが手の平から神経電流を繋げて槍の内部にアクセスすると、感じ取ったプログラムから断片的な光景が流れ込んできた。
虹の瞳に映りいくのは、この槍を遺した文明の人々の記録。光あれば闇ありと言うかのように街の裏側を行き交う魔道の者たち、それらあらゆる異端を科学をもって制覇した人間の意地と執念、そして誇り。
友を遺して散った戦士。身を挺して子をかばった母親。愛する人を涙で見捨てて生き延びて、その後悔を火と変えて掲げた研究者。それらが繋げた結果が、廻り巡って今はイリスの手にある。
恐らく、この槍に携わった者たちに無関係なイリスが使うことを怒る者はいないだろう、すべての人が誰かを護るために尽力し、そのために使われるのならきっと喜ぶ。
物理法則を凌駕する相手に更なる法則を叩き込んで封殺する技術。超常を否定し、人の世に安寧をもたらすための人の創りし武器に、イリスは一瞬に見た誇りある人達に背くことがないよう、決意をもって謳い上げる。
「伝達回路形成、直結! 電力供給を開始、万象回帰式の再構成を確認! 人界守護兵装ナンバーZK-00Ø『ロンギヌス』起動!」
この槍を手に取れて喜びを覚えるイリスに応えるよう、ロンギヌスの名を与えられた槍は静かに振動して、モールドの隙間から厳かな光を隙間から放っていた。
その隣では、アリサが残った武器を手にとって内容に頬を引きつらせている。手枷を嵌めた手にあったのは一丁の黒いリボルバーハンドガンだ。
「で、あたしは銃!? 使っかい辛ッ! ねぇイリス、交換しない?」
「いえ、これで私は行きます。この子が良いです! それにこの槍、多分アリサさんでは使えませんよ?」
「ぐぬぬ……しょーがない、近づいて当てるか」
アリサも銃の基本的な使い方程度なら旅の合間に靖治との雑談で聞かされたので知っているが、実際に使うとなるとまったくの初心者。その上、両手の手枷が邪魔で両手打ちの姿勢すら取れないという有様だ。
あるいはセイジに使わせるかと一瞬考えたが、靖治も射撃技術が高いわけでないし、どっちにしろ接近して撃たせないといけないだろう、それなら自分が突っ込んで撃ったほうがマシだろうと結論づける。近距離で集中すれば当たるはずだ、多分。
「セイジは下がってなさい! こんだけ役者が揃えば十分よ!」
「後ろで私達の戦いを見ててくださいね!」
「わかった、頼んだよみんな!」
この先はより乱戦が激しくなる、素人が出張っても味方を撃つだけだろうと靖治は潔く下がった。するとハヤテの念話が届いてくる。
『ケケケ。見てるだけとか、なっけねぇな~靖治よぉ~?』
「うるさいなー。何もしないことが今の僕の最善だよ」
靖治がわかってて言ってくるハヤテの言葉を鬱陶しそうに叩き落としている前で、イリスたちの逆襲が始まった。
槍を両手で握りしめたイリスが、槍内部からダウンロードした戦闘方法に倣い構えを取る。
「イリス、行きます!!」
拳銃の撃鉄を親指で起こしたアリサが魔人アグニを作り出し。
「今度こそ完膚無きまでぶっ潰してやるわ!」
骨と牙のナックルダスターを握りしめたウポレが豪腕で床を叩いて突撃姿勢を取る。
「ウホホ。野蛮な悪鬼には天罰タイムだウホ」
大げさな舞踏でカッコつけたケヴィンが腕のブレードを広げた。
「ヘイ、ジイサン! モノホンのイケメンバトルってやつを見せてやるッスよー!!」
相対させられたラウルは、泥状になった床が車輪を空回りさせて思うように動けない。
難敵を前にして手を組んだ四人が並び立つのを見て、座したラウルは「くぅ……!」と焦りを含んだ唸り声を漏らした。
「ウポレさん、ケヴィンさん、あなた方とは一悶着も二悶着もありましたが、ここはよろしくお願いします!」
「ウホ、協力しない手はないウホね」
「ヨッシャ、行くッスよ。イリスの嬢ちゃん、着いてこれるッスか!?」
「もちろんです!!」
機械少女と鋼鉄の鷹が真っ先に飛び出す。スラスターを断続的に噴射するイリスと、時間加速による高速ステップを見せるケヴィンは、液状化した床を物ともせずに跳ね回って撹乱しながらラウルへと近づき、両サイドから刃を振るった。
「でやぁ!!」
「そりゃあッス!!」
白無垢の刃と古びたブレードが風を切って襲いかかる。ラウルは窮地に苦しい顔をしながら魔術による触腕を自在に操り、足元の肉液の下に這わせてから飛び出させた。
ドロドロの肉を飛び散らしながら現れた触腕にイリスとケヴィンの刃が防がれる。この防御と同時に肉の飛沫により視界を防いだラウルは、他の触腕で地面を叩き、車椅子を飛び跳ねさせてその場から離れようとする。
「とにかく、体勢を立て直さねば……!」
「逃さないわよ、行って来いアグニ!!」
アリサの背後から飛び出した魔人アグニは、本体から離れて通路を突っ切り、ラウルの背後へと回り込んで拳を組んだ。
恐るべきハイパワー能力を遠隔操縦で操る所業に、ラウルは意表を突かれて逃げ道を塞がれてしまい、振り落とされた魔人のスレッジハンマーが車椅子を狙った。
「くっ……!?」
ギリギリで車体を傾けて直撃を避けたラウルだが、それでも魔人の拳は左側の肘掛けを砕き、車輪を大きく歪ませた。
ラウルは、逃げようにも魔人アグニが、立ち向かえばイリスとケヴィンが高速で襲いかかってくる。とにかく敵の数を一人でも減らさねばこの状況から脱せない。
ならば今狙うべきは、能力を切り離した異能者の少女だろう。
「貴様から血祭りだ小娘!!」
ラウルは車椅子から生えた六つの触腕を動かすとアリサへと向けて、先端にある硬質化した肉の棘を魔力噴射により一斉に射出させる。この攻撃は一度だけに終わらせず、次々と肉棘を作り出して連続で発射した。
ロケットのようにドス黒い魔力を撒き散らしながら無数の棘が通路を過ぎる。このままではアリサの身が危ないと感じたイリスとケヴィンが肉棘を叩き落とすべく身構えようとするが、それより早く指示が飛んだ。
「ケヴィン、イリス、そこを退くウホ! 種に残りし大いなる自然の息吹よ、地に住まう命のためにも我らを守り給えウホ!」
声に従って二人は咄嗟に横へ飛んで道を開けると同時に、ウポレがアロハシャツの裏側から取り出した小粒な何かを、液状化した肉の床に投げ込んできた。
言霊を吐いたウポレは床を叩いて霊力を流し、投げ込んだ物体へと力を与える。その直後、勢いよく肉液の中から現れたのは、曲がりくねった樹であった。
種子から高速成長した植物は飛来する肉棘をガッシリと絡め取った。肉棘は魔力を噴射してなおも全身しようとしていたが、やがて燃料も尽きて動けなくなりその場に封じられる。
攻撃を防がれたラウルは忌々しそうに口元を歪ませるが、ウポレはこれだけで終わらせまいと反撃へと転じた。
「ドッセーイ、ウホ!!」
ウポレの太い脚から放たれた力強い飛び蹴りが、成長した木を蹴り砕いて、破片をラウルへと飛ばした。
散弾銃のように迫りくる木の破片に、ラウルは腕を前に出して魔法陣による魔力防壁で防御態勢を取る。バラバラと音を立てながら降りかかる瓦礫を見事に防ぎきったラウルだが、その背後には雄々しく拳を振りかぶった魔人の姿があった。
「アグニ、やっちまいなー!!」
今までの鬱憤を晴らすかのように、清々しいストレートパンチがラウルの背後から叩き込まれた。
咄嗟に対抗しようと振り返ったラウルが六つの触腕をぶつけるが、爆発的な拳を前にして触腕は哀れにも圧し砕かれ、突き込まれた熱拳がラウルの胴体部へと直撃した。
「ぐぉぉあああ!?」
魔力防壁は張った、だがそれを用意に貫通する魔人の攻撃力に、ラウルは目玉が飛び出さんばかりの衝撃を感じながら車椅子ごと吹き飛ばされた。
空中で身を投げ出されたラウルは、椅子から離れて液状化した部分へと墜落し、震える腕で体を起き上がらせようとする。
「クソッ……こんな……こんな……!?」
「これで終わりです! みんなを傷つけた罪を償ってもらいます!!」
愕然とするラウルへと、トドメを刺すべくイリスとケヴィンが踏み込んできた。
振るわれる刃を眼で追ったラウルは更なる触腕を作り出そうとするが、ドロドロの肉液は術式をハックしたハヤテの霊力が混じっており、ラウルの干渉を拒絶してくる。
「こんなぁぁあああ!?」
「ロンギヌス、行っけぇえー!!!」
とうとう打つ手が無くなったラウルの左胸に、イリスが振るうロンギヌスの槍が食い込んだ。
胸を串刺しにされ、持ち上げられたラウルの右胸へと、次いでケヴィンが振るう魔剣の刃が突き刺さる。それはかつて邪道に堕ちた英雄が、千の人を斬って積み重ねられた虐殺の因子。区別なくすべての人間を殺す禍々しい殺意が流れ込む。
これだけに終わらない。突っ込んできたウポレが拳を振り上げ、握り込んだナックルダスターを腹部に叩き込んだ。これを形作る骨と牙は、ウポレのライバルであったゴリラの亡骸である。群れと馴染めず、ウポレと敵対するしかなかったゴリラであったが、今はウポレのために、込められた神の祝福を発揮する。
そしてアリサも黙ってみているわけにはいかない。十分に狙いをつけられる距離まで走ってくると、右手に持った拳銃の引き金をひいた。火薬が鳴って撃ち出されるのは聖水を混ぜて鋳造した純銀の弾頭。神の名のもとに魔を討つべく作られた弾丸が、この不死の悪魔の額を撃ち抜いた。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!」
人界を守護する矜持が、問答無用の虐殺の意思が、地に生まれた自然を愛する神の息吹が、闇夜を貫く人の神の慈悲が。
次々と叩き込まれる不条理を拒絶する力に、ラウルは恐ろしいまでの苦悶の表情を浮かべ、絶叫を響かせた。
「へっ、どーだい! どれもこれも二千年モノの不死も滅する必殺宝具のオンパレードッスよー!! いくら頑丈だからって、こんだけぶっ放しゃあ――」
ケヴィンが高らかに勝利宣言を吠え立てようとした時、目の前でラウルの体がブクリと膨れ上がり、全員の度肝を抜いた。
異変は続く。ラウルの体は完全に再生しないまでも、脈動するかのように膨張と縮小を繰り返し、不気味な音を奏でながら少しずつ圧力を増していくラウルの姿に、ケヴィンは思わず怯え腰になる。
「あ、あれ……?」
「ちょっと鳥男! アンタが余計なこと言うから、コイツ元気になったじゃない!」
「お、オレっちのせいッスかー!?」
アリサとケヴィンがどうでもいい言い合いをするあいだにもラウルの変異は続いていく。
膨張と縮小。繰り返される死と新生。不死殺しの力により、一瞬ごとに死に、そして蘇生するラウルの体格は、大きさとおぞましさを増していき、出来の悪い泥人形のようになっていく。
「おぉ……おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「グギャーッ!? か、観測される魔力係数大幅上昇……!? ここにまで来て増えるってどういうカラクリ――――ヘボハッ!?」
膨れ上がったラウルの肉体から、飛び出してきた肉の槍がケヴィンの頭部に突き刺さり、メットを砕いて吹き飛ばした。辛うじて致命傷にはならなかったようだが、それでも白目を剥いて気絶してしまう。
イリスは槍を引き抜いてケヴィンのことを抱えると一度下がり、肉塊のように肥大化するラウルの体を見上げた。
「い、一体何が!?」
「ぐぬぉぉぉぉぉぉぉぉ……!! ま、まだだ……まだ……死ねい……のか……!!!」
諦めないかのように、あるいは無念を語るかのように、ラウルが言葉を零した。
『あそこまで叩いてこの再生能力、いくらなんでも異常だぜ!? 生き残ったって不死性はほとんど削れてるはずだ!!』
「ウッホホーイ! なんのまだまだ!!」
「クソッタレ、押し込めアグニ!!」
もしかしたら、後は物理的に砕けば倒しきれるかも知れないと、アリサは引き戻した魔人アグニの熱拳を、ウポレは大自然のもと育んだ鉄拳を打ち込む。
しかし拳を受け止めたラウルは、肥大化を続けながらゴポリと肉体を波打たせると体表に肉の泡を膨らませ、破裂と同時に漆黒の魔力派を噴出させて二人を退けた。
「ヌッホー!!?」
「クソ……これ以上火力を出すと、全員焼け死んじゃう……!!」
ウポレの大柄な体が吹っ飛んでいき、アリサは顔を腕でかばいながら引き下がる。
魔人アグニであれば更に熱量を上げる余地もあったが、そんなことをすれば閉鎖空間にいる自分たち全員の身が危ない。
敗れ去る仲間たちを見て、イリスが虹の瞳でラウルのことを睨みつけた。
「みんなのために、私達のために、月読さんのために、負けるわけには行きません!!!」
自分たちが負ければ何もかもがおしまいだ、そんなことはさせないと、イリスは果敢にロンギヌスの槍をラウルへと突き立てた。
刃先が膨れる肉の下に埋まり、イリスは必死に槍の内部に電力を送り込んで最大級の力を発揮させる。
「ロンッ……ギヌス!!! お願いです、私達に力を貸して――――」
多くの人の歴史が創り上げたこの槍なら、例え不死だろうが討ち倒してくれるとイリスは信じた。
だが、ラウルの存在が強固すぎる。槍が長い時間を掛けて蓄積した本来の法則をどれだけ叩き込んでも、その下から湧き上がってきて生者のあがきを喰い潰す。
ロンギヌスの槍とて何十年、何百年もの時間を積み重ねて作られたものなのに、その刃はラウルの核に届いてくれない。
それでもなんとしても勝とうと、イリスは胸のコアを高鳴らせてエネルギーを作り出す。
「う…………ぁあああああああああ!!!」
瞼をギュッと引き締め、悲鳴染みた声を上げ、それでもイリスは諦めずに全力でぶつかる。
だが、やがて限界が来たのは、ラウルでなく槍のほうであった。
バキリと不吉な音が響き、眼を開けたイリスが見たのは刃の根本が折れてしまった槍の姿だった。
「ロンギヌスが……大勢の人の叡智と祈りが創った武器が……折れた……!?」
「ぐっ……ハハハハハハハ!!! 叡智だと……!? 祈りだと……!? 所詮……所詮は、こんなものでしかないのか!!! ガッカリだ!!! どこの世界でも、人という種はワタシを失望させてくれる!!! いっそ人の遺したものが、殺してくれれば良かったのに……!!」
壊れた槍の柄を持ち呆然とするイリスの前に、肥大化を続けるラウルの体が壁のように立ち塞がる。
「二千年分の不死殺し!? 笑わせる!! 心底笑わせてくれる!!!」
そう言い放ちながらも、ラウルの目から流れていたのは涙だった。
人間らしい透明な雫を零した、絶望と失望を抱えた悲痛な怒りを胸に叫んだ。
「我が……肉体に溜められし激情の海は――――遥か一万年を超える憎しみだ!!!!!」




