197話『冒険者の意地』
(こんなにも強い感情を、人間が持てるものなのか!? まるでこの憎悪を刃にして世界を切り刻んで百度滅ぼそうと、まだ尽きねえくらい強烈な憎しみだ……他人の気持ちを恐ろしいと思ったのはこれが初めてだ……どうやったらこんな憎しみが育つ……!?)
この醜悪な不死の老人が一体どんな人生を辿ってきたのか、まったく想像もできないほど悲壮と憤怒にまみれた最悪の憎しみだ。
憎しみを飼いならしてきたアラタでさえ、この老人の前から逃げ出したくなった。
「――だが、だからこそ捨て置けねえ!! ここでコイツは始末しなくては、まだまだ犠牲が続く!!」
奮起したアラタが再び魔力を循環させて肉体を整えると、アラタは決死の覚悟でラウルを追い詰める。
走り寄ってくるアラタに、ラウルは少しずつ肉体を再生しながら、傷口から伸びる触手に魔力を通した。
「テメェがどれだけ他人が憎んでようが何だ! オレの自我が暴走する前に、お前を殺してぇぇぇええ!!!」
常に持っていた決死の覚悟を振りかざし、アラタは大きな拳を振り上げた。すかさずラウルは肉体から生やした触手を伸ばし、向けられる拳に合わせてぶつけた。
触手程度にアラタの魔力をまとった拳は止められず、触れた先から触手は弾けて粉微塵に舞う。しかし肉と血に乗って流れ込んできたラウルの憎悪の感情が、アラタの集中を著しく乱れさせた。
殴り抜けた拳がラウルの頭部に入って、頭骨を砕かれながら老いた体が弾き飛ばされる。しかし魔力の循環が整わない状態では、ラウルの不死性を滅殺することはでいず、割れた頭部はすぐに触手で繋ぎ合わされて再生する。
対するアラタは魔力の暴走を抑えるのに必死で、思念を浴びた右腕は物理法則を超えた膨張と縮退を繰り返し破裂寸前で逆に苦しい声を上げていた。
「グァァァッ……!!」
「クッハハハハハハハ!! ワシはお前のように他人の憎しみに頼らなくては戦えない男とは違う!! この身を生き急がせるのは我が内より沸き上がりし憎悪なれば……」
アラタが苦しんでいるあいだにも、ラウルの不死性は復活しつつある。治癒スピードは速度を増してきており、老体の見窄らしい体は上半身の再生を終えようとしていた。
やせ細った枯れ木のような腕に薄い胸板。弱々しい体つきでありながら、その皺の底から湧き出てくる異様な圧迫感は、見ているだけで息が詰まりそうだ。
「世界を覆うに我が憎悪だけで十分! すべてを飲み込んで災厄の渦に陥れてみせようぞ!!」
「だからさせねえってんだよォォォオオオ!!!」
この期に及んでなおも妄言を吐くラウルへと、アラタは憤怒の九つ目を光らせて殴りかかった。
鉄槌の如き豪腕へと、ラウルが今度はそのか細い腕を振り上げて正面から打ち合わせた。無論、ラウルの拳は呆気なく負けて砕け、肩のところまで肉が粉砕して血が飛び散る。だが拳を打ち合わせた瞬間に、アラタの不死滅殺の魔力はまたもや削がれていた。
急速に腕部を再生させるラウルへと、アラタが負けじと吠える。
「クッソがァァアアアアアアアアア!!!!」
雄叫びとともに両者はドロドロの殴り合いを開始した。幾度となく振り下ろされるアラタの鉄拳が再生し続けるラウルの拳を砕き、更には頭骨を粉砕し、鼻っ面をへし折り、胸骨をへし折り、にじり寄ってきた触手を衝撃で押しつぶす。
しかし何十という殴打を加えても、ラウルの体は死ななかった。肉体が砕けた度に即座に修復し、再び弱々しい体に憎悪だけを込めたカウンターを打ち合わせる。
アラタとて闇雲に拳を振りかざすのでなく、送り込まれるラウルの想念に対応するべく体の内側で必死の調整を繰り返していた。憎らしい、すべてを葬り去りたいという憎悪の念が脳を支配されそうになりながらも拳のラッシュを続けて、ほんの少しでも自分の魔力を押し付ける。
だが死なない。その辺にいる低位の不死者なら百と死んでるだろう魔力を叩きつけてもラウルの不死は死にきらない。徐々にアラタが押してはいるのだが、あとほんの僅かがどうしても押しきれない。
拳を打ち付けて吹っ飛んだラウルが、壁にブチ当たって粉々になり、そしてまた形を取り戻すのを見ながら、アラタは血で濡れた拳をダラリとダラして忌々しげに吐き捨てた。
「クソッタレ、なんてタフな不死性だ!?」
「グッ……ヌヌヌ……まだだ、まだこの程度では……死んではやれぬ……!!」
ラウルとて相当に消耗しつつある。ほんの少し、アラタが魔力の直撃を与えられたら殺せるはずなのに、それができない。
「お前の力、実のところ不死滅殺の力ではないな……この世に存在するあらゆる命を否定する力か……だがそんなもので――――ワシの憎悪は殺せぬぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
もはや頭部しか残っていないラウルであったが、災厄術式の蓄えた血肉を更に吸収しておぞましい姿を再誕させていく。
床や壁に固定化された肉がヴォイジャー・フォー・デッドから引き剥がされ、ガギンゴギンと鉄骨が軋むような音が響き、触手で肉体を代替したラウルの姿が浮かび上がる。
「いかな正義が我が憎悪を否定しようと火は絶えぬ!! 消えぬ、消えぬのだ! 障害として現れるすべてを糧とし贄とし、必ずやその先へぇぇええええ!!! 我が恩讐に見合うだけの奇跡をぉぉぉぉおおおおおお!!!」
「クソッ……このヤロォ……!!」
――アラタは、自分の魔力とともに湧き上がってくる謎の憎悪についてよくわかっていないが、その正体は世界の裏側という無限の闇に満ち満ちている、選ばれなかった、あるいはあぶれてしまった命たちの嘆きと憎しみであった。
世界に選ばれなかった者たち、輪廻転生の輪に入れず何者にもなれなかったまつろわぬ民。光ある世界で笑う者たちへと向けられた無秩序な妬みと憎しみ。
アラタの持つ力とは世界の裏側に満ちている”これから世界が生まれるための力”を利用するものであり、それと同時に闇の住人の想念をも引き出してしまっていた。常人ならたちまちに精神崩壊して殺戮機械へと暴走してしまうだけの憎悪を、アラタは常に身に受けながらも、自らが本心で備える悪への憎しみでまとめあげ見事にコントロールしている。
だが、ラウルの憎しみはそれをも凌駕するほど凄惨であった。たった一個人が持つこれほどに強い感情を持っているなど、アラタには想像もし得なかった敵だ。
そのラウルの憎悪が、アラタの持つ悪への憎しみを跳ね除けてくる。あと一歩をどうしても押し込めない。どれだけの拳を打ち込んでも、こんな老人一人が殺せない。
「グッ、ガッ……死なぬ……死なぬぅ……!!」
「グゥゥ……ッ! こ、これ以上は、コイツの憎悪にオレの心が絶えられん……力をセーブするしかねえ……!」
もはやアラタの精神力は限界であった、攻撃を続ければ先に待つのは地獄でしかない。
異形化した肉体を人のモノに戻しながら、アラタは右腕から突き出た骨を切除し発射して床に突き刺した。
「召喚!!」
床に突き立った骨を媒介として魔力が奔り、床の上に魔法陣の紋様を描き光を発する。
紫色の輝きの中から現れたのは、アラタが元々振るっていた二刀の大剣だ。それを手に取り、再びアラタは人間本来の姿で大剣を構えた。もう彼の額にはめ込まれた眼球は二つだけであるし、肌も変色しておらず、骨が突き出ていたりもしない。
この状態であればラウルの憎しみに飲まれず戦いを続けられるはずだ、だがそれは同時に不死を殺す術を放棄することでもあった。
それを見て、ラウルはまた嘲笑って来た。
「ほう、またその大剣スタイルか。勝負はあったな。その剣だけでは我が命は滅ぼせまい? 先の力を封じた以上はお前に勝機は――」
「黙れ」
覇気の籠もった言葉がラウルの嘲りを押し潰す。例え攻略の手段を一つ失おうと、アラタの意思は決して挫けてはいない。
「やることは変わりねぇ。悪党はコロす、それだけだ」
「なら、やってみるがいい……」
ラウルが油断を捨てて戦闘意識を際立たせるのを見て、アラタは一秒後に備えて腰を落とした。攻めるなら速攻しかない、敵の不死性が削れている今この瞬間が最大のチャンスだ。
「オォォォォアァァアアアアア!!!」
絶叫とともにアラタの大剣とラウルの触手が打ち鳴らされた。刃状に硬化された触手が大剣つぶつかり、ガキンと金属質な音が響き渡る。
更に刃を交えること一撃、二撃、三撃。二人の攻防は一瞬ごとに加速していき、常人の目に捉えられぬ高速でぶつかり合う。
ラウルの触手はアラタの大剣よりも脆く、数度も打ち合わせれば崩壊し次の触手に移り変わる。その崩壊と再生の間隙に、目を光らせたアラタが鬼の形相で斬り込む。
「オォォォォォォォォォ、ソコォオ!!!」
突き出されたアラタの大剣が再生を続けるラウルの胸元に突き刺さり、そのまま触手をまるごと斬り飛ばした。そしてアラタは右手に持っていた大剣の投げ捨てると、生首になったラウルの顔を鷲掴みにして走り出した。
ここまでの戦闘を見るにラウルは不死だが急速な再生には周囲の肉を吸い取る必要がある、周囲の通路に接触させなければ再生を遅らせること程度はできるはずだ。
「グギッ……どこへ、連れて行く気だ? こんなもので」
「黙れ喋るな、すぐに殺してやる!!」
「だからぁ……できるのかと聞いておるのだ!?」
大声で圧したラウルは、切断された首から蠢く触手を伸ばしてアラタの右腕へと伸ばしてきた。
先程までよりかは遅いが予想以上の再生速度にアラタの脳裏に焦りが走る。這い寄る触手は蛇のように腕を締め上げて、骨が軋み、筋肉が潰れて裂けた皮膚から血が吹き出した。
「おぉぉぉぉぉぉ!?」
「クハハハハハ! 物質を供給をせずとも無からでも再生できるわ! このままお前の体を締め上げて……」
想像以上に強靭な不死性に腕がバキバキと音を鳴らしてへし折られていく、だがなおもアラタは駆け抜けた。
「――いや、テメェの負けだクソジジイ……」
二人は戦いながら戦闘の場所を変えてきたが、アラタの脳内にはこれまでの移動ルートがしっかりと記憶されている。迷いなく走る彼は、順当に術式内部を逆走する。
より深くへと進攻しながら戦っていたアラタが逆走するということは、置いていった”彼”と合流することになる。
つまり、アラタが駆ける先にいたのはハングドマンと、壁に寄りかかって立ったままでいたキッカー・ハンサだ。
「やれぇ、キッカー!! テメェも持ってんだろう!?」
「カフッ……あぁ、そうだとも……!!」
腹を食い破られたまま回復もできず佇んでいたキッカーであるが、まるでこの瞬間を知っていたかのように力強い返事をして壁から離れ、前のめりで走り出そうとした。
彼が腰のポーチから取り出されたのは、この災厄術式攻略前にガネーシャ神から提供された不死滅殺の魔釘であった。
ラウルは頭を鷲掴みにされたまま、信じられないと目を剥いていた。
「こいつ……さっきの死にぞこないのことを信じて……!?」
「どうやらアイツも、一端のバカ野郎らしくてなァ!」
肉蟲を腹に入れられたキッカーは覚悟を見せた、そこにアラタは最後まで諦めぬ男の輝きを見たのだ。そして翅のある勇士はその期待に応えてくれようとしていた。
キッカーがおぼつかない脚に気合を込める。一撃だ、一撃だけ入れればいい。邪魔者となりそうなのは演奏中のハングドマン、彼が反応して止めに来る前に残された力で最速を叩き出す。
もう止血は必要ない、腹を押さえる手を離して急加速のバランスを取れるようにする。倒れるように前へ出たキッカーは、背中から生えた自慢の四枚羽を日輪のように煌めかせ、大きく開いた。
「キッカー・ハンサの名を知れ、今こそ駆け抜ける時!!」
「こ、のっ……ヤメロぉお!!!」
床を蹴ると同時に羽ばたいた翅が空気を破裂させ、キッカーの体は一瞬で亜音速へと突入した。手に握った魔釘に魔力を通すと、起動を知らせる確かな手応えと共に魔釘に刻まれていた呪文が青白い発光を示す。
急激な加速で口から腹から血を吹き出し、死に瀕した意識が置いていかれそうになりながらも、キッカーは霞んでいく眼で必死にラウルの首を追って狙いをつける。
声を出す余裕もないキッカーの代わりに、アラタが叫んだ。
「終いだ、地獄で詫びやがれ!!」
キッカーの手に握られた魔釘が、ラウルの後頭部に気味の悪い音を立てて突き刺さった。




